ウォールかい? ……目に見える心の壁
静かな駆動音を謳うメーカーさんには悪いのだが、半ヒキコモリ無職の私と掃除機しか居ないこのマンションの一室では僅かな機械音でさえ神経に障るときがある。
例えばパソコンのファンの音声。
例えば元友人や元彼からのメール着信を知らせる携帯電話。
私にとって最も安らぐ珈琲メーカーの音でさえ心に障ることがある。
真っ白なカーテンの外から建築中の綺麗なマンションが見える。
近場の小学校からは子供たちの歓声や彼らが奏でる音楽。楽しそうな声。
目を閉じても眩しい光を錯覚してしまい、耳を塞いで子供たちが帰るのを待つ。
子供たちが集団下校し、ボランティアのおじさんが『挨拶はどうしたッ』とけたたましく叫ぶのが嫌だ。
適当に買って来たコンビニ弁当を残りがあるまま投げ捨て、ビールの缶を適当に蹴る。
二週間って。長い。
綺麗な部屋だと落ち着かない。音をふさいで心を塞ぐためにまた私は本を投げ、ダンボールを蹴ってフローリングの床に寝転がり、万年床で眠りにつく。ベッドはあるけど物置になっている。
子供たちの幸せそうな声に耐えかねた私はダンボールや缶を蹴り、殴り、大きくスペースを作る。多少ビールや食料が腐敗した液が飛び散る中、適当に近場にあった布でそれを拭く。
あ。これ。新が買ってくれたスカートだ。
ふく。ふく。そして蹴る。
掃除機を手に取り、空いたスペースに移動させる。
さぁ。掃除しやがれ。そう言って掃除機を蹴る。
のろのろと動き出した掃除機はくるくる回りながらその範囲を踊る。
水とか汚水とか少し残っているから、吸うと壊れるかも知れないけど。
あはは。壊れちゃえ。面白い。……面白い。
自己嫌悪に耐え切れず私は掃除機のスイッチを切って布団にもぐりこんだ。
ごめんなさい。
目が覚める。
どうしてこの辺だけ綺麗なんだろとぼやけた頭で考えて。
あ。
掃除機からゴミいれ箱を取り出し、ゴミいれに使うダンボールにむけて箱をひっくり返すも、濡れてこびりついていてゴミがおちない。適当に近くにあった紙切れで拭い取る。
あ。これ履歴書だ。
まぁいい。明日面接にいく。多分いく。いけばいい。
「壊す気か」
珈琲メーカーの作動音と香ばしい香りと彼の甘い叱責に少し安心する。
壊したら、どうなるかと思った。今では範奏している。
「お前はトランペットが得意だからな」
防音マンションっていいよね。
「窓を閉めれば外の声も音も聞こえないのだぞ」
知ってる。
ねえ。どうして叱らないの。私ひどいことしたでしょ。ねぇ。
「この程度なら機能上問題はない。破損したらそもそも抗議する必要がない。捨てればよいのだ」
モノみたいに自分を言うのね。
「私はお前のモノだからな」
つまらん。怒れ。叱れ。
「私はモノだ。役に立つために存在する」
じゃ。叱ってみろ。
「澄香。お前は掃除機に叱られたいのか」
たまには。
彼の汚水で汚れた尻尾が空しく、くるくる。
「不要だ。私はそう結論付けた」
役に立て。この掃除機。
「傷つきたいから更に自分を傷つける。進歩するのが人間の機能だが退化もまた人間の機能だ」
難しいことを言うな。
「お前は二十七歳だろう。いつまで十七歳の小娘の気分でいるのだ」
うっさい。
塞ぎこむ私に彼の声が響く。
「たまには掃除や片づけをしたほうがいい」
いやだ。といいたいが。
厭々動きながら、部屋のゴミを片付け、ダンボールその他を次々ベランダに持ち出し、ゴミ捨て場に持って行く私を尻目に、彼は綺麗にした尻尾を元気に振って掃除していく。
「……」
かつん。かつん。
お、追い越した。流石複数部屋掃除機能搭載。
おお。超尻尾振ってる。そんなに気持ちいいのか。
片付いて行く部屋を見るとまた猛烈な寂しさに襲われそうになるが。
私は小さな黒い箱のスイッチを押す。ヴァーチャルウォール機能発動! お前はこの壁の内側に入れない!
「澄香。最新技術で遊ぶな」
遊ぶためにあるのだ。
ほれほれ。どんどん狭めていってやるぞ。私は黒い箱の位置を少しづつ足で押して狭めてやる。仮想の壁の前で彼はゆっくり速度を落としてくるりと回り、右に左にそれて動く。
ほれほれ。更に狭くしてやる。これ以上狭くすると充電機に近づけなくなるぞ。
「澄香。いい加減にしろ」
聞こえませんなぁ。ほほほ。
これが結界だッ! 百式結界! 腹筋決壊! けったいに結界!
「まぁ。これも仕事と思ってやろう」
私の名前は昆野 澄香。
珈琲を飲むと人のいい掃除機の言葉がわかる女。