さんだーばとん……AED(自動体外式除細動器)
通勤ってだるいなぁ。
でも毎日誰かに必要とされるって嬉しいよね。
お給料もらえるのも嬉しいけどね。うん。
必要にされるのは嬉しいけど、
友達の童貞卒業手伝ってくださいはノーサンキュー。
……胸。痛い。
「いやだ。いやだ」みゅ?
首をかしげる。アイツの声に似ているがアイツは家の中だ。
そもそもロボット掃除機を外に連れ出すことは無い。会話してたら頭おかしい子に思われるし。
というか、アイツはこんな話し方は。
「いやだ。いやだ。このままホコリを被っていきたくは無い」???
振り返る。あちこち行きかう人ごみ。人々が吐き出す白い吐息にタバコのにおい。
くそ。今のところ禁煙成功しているのに。吸いたくなるじゃないか。
「助けて。助けて。このままだと壊れちゃうよ」壊れる?
喉が鳴る。唾を飲み込んだからだけど。禁煙するとどうも唇や喉が渇いた感じになって嫌だ。唇を指先で押さえ込みたくなる。
肩を寄せて思わず先日のことを思い出してしまった。くそ。
謎の声は小さく、か細いのに周囲のざわめきより私の心に響く。
「いやだ。いやだ。ぼくは使われないほうが嬉しい。でも使えなくなるのは別だ」??? 意味わかんない。
頬を風が横切る。私の視線の先にはホコリを被った白い箱に入った赤いモノ。
まさか。まさか。
「点検してよッ 点検してッ もうぼくは長くないッ 」
呆然していた私は目の前で男の人が倒れたのすらしばらく気がつかなかった。
ざわざわと集まる野次馬。無視して職場に急ぐ人々。何も考えられない。
「はやくっ はやくっ ぼくをここから出してッ 」……。
私は『AED』と書かれた町のホコリと鳥の糞がついた箱から『彼』を取り出した。
使い方は知っている。もともと病院事務をやっていたから。
でも必要なときにそのことを考えられるか、考えても行動できるかは別問題だ。
職場に急ぐ人々たちに人情が無いわけではない。厄介事に巻き込まれないと考えるのはある意味は一番人情があるといえるから。
私は倒れた男の人の肩に手を当て、叫ぶ。もしもし。大丈夫ですかと。
『新ッ 助けてッ 男の人が倒れているのッ 』携帯を取り出し、新の留守電に叫ぶ。
研修医の彼は多忙だ。不味かった。誰か119番通報をッ?! 写メールを取る若者達に叫ぶ。
「落ち着いて。怒鳴り散らしても不愉快に思うだけ。みんな本当は誰かの役に立ちたいって思っている」たとえ望まれない役目でも。
「胸部と腹部の動きを見て。十秒以上は危ないけど」落ち着け。落ち着け。私。
「心停止と判断したら胸骨圧迫」わかんないよっ!?
「おちついて押し下げるように。圧迫後は戻す。胸骨の下のへんじょう突起は押さない」
「気道を確保。あごをあげてあげて」う。うん。
鼻をつまんで二回息を吹き込んで、自然に空気を吐くのを待つ。
「AED到着まで胸骨圧迫三十回と人工呼吸二回を心がけて」アンタが、アンタがAEDでしょ?!
「ごめん。ぼくも始めてなんだ」いつもだったら困るわよッ?!
「心停止後除細動が早く行われたら生き残る確率は増える。AEDの電源を入れて」こ、これ?!
「ぼくはふたを開けるだけで作動する」ファスナーをつっかえながらあける。
『パッドを胸に装着してください』えっと確か。
「服を脱がして胸に貼り付ける。人工呼吸や胸骨圧迫は続行」……まぁパニックになっている人間には最低限の説明のほうがマシよね。服の上からでもやらないよりマシだろうし。
「冬場だからね」はいはいっ?!
『ランプが点滅しているソケットにパットを接続してください』
ソケットって? パットって?! 「おちついて。澄香さん。そこの差し込む器具」ごめん。講習受けたのに。
服、服。服っと?! 男の人の服を脱がせるのは意外と身体が覚えていた。要らない技術だ。
新のバカ。ありがとうと言っておこう。
「ぬれていたら拭く。はり薬塗り薬は取り除く。埋め込み型医療器具のある部位は避けて張る」わかんないわよっ?!
『パッドを装着してください。コネクタを装着してください』
「イラストを参照して、おちついて張ってあげて」う、うん。
私以外の野次馬の誰かが心臓マッサージを手伝ってくれるが。
骨が折れるから、落ち着いてとつぶやく私。落ち着くのは私だ。
『ランプが点滅しているコネクターにパッドを接続してください』はいっ。
『心電図を解析中です』……しっかりしてっ! おっちゃんっ?!
私ともう一人が叫ぶ。
「ぼくの声が聞こえない。落ち着く」はい……。
『心電図解析中は離れてください』おっと。
『ショックが必要です。充電中です。身体から離れてください』
『ショックを実行します。オレンジボタンを押してください』うっ、うんっ?! ウンッ!!
「心肺蘇生を開始。ショックが不要でも必要。胸骨圧迫と人工呼吸を続行して。二分ごとに心電図を解析するから」う、うん。
「電源は入れたままで……」あ、あなた声がか細いわよ?
「もうちょっと、もうちょっとなんだ。動け。動いて。ぼくの身体」……?!
うう……。おじさんの瞳が動き、私をにらんだ。
何を……とつぶやくおじさんを救急車に預けた私は膝を突いて手のひらで瞳を押さえた。
罵り言葉と、もうしゃべらなくなったAEDの『彼』の残骸の声を聞くために。
私の名前は紺野澄香。珈琲を飲むと所有するロボット掃除機の言葉がわかる女。
後日。新しく設置されたAEDに声をかけてみた。
何も返事は返ってこなかった。
お呼びじゃないってイイコトダヨネ。
冬の風が耳たぶを切る痛みに私は小さく涙を流した。




