ジャッカー……一人でババ抜き
香り高き。陳腐な表現だけど私は珈琲の香りが好きだ。
この香りができるまでのコポコポと言う音が好きだ。流石に踊りだすほど子供ではないけど。この香りを想像しただけで苦味と旨みが心の中で広がり、私の舌は水気を帯びだして喉がなる。
「澄香」
うっさい。
「澄香」
……。
私の目の前には周囲をゴミとダンボールの『結界』(さっき作った)に閉じ込められ、右往左往、くるくる回るロボット掃除機。その上にはプラスティック製のトランプ。
「正確にはプレイングカードと言う。トランプとは日本国内での俗称でな。『これは何か』と聞いた日本人に『切り札』と答えたのが語源だ」
どこのカンガルーよ。
「その話は日本では中学の英語教科書でも採用されているが、あくまで俗説だぞ。『跳ぶもの』が語源だ」
相変わらず無駄に詳しいわね。
くるくる回ったり、ダンボールにぶつかりぶつかり路を切り開こうと無駄な足掻きを行いながら彼は告げる。
「今日日のロボット掃除機は音声入力標準装備だ。私ですら日本語、英語、中国語に対応している」
なに私よりバイリンガルしてるのよ。うっとおしい。
『踊れ』
指示してやる。
「こら、澄香、やめろ」
左右にふよふよ。くるくる回って踊りだす彼。
『待て』
また指示してみる。
「やめろと言っているだろう」
大人しく止まってみせる彼に大笑い。
昨今のロボット掃除機は電子ペットのように芸を行わせる無駄機能が搭載されているのだ。
くくく。音声入力には貴様は逆らえまい。さぁ次はどのような羞恥プレイをしてやろうかな。
「澄香。お前」
胸が痛くなる。空しい。ため息をつく。
「解っていたらやめろ」
自己嫌悪に陥るから辞めて。
「自己嫌悪や自己矛盾に悩む。人間とは素晴らしいものだ」
どこがよ。
「掃除機は自己嫌悪しない。意味がないからな」
……。
ええと。
そうだ! さっきのババ抜きの続きしよう。そうしよう。
「誤魔化すな」
えいっ! あ。ババだ。
「右から三番目のカードがババだな」
鋭い。というか、心読むな。
はい。右から三番目が欲しいのね。
「そんなことは言っていない」
くくく。手も足も出まい。
今度も私の勝ちだ。うははは。弱い。弱いぞ。
「負けそうになるとババを押し付けてくるのに何を言う」
これが手も足もない掃除機の悲哀よ。自己嫌悪したかっ! はははっ!
「しない」
彼は平然と呟く。
「そもそも思い悩み自己進化するのは人間の能力だ。私にはそのような機能はない」
私は首を振り、彼から瞳を逸らす。
余計なことは考えない。そうしたい。そうしよう。
「ほら、シャッフルシャッフル」
ガッコンガッコン。
彼がくるくる回り、ババのカードがどれか解らなくなるのを待つ。
ずぼっ ずぼぼボッ!!
……あれ??
「澄香ッ!? 助けてくれッ?!」
ぶっ?!
「カードがッ! カードが零れ落ちて吸い込んでしまったっ!!」
ぶははははっ! ドジッ! ドジッ! バーカ! バーカ! ばーかっ! はははっ?!
右に左にくるくる回り、あちこち右往左往する彼。
あ、またカードが落ちた。
ずぼっ! ずぼぼぼっ!!!
ぷぎゃ嗚呼ああ嗚呼ああぁぁぁっ?!
ひー! ひー! おかしいっ! 笑っちゃうっ?!
「取ってくれッ! とれっ?」
いいじゃん。どうせこの部屋ならあんた仕事できないし。
「掃除機としての存在意義に関わる懸案だッ!? 吸引力が大幅下降しているッ! 至急内部のメンテナンスを頼むッ?!」
ひとしきり笑った私は彼の電源スイッチを切って、香りの残る紙コップを適当に投げ捨てた。
私の名前は昆野 澄香。
珈琲を飲むとロボット掃除機の言葉がわかる女。