居(い)ぬの きもち……彼(掃除機)の取り扱い説明書
起きる。多分昼の12時。隣を見るとロボット掃除機が電源入ったまま布団の海の中でもがいている。
ふむ。電源が切れそうだな。ふあああ。
二度寝だか日越しの三度寝だかで空腹に耐えかねて目が覚める。
うむ。動けない。
ねぇ。台所にパン残ってるはずだからとってよ。私の声は空しく響いた。
うむ。彼の電源が切れている。そういえば昨日あまりにもうるさいので布団に突っ込んだんだった。
「だせ。出すのだ。澄香」と抗議する彼に大笑いしながら眠りについた記憶がある。
電源が切れそうになったら勝手に電源補給するのが彼の機能のうちにあるにはあるが、障害物の多い汚部屋において彼の行動範囲は著しく制限される。
つまり、私がいなければ彼は電源補給できない。……ふふふ。くくく。ふあっはっはっ!!
電源も入らないから動けないし、珈琲を口にしていないから声も聞こえない。
うははははっ! ざまーみろ! ざまーみろ! 機械の分際で私に口答えした罰だッ!!!
ひとしきり大笑いしたあと、強烈な空しさに襲われた私は彼を布団から取り出し。
ぐきっ。
ぎっくり腰になった。
しぬ。しんじゃう。あ。う。……足もつった。
しばらく悶絶していた私はなんとか持ち直し、彼に充電を施す。
そして寝る前に珈琲を入れていたカップに手を伸ばす。洗う? めんどくさいし。
黒い輝きが残っている。あれ? 珈琲残したっけ。口に含もうとするが。
あ れ れ ?
おそるおそるカップの中を見る。
もぞもぞ。珈琲が何故か動いて。うご……。
う ぎ ゃ ア 嗚 呼 あ あ ぁ ぁ っ ?!
「うるさいぞ。澄香」
このカップもう使えないッ?! 掃除しろよダメ掃除機ッ?!
カップに残った残り香で彼の声が聞こえたらしい。
「掃除してほしければ片付けろ。私は段差に弱い。大きな荷物もだ」
うっさいっ 掃除機なんだからなんとかしてっ
「腰痛は運動不足だからだろうな。あの……コアリズムだったか? もうやらないのか」
……。
「運動グッズが埃を被っているぞ」
ううう。今度運動する。
人ならぬため息が聞こえる。
「というかな。澄香。部屋が片付いていると行動範囲が広がる。そのおかげでスムーズに移動ができる。また掃除や家事を行うことで運動になる。部屋をこまめに片付けるとそれだけで運動になるのだぞ」
つまり、汚部屋では動けないのは人間も代わらないということですね。はい。
「解っていたら少しは片付けてくれ。流石に充電のためにぎっくり腰になったといわれるのは辛い」
はい……。
適当に周囲のゴミや家具や弁当の器を蹴って充電装置までの路を作ると彼はため息。
ほら。掃除しろ。私がそういうと彼は「わかった」といって尻尾を振り振り。
「……」
……。
「……澄香」
なぁに? ロボット掃除機さん?
彼の目の前に小さな紙くず。センサーに引っかかって飛んだり、彼自身の吸引であっちにいったりこっちにいったり。
「取ってくれ」
あなたでも取れるゴミでしょ。がんばって。
「意地悪」
掃除機がいじけても仕方ないでしょ。
かるくつんつんとつつく。
「つつくな」
ふふふ。
「蹴るな。私は精密機械だ」
五万円のところ、在庫処分特別価格三万円のワゴンで売っていたお買い得品じゃない。
「うるさい。私に非はない」
彼と罵り合っている間にエスプレッソマシンが香りと珈琲味の湿気を紡ぐ。
喉が珈琲の味を思い出し、甘い唾を飲み込んだ私は新しいカップを出して黒く輝く液体を注ぐ。
~ 澄香の部屋はいつも綺麗だな ~
うん。毎日掃除しているからね。
別れた男との会話を思い出して眉をしかめてしまう。
いかんいかん。
珈琲を淹れるとたまにアイツの顔を思い出してしまうのだ。
~ 澄香。これをクリスマスプレゼントに買ってあげるよ。マンションはペットが飼えないし、これなら部屋が汚れることもない ~
ペットにも掃除機にもならない。私はペットなんて不要だし、掃除は自分でやっちゃうからいらないよ。
「新の事を考えているのか」
うっ。鋭い。新のことは言うなと。
そうだ。この棚の上を掃除しておいて。壷落としたら容赦しないわよ。
「こら。やめろ。澄香」
ふふふ。
元彼とちがって口やかましくてウザいし、ペットにしても可愛くもなんともない。
部屋を片付けないと掃除してくれないし、充電機能だって散らかった汚部屋では私が運んであげないとダメ。
私の名前は昆野 澄香。
珈琲を飲むと彼氏未満ペット不備、お節介な掃除機の言葉がわかる女。