プロローグ 72H(時間)……緊急避妊
「おい。おきろ。起きろ。澄香」
うっさいよ。頭痛いんだからさ。マジむかつくし。
ズキズキする。頭痛が痛い。いや痛いが頭痛。頭痛が痛いとか言わないんだったっけ。
鼻先を刺激する珈琲のアロマ。
つばを飲み込む。喉に想像の珈琲の味が広がる。
頭マジで痛いし。もうダメだって。吐く。寝ながら吐いてやる。
何で痛いんだろう。頭の中が逆再生。だんだん酔った後のことが克明に。
すっごい久しぶりなのでなんども。した。
あぶれた私は若い男と意気投合だか釣られたかして自分の部屋に男と入った。
コンパだかなんだかの人数が足りないからと呼び出されて暇だった。
コンパに呼ばれた。元職場の知り合いから電話があった。
うん?
コンパに呼ばれた。まぁいい。
した。した。すっごく……。
ぞく。
がばっと起き上がった私に襲いかかる激しい頭痛。
強烈な二日酔いの頭痛の痛みと、男の力で揉まれ、吸われ、あちこち赤らみ、蚯蚓腫れが出来た体と。
股間を流れる生暖か……な。
昔は。別れたあいつのときだったら。幸せだった。けど。
なま。
何度も。何度も!?
「あ。おきたんだ♪」
この部屋には他に聞こえないはずの男の声がした。
人の珈琲メーカーを勝手に使っているのはチャラチャラしたホスト風の若い男。こんな奴に。
自分の痴態が脳裏に蘇る。たしかに。上手だった。けど。
悔しくて。悲しくて。
私は名前も知らないその男に枕をぶつけて叫んだ。
『帰ってッ!!』
……。
……。
「おちつけ。澄香。七十二時間以内に処置すれば何とかなりやすい」
おちついていられるわけないでしょッ!
生。なんて。酔った勢いだけどマジでヤバい。
「地域、婦人科・緊急避妊・アフターピルなどのある病院をWebで検索。わからなければ病院に直接といあわせろ」
救急救命病院があるでしょ?!
「バカ。救急救命病院とて万能ではない。担当の医師がいなければ手遅れだ。歯医者ならまだ麻酔医の代行ができるが」
どうしろっていうのよ。
「とりあえず息を吸って吐いておちつけ」
洒落になっていないわよッ?!
散らかり放題の自分の汚部屋でゴミをそこらに投げて暴れる私に彼の冷静な声が響く。
「費用や診察時間・予約の有無の確認がHPで出来なければ電話で問い合わせだ。
(社)日本家族計画協会で思春期外来として緊急避妊の対応が出来るクリニックを電話で対応している。
ちなみに『思春期・FPホットライン』の受付時間は 月~金曜日10:00~16:00。祝祭日は休みで、電話番号は」
もう二十七歳よっ?! そして今土曜日じゃないっ?!
ゼイゼイと荒ぶる息を抑え、必死でシャワーで身体を洗う私に彼の声が聞こえる。
「一服盛られたな。澄香」
男って、男ってサイテー!!
「男はヤレばデキるで済むが、女は命がけだからな。とにかく急げ。未婚の母になりたくならな」
解っている。
「追い出したのは不味い。普通はパートナー同伴だからな」
あんなのを父親にしろってのっ?!
「裁判になったら必要だ」
本名なんて知らないわよっ?!
でも、今日は三連休。どうすればいいのよ。
「消防署に電話だな。対応してくれる医者を紹介してくれやすい」
わかった。
「119番より直接番号にかけたほうがいい対応になる。104で調べられるが」 教えてよ。
「いいか、電話番号は」
必死でかける私に彼の冷たい声が響く。
「昨夜はお楽しみでしたね」
どこのRPGよ。涙が出る。
あんた、あんたが助けてくれたら、こんなことには。
「医師会などが運営するHPにて当番病院の検索が可能だ。救急・休日医療機関のURLは」
うっさいッ うっさいっ!!!
彼を踏みつけ、蹴り飛ばして荒れる私に彼の声はあくまで優しい。完全な八つ当たりなのに。
「病院を見つけたら。初めてだから不安もあるだろう。保険証と金を忘れるな。二万ほど持って行け」
う……うん。お母さんに電話したほうがいい?
「そのほうが良いな……叱られておけ」
うん。泣きそうだし。
ぽろぽろと涙がこぼれる私を彼が叱咤する。
「病院では色々聞かれるぞ。当事者の年齢・職業。最終月経。月経周期。
危険な性行為のあった日時、状況→実際の状況を聞いてくる。射精の有無の確認も必要だ」
……。
彼の声は冷静で。優しく。だからこそ無慈悲に響く。
「危険な性行為のあった日は月経周期の何日目か。来院時に約何時間経過しているか。最終月経以降に性行為があった日とその時の避妊法も聞かれるが」
してない。避妊なんてしていない。
「今回の性行為以前に性行為のあった日の方が危険と思われる場合、緊急避妊前に妊娠の有無の確認が必要だから、今までのパートナーの数。
現在のパートナーの年齢・職業。今までの避妊法。妊娠・出産歴も聞いてくるな」
酷い。わよ。
「お前が巻いた種だしな」
胤を仕込んだのはあのチャラ男でしょっ?! 叫ぶ私に彼は告げる。
「診察内容だが、基本的に内診は必要ない。 当事者の希望や緊急避妊が必要かどうか判断する目的で医師が超音波診断検査を実施して子宮内膜の形状や厚さ、卵胞径を確認する場合もある」
う、うん。余分にお金持っていく。
「急げ。澄香。さっさといけッ! この近所なら俺のお勧めは『矢羅内科』だッ 実績もあるっ!」
う。うん。ありがとう。
急ぎ着替えて私は走る。
どうして、こんな目に遭うんだろう。
部屋を出ようとするとき、『彼』の言葉が珈琲の香りの残滓と共に聞こえた気がした。
彼はロボット掃除機。
私の名前は昆野澄香。
珈琲を飲んだり、香りをかぐと彼の言葉がわかる女。