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詠唱破棄?いいえ、即興(フリースタイル)です。  〜定型文しか唱えられない魔術師たちを、現代最強ラッパーがリリックでボコボコにする〜  作者: てん
第一章 重低音の衝撃(ベース・ドロップ)    ―静寂の学院に響く反逆のリリック―

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第4話 『沈黙を切り裂く、魂の鼓動(ソウル・ビート)』



 無音とは、こういうものか。


 桐島レンは裏庭の石畳に立ち、自分の足元を見た。


 踏んだ。石畳が揺れたはずだ。音は来なかった。


 もう一度踏んだ。振動が足裏から膝に伝わる感触だけがあって、音がない。まるで厚いガラスの向こうで鳴っているような、断絶した感覚。


 アリアの沈黙結界は完璧だった。


 半径十メートルの球体。その内側では、空気の振動が音という形をとれない。魔力で編まれた「静寂の膜」が、あらゆる波を吸収していた。


 アリアは三メートル先に立っていた。


 両手を胸の前で重ね、目を細めて、レンを見ていた。揺らぎがない。魔力の消耗もない。この結界を維持することは、彼女にとって呼吸と同じくらい自然なことなのだろう。


 口が動いた。


 声は聞こえない。でも、読めた。


 ―――詠唱も、ラップも、音がなければただの無意味な唇の運動。私の勝ちよ。


 レンは右手を見た。


 痺れが残っている。魔力を加速させすぎた代償だ。


 アリアはその右手を見て、何かを確信したように視線を上げた。


 傷ついた術者。声を奪われた者。


 どこから見ても、詰んでいた。


──────────────────────────────


 詰んでいた。


 ただし、アリアの認識の中では。


 レンは右手を、静かに下ろした。


 ふと、思い出した。


 横浜。路地裏。マイクが死んだ夜。


 機材トラブルで音響が飛んだ。マイクから声が出なくなった。観客が笑った。誰かが「終わりだ」と言った。


 猛は笑った。


 マイクなしで吐いた。生声で吐いた。最前列にしか届かなかったかもしれない。でも関係なかった。


 言葉を吐くのは相手のためじゃない。


 魂が、それを要求するからだ。


 そして今、あの夜よりずっと深いところで気づいていることがある。


 声がなくても、音がなくても。


 リズムは止まらない。


 心臓が鳴っている。


 それだけで充分だ。


──────────────────────────────


 レンは足を、軽く踏んだ。


 アリアの目が、わずかに細くなった。


 もう一度。踏む。


 振動が石畳を走る。音にはならない。でも、伝わる。


 また踏む。


 間隔が、揃い始めた。


 一定のリズムで、足が石畳を叩く。声はない。音はない。あるのは振動だけ。でもその振動に、レンの魔力が乗り始めた。


 アリアの眉が、動いた。


 当然だ。魔力の振動は、沈黙結界とは別の話だ。彼女が封じたのは「音」だ。「魔力そのもののリズム」ではない。


 レンの身体から、波紋が広がり始めた。


 音のない波。目に見えない重低音。それはアリアの結界に触れて、内側から押し始めた。


 結界が、揺れた。


 ほんの少し。しかし確かに。


 アリアの顔が、初めて変わった。


──────────────────────────────


 何かがおかしい。


 アリアは結界を強化しようとした。魔力を補充する。維持する。それは今まで何度もやってきた動作のはずだった。


 できなかった。


 魔力回路が、騒いでいた。


 レンのリズムが回路に触れるたびに、細い電流が走った。封じようとするほど、魔力が揺れた。まるで、叩かれるたびに鳴り響く弦楽器のように、彼女の全身が共鳴し始めていた。


(……なに、これ)


 思考が、散らかり始めた。


 レンの足が、石畳を叩く。音はない。でも振動が来る。それが空気を通り越して、皮膚に、骨に、直接届く。


 魔力回路が熱い。


 自分のものなのに、言うことを聞かない。


 アリアは奥歯を噛んだ。


 意識を集中する。結界を保つ。揺さぶりに動じるな。


 しかし。


──────────────────────────────


 レンが、止まった。


 足を踏むのを止めた。


 代わりに。


 目を閉じた。


 アリアには、それが何を意味するか分からなかった。


 分からないまま、胸の奥で何かが鳴った。


 ドクン。


 それは自分の心拍だった。


 なぜ今、それを意識した?


 ドクン。


 また鳴った。


 ドクン、ドクン。


 おかしい。早い。自分の心臓が、こんなに速く打ったことは、今まで一度も――


 レンが、口を開いた。


 声は出ない。


 でも。


──────────────────────────────


(聞こえるか アリア これが俺の心臓ビート

 音じゃない でも お前の奥まで届いてる

 お前の静寂 綺麗だった 認める

 でも綺麗なだけじゃ 本物には勝てない

 恐れてるだろ 揺れてるだろ

 それが答えだ お前は既に知ってる

 静寂サイレンスの向こうに 何があるか

 俺のソウルが 今 教えてやる)


──────────────────────────────


 アリアの膝が、折れた。


 折れた、ではない。崩れた。


 音のない言葉が、声帯を通らない言葉が、彼女の魔力回路を直接叩いた。回路が共鳴した。全身が共鳴した。


 静寂に守られてきた自分の内側が、一枚ずつ剥がれていく感覚。


 寒くない。なのに震える。


 熱い。なのに、どこかが凍えている。


「……な、に、これ……」


 声が出た。結界の内側で、音にならない声が。


「私の、魔力が……踊らされて……っ」


 膝をついた。石畳に手をついた。


 レンのリズムが、心拍を上書きしていた。自分の心臓が、自分の意志と無関係に、彼のビートを刻んでいた。


 恐怖だった。


 しかし。


 それと等量の、名前のつけられない何かが、腹の奥から込み上げていた。


 充足、ではない。


 暴かれている感覚だった。


 静寂という鎧をつけて、誰にも触れさせなかった場所に。この男の「音」が、音なしで、届いていた。


──────────────────────────────


 結界が、砕けた。


 内側から。


 レンの魔力が臨界に達した瞬間、静寂の膜が爆音と共に弾け飛んだ。


 ベース・ドロップ。


 音が戻った。


 一瞬で、裏庭に世界の音が雪崩れ込んできた。風。葉。遠くの喧騒。自分の呼吸。


 アリアは前に倒れた。


 レンが一歩踏み出して、受けた。


 細い身体だった。普段の圧倒的な存在感からは想像できないほど、軽かった。


 アリアはしばらく、動けなかった。


 レンの胸に額が触れていた。心拍が聞こえた。


 ドクン、ドクン、ドクン。


 さっきから、ずっと聞こえていたリズムと、同じだった。


「……離して」


 声が、くぐもっていた。


「立てる?」


「……離してと言っている」


 レンは一歩退いた。アリアは石畳に膝をついたまま、両手で自分の身体を抱いた。


 震えていた。


 怒りではない。


 それがアリアには、一番許せなかった。


──────────────────────────────


 裏庭の入口で、ミアが固まっていた。


 口が開いたまま、閉じられなかった。


(嘘……アリア様の結界が、内側から破られた……!?)


 信じられなかった。


 アリア=ヴェルセットの沈黙結界は、学院の教員でも解除できないと言われていた。魔力量でも制御精度でも、この学院で彼女の右に出る者はいない。


 それが。


 声も使わずに。


 ただのリズムで。


 内側から。


(レンって……一体、何者なの)


 ミアは知っていた。幼い頃から知っていた。でも今日ほど、その問いが重くなったことはなかった。


──────────────────────────────


 アリアが立ち上がった。


 膝の土を払った。乱れた銀髪を直した。表情を、元の無に戻した。


 しかし。


 目だけが、違った。


 レンを見る目に、昨日まではなかった何かが混じっていた。


 それが何なのか、アリアは考えないようにした。


「……今日のことは、忘れなさい」


「忘れろって言われても」


「命令よ」


「俺、お前の部下じゃないんだけど」


 アリアは返事をしなかった。


 踵を返した。


 三歩歩いて、止まった。


 振り返らないまま、低く言った。


「……あなたの音は」


 一拍。


「まだ、認めていない」


 それだけ言って、歩いていった。


 レンはその背中を見ていた。


 ミアが駆けてきた。


「レン! 大丈夫!? アリア様の結界の中で何が――」


「大丈夫」


「でも、あんな音が、外まで――」


 その時。


 空が、鳴った。


 雷ではない。低い。腹に響く、重い音。遠くから来る、鈍い振動。


 レンは空を見上げた。


 守護結界に、亀裂が走っていた。


 目に見える亀裂だった。学院全体を覆う半透明の魔力の膜に、一本、鋭い線が入っていた。決闘の余波が、外壁ごと揺さぶったのだ。


 その亀裂の向こう、遠い空の端に。


 何かが動いていた。


 鳥ではない。


 整然とした、黒い影の群れだった。


 レンは目を細めた。


 右手を、静かに握った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                    ━━つづく━━


【あとがき】


 4話まで読んでくださり、ありがとうございます。


 今回、一番苦心したのは「声のないラップ」をどう表現するか、という問題でした。

 音がない。声が出ない。でも、言葉は届く。

 その矛盾を成立させるために、「魔力そのものをリズムにする」という理屈を作り、

 括弧書きのリリックという形式で表現しました。

 読んでいて「脳内に直接流れ込んでくる感じ」が出ていれば成功です。


 アリアについて。

 「折れた」ではなく「崩れた」と書きました。

 能動的な敗北ではなく、気づいたら崩れていた。

 そこが重要です。彼女は「負けた」のではなく、「暴かれた」のです。

 その違いが、5話以降の「監視という名の執着」に繋がっていきます。


 ラストの亀裂と黒い影。

 5話で帝国軍が侵入できるのは、この「隙」があったからです。

 アリアとレンの決闘が、図らずも学院の防壁を揺さぶってしまった。

 二人の衝突が、外の世界を引き込む引き金になる。

 そういう因果を仕込んでいます。


 「まだ、認めていない」というアリアの最後の一言。

 「認めていない」と言えるということは、認めかけている、ということです。

 本人だけが気づいていません。


 5話もよろしくお願いします。


                       作者より

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