第3話 『リリックに宿る業(カルマ)』
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裏庭に、風が通っていた。
石畳の隙間から雑草が顔を出す、手入れの行き届いていない一角。学院の壁が三方を囲み、昼間でも日当たりが悪い。人が来ない理由が分かる場所だった。
桐島レンはそこに腰を下ろし、右手を眺めていた。
指先が、まだ微かに痺れていた。
プラズマ化した火球を放った際の反動だ。魔力の圧縮密度を上げすぎた。術者の身体にも相応の負荷が返ってくる。分かっていて、それでも加減しなかった。
なぜか。
自分でも答えは分かっている。
ここが「本物の場所」かどうか、確かめたかった。
右手を握り、開く。痺れが走る。その感覚が、別の記憶を呼び覚ました。
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コンクリートの冷たさ。
雨水と機械油が混ざったような匂い。街灯一本だけが灯る路地裏。
フラッシュバックは唐突に来る。いつもそうだ。
佐藤猛、十六歳。
後に「MC.デス・ライム」と呼ばれる男が、初めてマイクを握った夜。
場所は横浜の外れ、再開発から取り残された密集住宅地の地下。狭い部屋に煙草の煙と怒号が充満していた。観客の半分はギャングで、残り半分は金に困った連中だった。そこで負けたら何を奪われるか、十六の子どもには想像もできなかった。
でも、マイクを渡された。
それだけが分かっていた。
口を開けば何かが来る。黙っていれば何かを失う。
選択肢は、一つしかなかった。
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中身のない言葉は死を招く。
それを最初に教えてくれたのは、同じ路地裏で育った二歳上の先輩だった。
彼は見栄だけのリリックを吐いてバトルで崩れ落ち、翌日には街から消えた。居場所ごと消えた。
その背中を見て、猛は理解した。
フェイクはバレる。
舞台の上では、全部バレる。
声の震え、言葉の軽さ、魂のない韻。観客は残酷なほど正確に、本物と偽物を嗅ぎ分ける。
だから猛は本物の言葉だけを選んだ。
腹の底から出てくる言葉。恐怖も怒りも飢えも、全部そのまま乗せた言葉。磨き上げる暇がない時は、削ぎ落とした。残ったものだけを、吐き出した。
韻は弾丸だ。
フロウは引き金だ。
撃った言葉は戻らない。だから一発一発に、命を乗せた。
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右手の痺れが、じくりと疼いた。
レンは現在に戻った。
石畳。草の匂い。異世界の空気は現代より少し甘い。魔力が空気に溶け込んでいるからだと、この世界に来てすぐに気づいた。
あの頃のコンクリートの匂いとは違う。
でも、感覚は同じだった。
ここでも、言葉は武器だ。
ここでも、本物しか通らない。
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草を踏む音がした。
ミアだった。
息が少し上がっている。探し回っていたのだろう。裏庭の入口で立ち止まり、レンの姿を見つけて、ほんの少し安堵したような顔をした。それからすぐに、別の表情が混じった。
畏怖だった。
「……ここにいたんだ」
「うん」
ミアは近づいてきて、レンの隣に立った。座ろうか迷うそぶりを見せて、結局座った。
しばらく黙っていた。
風が通る。草が揺れる。
「……聞いていい?」
「どうぞ」
「どうして」ミアは膝に視線を落としながら言った。「あんなデタラメなやり方で、誰よりも強い魔法が撃てるの?」
その問いに、レンはすぐには答えなかった。
右手を見た。痺れはまだある。
「デタラメじゃねぇよ」
静かに言った。
「俺にとっては、これが『本物』の言葉だってだけだ」
「……本物の、言葉?」
「定型文ってのは、誰かが作った言葉だろ。先人が磨いて、型にはめて、誰でも使えるように整えた言葉。それ自体は悪くない」
レンは空を見上げた。
「でも俺は、誰かの型に魂を入れることができない。自分の言葉でしか、魔力に火がつかない。そういう性質なんだと思う」
ミアは黙っていた。
「……それって、生まれつき?」
「違う」
一拍、置いた。
「身体に叩き込んだんだ。ずっと昔に」
それ以上は言わなかった。ミアも、それ以上は聞かなかった。
二人の間に、静かな時間が流れた。
それが破られたのは、次の瞬間だった。
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空気が、変わった。
温度ではない。質が変わった。
ミアが先に気づいて、立ち上がった。レンは一拍遅れて、裏庭の入口に目をやった。
いた。
アリア=ヴェルセット。
昨日と同じ、完璧に整った銀髪。同じ制服なのに、纏う雰囲気が授業中の生徒と同じとは思えない。彼女の周囲の空気が、微かに凪いでいた。音が、薄い。
ミアが一歩後退した。
「ア、アリア様……なぜここに……」
アリアはミアを一瞥した。それだけで、ミアが口を閉じた。
紫の瞳が、レンに向く。
「演習場の一件、聞きました」
声は低く、感情を削ぎ落とした刃のようだった。
「外壁の修繕費は学院持ちになるそうね。あなたの『フリースタイル』とやらのせいで」
「修繕費は払います」
「問題はそこじゃない」
アリアが一歩、踏み出した。
それだけで、裏庭の空気が変わった。
彼女の魔力が、静かに広がっていた。波立ちもなく、音もなく、ただ「静寂」という概念そのものが空間を満たしていくような感覚。
レンは立ち上がった。
「面白い魔力だ」
「黙りなさい」
「沈黙の魔術か。消音系は珍しい」
「黙れと言っています」
アリアが、手を上げた。
その瞬間だった。
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音が、消えた。
完全に。
風の音が消えた。草の揺れる音が消えた。自分の足が石畳を踏む音が消えた。
ミアが何か叫んでいるのが見えたが、声が届かない。口が動いているだけの映像になった。
沈黙結界。
アリアの魔力が半径十メートルの球状空間を包み、その内側から音という音を根こそぎ奪っていた。
アリアの口が動いた。声は聞こえないが、読めた。
―――あなたの音はノイズ。世界の調和を乱す汚物よ。
レンは唇を読んで、少し目を細めた。
外壁ごと吹き飛ばした魔法。それを遠巻きに見ていて、尚かつ即座に対策を講じてここまで来た。ただのツンデレ学院生ではない。
本物の実力者だ。
そして今、自分は無音の檻に入れられている。
ラップは声だ。声は音だ。音がなければ、言葉は届かない。
これが彼女の答えだった。
戦うな、ではない。
戦えないようにしてやった、だ。
レンは右手を見た。まだ痺れている。
そしてふと、思い出した。
横浜の路地裏。煙草の煙。マイクを握った夜。
あの時も音響が飛んだ。機材トラブルで、マイクが死んだ。
観客がざわついた。誰かが笑った。
でも猛は、マイクなしで吐いた。
生声で、吐いた。
声が届く届かないは、関係なかった。
言葉を吐くのは、相手のためじゃない。
自分の魂が、それを要求するからだ。
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レンは、無音の中で口を開いた。
声は出ない。
空気を震わせても、音という形にならない。アリアの結界がそれを許さない。
でも、言葉は紡げる。
唇が動く。リズムが、身体の内側で鳴る。心臓が、ビートを刻む。
音のない場所でも、魂の韻は止まらない。
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(黙らせたいなら もっとやれよ
心臓まで 止められるなら 話は別だ
言葉ってのは 喉じゃなくて
腹の底から 湧いてくるもんだ
お前の静寂 綺麗だけどよ
俺の業火は 音より速い
聞こえなくても 届いてんだろ
今お前の 胸が 騒いでる)
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アリアが、わずかに眉を動かした。
声は届いていない。聞こえていない。
なのに。
胸の奥で、何かが鳴った。
微かに。ほんの一瞬。
それが何なのか、彼女には分からなかった。分かりたくもなかった。
アリアは結界を維持したまま、レンを見据えた。
その目に初めて、怒り以外の何かが混じった。
名前のつけられない、感情の欠片が。
レンは無音の中で、不敵に笑った。
「音がない?」
声は届かない。でも口は動く。
「……上等だ。俺の心臓は、まだ止まってねぇ」
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つづく
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【あとがき】
3話まで読んでくださり、ありがとうございます!
今回はずっと書きたかった「レンの過去」に踏み込みました。
でも、長い回想にはしたくなかった。
「コンクリートの匂い」「煙草の煙」「マイクが死んだ夜」、
断片だけで過去が見えてくるように意識しています。
「韻は弾丸、フロウは引き金」
この一行、今話で一番気に入っています。
ラップが娯楽ではなく生存戦略だったという重みを、
異世界の魔法バトルに繋げるための、核になる言葉です。
そしてアリア。
今話では「崩さない」と決めていました。
彼女はまだ壁です。高くて、冷たくて、完璧な壁。
でも、無音の中でレンのリリックを「感じてしまった」。
声も聞こえていないのに。
その一瞬の「名前のつけられない感情の欠片」が、
この先の彼女の変化の種になります。
次話ではついに、二人が直接ぶつかります。
音なき戦い、決着編。
アリアの沈黙結界をレンがどう突き破るか、お楽しみに。
4話もよろしくお願いします。
作者より




