第2話 『身体が覚えているリズム』
特別個室寮の窓から、朝の光が差し込んでいた。
桐島レンは湯上がりのまま椅子にもたれ、天井を見上げていた。
風呂が、よかった。
石造りの浴槽に魔力で温めた湯を張るという、この世界の入浴スタイル。現代日本のシャワーとは比べ物にならないが、広くて静かで、一人で入るには充分すぎる。食事も悪くなかった。昨夜は見知らぬ香草と獣肉の煮込みが出たが、なぜか懐かしい味がした。
(悪くない場所だ)
転生してからずっと、あちこちを転々としていた。宿屋の二段ベッド、野宿、馬車の荷台。それと比べれば、石壁に囲まれたこの個室は天国に近い。
コンコン、とドアが鳴った。
レンは振り向きもせず言った。
「開いてる」
扉が開く音。次いで、少し間があった。
「……なんで鍵かけてないの」
ミア=カルロッタの声だった。呆れているのか、怒っているのか、よく分からない声色で。
「かける理由がない」
「あるでしょ普通」
レンはようやく振り向いた。ミアは扉の前で立ったまま、どこか落ち着かない様子で視線をさまよわせていた。
「何しに来た」
「……叱りに来た」
「叱りに」
「そう。昨日のあれ、完全に試験妨害じゃない。ドラクスは貴族で、もし訴えられたら――」
「訴えてこないよ」レンは言った。「自分が公衆の前で自爆して気絶した話、わざわざ蒸し返すと思うか?」
ミアは口を閉じた。
論理的には正しかった。そしてそれが悔しいのか、彼女はますます視線を床に落とした。
レンはそんな彼女を一瞥して、テーブルの上の皿に目をやった。
「朝飯、食うか?」
「……え」
「まだあるぞ。パンと、なんか果物みたいなやつ」
ミアは数秒、固まっていた。
それから、ふわりと毒気が抜けた顔になって。
「……少しだけ」
椅子に座った。叱りに来たはずなのに。
レンはそれを見て、特に何も言わなかった。
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ただ、ミアには分かっていた。
自分が本当は何をしに来たのか。
昨夜、眠れなかった。あの「音」が、身体の奥にこびりついて離れなかった。レンのラップが脊髄を走り抜けた感覚。心拍が乗っ取られた感覚。どれだけ時間が経っても、思い出すたびに背中がぞわりとした。
だから確かめたかった。
実際に声を聞けば、ただの記憶の誇張だったと分かるはずだ。
そう思って来たのに。
「パン、もう一枚いるか」
レンが普通に喋っただけで。
ミアの背中を、細い電流が走った。
(……なんで)
普通の声だ。魔力も何も込めていない、ただの問いかけだ。なのに身体が反応する。昨日の振動を、皮膚が覚えていた。
「……いらない」
声が、少し震えた。
レンは気づいていないのか、気づいていて無視しているのか。パンを自分の口に放り込みながら、窓の外を見ていた。
(ペースを握られてる)
分かっていた。分かっていて、どうにもならなかった。
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午前の実技授業は、屋外演習場で行われた。
石畳の広場。正面に並ぶ魔力強化された的。受験生たちが緊張した面持ちで整列する中、レンはミアの隣でまた欠伸をしていた。
「ちゃんとしてよ」とミアが囁く。
「してる」
「してない」
そこへ、包帯を巻いた人物が列に加わった。
ドラクス=ヘイゼルだった。右腕に白い包帯。額にも一枚。しかし目は昨日より鋭く、レンを見つけた瞬間に細くなった。
レンはちらりと見て、視線を戻した。
(興味なし)
その態度が、ドラクスの眉をさらに吊り上げたが、授業が始まったので何も言えなかった。
教官が前に出た。白髪交じりの厳格な顔つきの魔術師。腰まで届く杖を携え、生徒たちを見渡す。
「諸君、魔法とは何か」
声は静かだが、よく通る。
「心を静め、定型文を慈しみ、魔力を丁寧に積み上げることだ。昨今、邪道な詠唱が横行していると聞くが――」
一瞬、教官の目がレンに向いた。
「――この授業では、正しい魔術の作法を学んでもらう。課題は『ターゲット・バースト』。的に向けて火球を放ち、その精度と威力を評価する。では、番号順に」
生徒たちが順に演習場に立った。
多くが教科書通りの丁寧な詠唱で、小ぶりな火球を的に命中させた。それ自体は悪くない精度だった。ドラクスの番になると、包帯を巻いた右腕をかばいながらも完璧な詠唱で的を打ち抜き、周囲から小さな拍手が起きた。
彼はレンを一瞥して、唇の端を上げた。
「次は君の番だ。平民の『邪道』とやらを、拝見させてもらおうか」
レンは頷きもせず、演習場の中央に歩いていった。
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正面、十メートル先に的。
レンはそれを一秒見て、横を向いた。
「教官」
「なんだ」
「あの的、魔力強化されてますよね」
「そうだ。通常の火球程度では傷一つつかない」
「じゃあ後ろの壁は?」
教官が眉をひそめた。
「……的の後ろの石壁のことか? あれは演習場の外壁だ。強化はされていないが、そんな場所まで魔法が届くはずが――」
「一応、人がいないか確認してもらっていいですか」
沈黙。
教官は何かを言いかけて、しかし何故か確認に行った。戻ってきた顔が、若干白かった。
「……いない。が、なぜそんなことを聞く」
「念のため」
レンは前を向いた。
指を、パチンと鳴らした。
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低音が、落ちた。
昨日とは違う。昨日は戦いだった。今日は違う。今日は純粋な、魔力の加速だ。レンは息を吸い、リズムを身体の芯に落とし込み、口を開いた。
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「聞けよ これが オレの名刺
言葉に乗せた 魔力は ハード
韻が圧縮 熱量 スタンダード超えた
ファイア・ボール 音速超えて プラズマに変わった
グルーヴが加速 定型文じゃ 追いつけないぜ
これが俺の フリースタイル・マジック 覚えとけ」
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ミアは最初の一音で、膝が笑い始めるのを感じた。
昨夜あれだけ覚悟したのに。実際に声を聞いたら慣れるはずだと思っていたのに。
むしろ、悪化していた。
昨日より低い。昨日よりリズムが複雑で、身体の奥まで届く波長が、皮膚の下で共鳴する。心臓が勝手にビートを刻み始め、呼吸の仕方を忘れそうになる。
声が、震えた。こらえようとすればするほど、甘い痺れが首筋から背中へ流れ落ちた。
(だめ、立ってられない……っ)
ミアは必死に両足に力を込めた。隣の生徒に気づかれないように、唇を噛んで、目を細めた。
それでも足が、じわじわと言うことを聞かなくなっていった。
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演習場の中央で、変化が起きていた。
レンの掌の前に現れた火球が――普通ではなかった。
通常の火球は赤い。丸く、ぼんやりと燃える、教科書通りの魔法だ。しかしレンの手元で生まれたそれは、みるみる色が変わっていった。赤から橙、橙から白、そして白から、目を細めなければ直視できない青白い光へ。
ドラクスが目を見開いた。
「あれは……なんだ? ただの火球が、なぜ……」
「プラズマ化……?」隣の生徒が呟いた。「魔力の圧縮密度が、ありえない……!」
「定型文なしで、あの出力……?」
「そんな馬鹿な、理論的にあり得――」
レンが手を振った。
青白い光体が、音を置いていった。
ドン、という音が来たのは、一拍遅れてからだった。
的が、なかった。
的があった場所が、なかった。
石畳に直径一メートルほどの焦げ跡が残り、その先、演習場の外壁に――縦三メートル、横二メートルほどの穴が、開いていた。
石壁が、消えていた。
穴の向こうに、朝の空が見えた。
静寂。
教官が、杖を取り落とした。
「…………的が、ない」
「壁も、ないですね」レンが言った。「すみません、加減が難しくて」
「加……減……」
教官の膝が、ゆっくりと折れた。
「定型文を……使わずに……あの密度を……そんな、百年の魔術理論が……」
その場に座り込んだ。
クラスメイトたちは全員、口を開けたまま動かなかった。ドラクスだけが、両手を握りしめて唇を震わせていた。
「ありえない……ありえない、ありえない……! なぜ平民の、あんな雑な詠唱が――!」
誰も答えなかった。答えられる者が、いなかった。
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レンは振り向いた。
ミアが、石畳に片膝をついていた。
顔が赤い。いや、耳まで赤い。両手を石畳についていて、立ち上がれない様子だった。
レンは歩み寄って、手を差し伸べた。
「ほら」
「……っ」
ミアが手を取る。立ち上がりながら、目が合った。
レンは少し屈んで、耳元で言った。
「お前もリズム取ってみろ。魔法がもっと『気持ちよく』なるぜ?」
ミアの耳が、瞬時に真っ赤になった。
ぱっと手を離して、後退した。
「……っ、バカ」
声が、くぐもっていた。
レンは特に表情を変えず、演習場の外壁の穴を眺めた。直しといた方がいいかな、と他人事のように思いながら。
ミアは後退したまま、しかし視線だけはレンの背中に向いていた。
怒っているはずなのに。
恥ずかしいはずなのに。
目が、離せなかった。
胸の中で、まだビートが鳴っていた。
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つづく
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【あとがき】
2話まで読んでくださり、ありがとうございます!
今回は「日常パート」と「無双パート」の緩急を意識して書きました。
朝飯のシーン、個人的にかなり好きです。
ミアが「叱りに来た」はずなのに完全にペースを握られて
いつの間にか一緒にパンを食べている、あの流れ。
レンの「強さ」って、戦闘だけじゃないんですよね。
そして演習場のシーン。
「的だけじゃなく壁ごと消えた」という絵面、
書いていて笑いながらテンションが上がりました。
教官が杖を取り落として膝から崩れ落ちる描写、
「周囲の驚愕」を書く時のお気に入りパターンです(笑)。
ミアの身体反応、今回は少し踏み込みました。
「慣れるはずだった、でも悪化した」という逆転が
彼女の陥落をリアルにしてくれると思っています。
ラストの「胸の中で、まだビートが鳴っていた」という一文、
3話への橋渡しとして気に入っています。
アリアの再登場は3話から。
「汚らわしい音」と言いながら、彼女の魔力回路は
演習場の外でも、レンのリリックを拾っていた――かもしれません。
3話もよろしくお願いします。
作者より
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