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無自覚にわたしを蔑ろにする婚約者は、幼なじみの令嬢と『男友達』ごっこに夢中です

作者: 橘霧子
掲載日:2026/03/17

「ねえ、アリスター様。湖での舟遊びは、さぞ楽しかったのでしょうね?」


 ティーカップを置く私の手は、自分でも驚くほど静かだった。目の前に座る婚約者、公爵令息アリスター・フォン・ベルンシュタイン様は、彫刻のように整った顔に柔らかな微笑を浮かべて頷いた。


「ああ、最高の気分だったよ、セシリア。あそこの領地の湖は、この時期、水面が鏡のように澄んでいてね。ロザリンドも『昔を思い出すわね』と喜んでいた」


 悪びれる様子は微塵もない。

 彼は先日、二週間にわたって、幼なじみのロザリンド公爵令嬢の領地へ()()に出かけていた。家族ぐるみの付き合いだというから、渋々送り出したのだ。だが、蓋を開けてみれば、二人きりでの遠乗りや舟遊びに興じていたという。


「……二人きりで舟に乗るのは、王都では『求愛』や『密会』と取られますわ」


 ふつふつと、沸き起こる不満を隠し。静かに指摘すると、アリスターは「ははっ」と愉快そうに笑った。


「よしてくれ。相手はロザリンドだぞ?  幼い頃から泥にまみれて一緒に駆け回った仲だ。僕にとっては、騎士団の部下や、気心の知れた男友達と何ら変わりない。彼女も同じことを言うはずだ」


 私は目の奥が熱くなるのを必死に抑えた。

 彼がそう思っているとして、彼女が同じとは限らない。現に、彼女が彼に向ける視線は、ただの友達に対するそれではないことを、私は知っている。


「……そうですか。『男友達』……ですか」

「ああ、そうだとも。君という最愛の婚約者がいながら、僕が他の女性に懸想するなどありえない。安心しておくれ、セシリア」


 彼は私の手をとり、慈しむように指先にキスをした。その仕草はあまりに優雅で、愛情に満ちている。だからこそ、突き放すきっかけを失い、私の心には澱のような虚しさだけが溜まっていく。

 そして、決定的な出来事が起こってしまった。








 私たちは、王立歌劇場で観劇をする約束をしていた。

 この日のために新しいドレスを新調し、三日前から念入りに肌の手入れをして備えていた。一年後の結婚式に向けた、数少ない二人きりの時間になるはずだった。

 しかし、約束の時間の三十分前。

 彼の従者が、申し訳なさそうに屋敷を訪れた。


「申し訳ございません、セシリア様。坊ちゃんは、ロザリンド様が急な体調不良で伏せられたと聞き、見舞いへ向かわれました。本日の観劇は……」


 まただ。

「買い物に付き合ってほしいと言われた」

「新作の香水の相談に乗ってほしいと頼まれた」

「具合が悪いからそばにいて」

 などなど。

 理由は何でもいいのだ。ロザリンドが指を鳴らせば、彼は私との先約をゴミのように捨てて、彼女のもとへ駆けつける。家でも、茶会でも、夜会でも。どこへでも飛んでいくのだ。残された私のことなど、一切気にもせず。


「……アリスター様は、何と?」

「それが、セシリア様なら、坊ちゃんの事情を分かってくれる。セシリア様は賢明で慈悲深い女性だから、一人の友人を救う私を、誇りに思ってくれるはずだ、と……」


 鏡に映る完璧に着飾った自分を見つめた。

 髪を結い上げ、首元には彼から贈られたエメラルド。誰が見ても「将来を約束され、幸せな公爵家令息の婚約者」そのもの。

 けれど、中身は婚約者への不満という、汚らしい澱でいっぱいだ。


 怒鳴りつけられた方が、どれだけ救われただろう。「お前より彼女の方が大事だ」とはっきり言われた方が、どれだけ楽だっただろう。

 彼は私を「愛している」と言いながら、その実、私を蔑ろにし、時間をつなぎ止め、心をゆっくりと削り殺していることに気づいていない。いつも、愛や信頼を匂わせて、私の言葉は封じられてしまう。なんだかとても疲れてしまった。


「……分かりましたわ。アリスター様には『承知いたしました』と伝えてちょうだい」


 従者を見送って、ゆっくりと髪飾りを外した。重い宝石がドレッサーに落ち、鈍い音を立てる。鏡越しに、メイドに告げる。


「アリスター様は『男友達』を助けに行ったのですものね。ならば、私も『女友達』のところへ伺うことにしますわ」

「左様でございますか。どちらのご令嬢の元へ……?」

「いいえ。――『隣国の第一王子』という名の、私の学友(おんなともだち)のところよ」


 私は、これ以上ないほど淑女らしく、そして冷ややかに微笑んだ。メイドが二度三度と目を瞬かせるのも気にしない。

 アリスター様が『男の友情』という名の免罪符を振りかざすなら、私も同じ土俵に立たせてもらう。それだけだ。









「レオ、急にお邪魔してごめんなさいね!」

「いいや、君ならいつでも大歓迎だ。それにしても……ずいぶんと急いで来たようだね。また、婚約者殿と何かあったのかい?」

「ええ、そうよ、 聞いてちょうだい!」


 隣国トナーリ王国の第二王子、レオンハルト。幼い頃、政情不安でこ我が国に身を寄せていた彼を、保護していたのは当主だった私の祖父。同い年と言うこともあり、私たちは一緒に育てられた。まさに『幼なじみ』であり、性別を超えた『親友』。

 情勢が安定したトナーリ王国に戻ったあと、再び彼がこちらの大学に留学したのをきっかけに、顔を合わせた私たちは、同じ学び舎で切磋琢磨した間柄だ。


 今ではレオンハルトは第二王子として、トナーリ王国と我が国を繋ぐパイプ役を担っている。我が国の貴族同様に王都に屋敷を持ち、必要とあれば王宮に出向き、気が向けば優雅に社交をたのしむ。大抵は屋敷にいるので、先触れがなくても、いつでも会うことができる。

 私にとっては、気を遣わずに思いっきり、アリスター様の愚痴を言える唯一の人だ。


「そうか。それは酷いなぁ」


 話を聞き終えたレオンハルトは、ソファに身を沈めながら、天井を睨んだ。


「そうだな……この辺ですこし反撃してみないか?」

「反撃?」

「そうだよ。君は『女友達』として、僕のところに来たんだろう? だったら『女友達』として、君がアリスター卿と行く予定だった、観劇をしようじゃないか」

「なにそれ、すごく面白そう」


 私たちは馬車を劇場へと飛ばした。劇場に着くと、人目もはばからずに、淑女にあるまじき速さで廊下を駆け抜けた。ベルベットのカーテンを跳ね除け、ベルンシュタイン家のボックスシートへと飛び込む。


「はぁ……間に合ったわ!」

「お疲れ様、セシリア。さあ、幕が上がるよ」

「ええ。楽しみましょう」


 劇場中の貴族たちが、息を呑むのが分かった。

 ベルンシュタイン公爵家の席に、当主の息子ではなく、ほとんどの貴族にとっては見知らぬ━━しかし圧倒的に美しい異国の男と、アリスター様の婚約者である私が座っているのだから。観劇ところではない。公爵家にまつわるスキャンダルの現場にいるのだ。


「あれは、セシリア嬢では……?」

「隣にいらっしゃるのは、まさか……」


 ひそひそという騒めきを、私たちは完全に無視して舞台を愉しんだ。


 舞台の上では、すれ違う恋人たちが最後には手を取り合う、王道の感動作が演じられていた。

 終幕。鳴り止まない拍手の中、ハンカチでそっと目元を拭った。


「なんて感動的なお話だったの……」

「そうだね。最後、皆が幸せになって本当に良かった」

「ええ。やっぱり、愛し合う二人は誠実であるべきだわ。レオンハルト、あなたも泣いているの? そういう優しいところ、昔と変わらないわね」

「ああ、とても感動的だったからね。僕も涙が止まらなかったよ」


 レオンハルトは、誰が見ても愛しげな眼差しを私に向け、ハンカチで私の涙を拭った。そして私も、彼の頬にのこる雫のあとにそっとハンカチを当てた。


「さて、まだ夜は長い。このままどこかで夕食といこうじゃないか。君に聞かせたい話もたくさんあるんだ」

「そうね、ぜひ!  異性だと問題になるけれど、あなたは私にとって『最高の女友達』ですもの。二人きりの夜でも、何の問題もないわね」

「もちろん。では、とっておきの席を用意しよう」


 私たちは、あえて周囲に聞こえるような声で笑い合い、劇場の出口へと向かった。

 背後で貴族たちが、

「女友達……一体なんのこと!?」

「あの距離感で!?」

「相手は男性でしょ!?」

 と、パニックに陥っているのを感じながら。









 次に私たちが現れたのは、王都で最も予約が取れないと言われる、最高級レストランの特別室だった。

 従者たちは扉の外。

 厚い扉に仕切られた密室で、最高級のワインと料理が並ぶ。

 未婚の男女。夜の個室。

 これ以上ないほど『不貞』を疑われるシチュエーションだが、私たちは堂々としていた。


「美味しいわ、レオ。……ねえ、見て。あそこの窓の向こう。さっきから私たちの馬車を追ってきた野次馬たちが、遠巻きに見張っているわ」

「ははっ、全くだ。彼らも暇だね。ただの『親友』が食事をしているだけなのに」

「あの中に、新聞記者もいるかしら?」

「さあ、どうだろうね? 明日になれば解ることさ」


 レオンハルトは、私のグラスにワインを注ぎ足しながら、悪戯っぽく微笑んだ。カーテンを閉めればいいのだが、もちろんわざと開けて、室内が見えるようにしている。不貞を疑われないため? いいえ。『女友達』と楽しい時間を過ごしていることを、見せつけるためだ。


「明日には、王都中の噂になるわね。ベルンシュタイン公爵令息が、幼なじみの看病をしている間に、婚約者は隣国の王子と、夜の個室に消えた……って」

「いいじゃないか。僕たちは何も間違ったことはしていない。君の婚約者が言ったんだろう?  『性別が違っても、ただの友達なら問題ない』と」

「ええ、その通りよ」


 ワインを一口含み、うっとりと目を細めた。

 怒鳴り散らすよりも、泣いて縋るよりも、ずっと気持ちがいい。アリスター様は私を従順で清楚と思っているようだが、元来、すこぶる気が強いのだ。


「さあ、レオンハルト。もっと聞かせて。あなたが普段どんな『男友達』と何をして過ごしているのか……それとも、もう意中の人がいるのかしら?」

「……ああ。夜通し語っても、足りないくらいだよ。セシリア。なにしろ僕は気楽な第二王子だからね」


 私たちは、窓の外に広がる王都の喧騒をあざ笑うように、軽やかな笑い声を響かせた。

 きっと明日には、私の噂が貴族の間を駆け巡る。

 それを聞いたアリスター様が、どんな顔をするのか。

 私に「ただの友達だ」と言い返されたとき、彼はどんな言葉で自分を守るのか。

 楽しみで、食欲が止まらなかった。









 翌朝。王宮の回廊は、昨夜の劇場やレストランの話題でもちきりだった。

 ベルンシュタイン公爵家の次期当主、アリスターが登城すると、周囲の視線が突き刺さる。憐れみや好奇、そして嘲笑。徹夜したアリスターは、そんなものが自分に向けられていることに気付かぬまま、気だるげに廊下を歩く。


 アリスターは、充血した目をこすった。

 昨夜は一晩中、ロザリンドの寝台の横で、彼女の手を握っていたのだ。彼女は少し熱っぽく、弱々しい声で「行かないで、アリ。一人では寂しくて死んでしまいそうよ」と縋り付いてきた。

 幼なじみの危機を見捨てられるはずがない。ほとんど一睡もせず、公務のために登城した自分を、誠実な男だと自負していた。

 しかし、同僚たちのひそひそ話が耳に届いた瞬間、その高潔な精神はみごとに砕け散った。


「……セシリア嬢が、異国の美男子と個室で……」

「ベルンシュタイン家の席で、あんなに仲睦まじく……」

「アリスター様はロザリンド嬢に夢中のようですし、お互い様ですな」

「――何だと!?」


 アリスターは仕事を放り出し、馬を飛ばした。

 向かうはセシリアの家、グラハム伯爵邸。怒りで視界が赤く染まっていた。自分は看病という仕方のない理由があった。だが、彼女がしていることはただの不貞だ。


「セシリア!  説明してもらおうか!!」


 グラハム伯爵邸の執事の手を振り切り、アリスターはコンサバトリーに足を踏み入れた。

 そこでは、セシリアと彼女の母である伯爵夫人が、優雅に刺繍糸を選んでいるところだった。


「あら。……先触れもなく、何事でしょうか。ベルンシュタイン公爵令息ともあろう御方が」


 伯爵夫人の声は、真冬の湖底よりも冷たかった。

 その傍らで、セシリアはアリスターを見ることさえせず、母親から刺繍糸を受け取り、淡々と針を動かしている。


「何事か、ではない!  昨夜の噂を聞いたぞ。セシリア、君は見知らぬ男と劇場へ行き、レストランの個室にまで入ったそうじゃないか!  婚約者がいながら、そんな破廉恥な……っ!」


 アリスターの怒号に、セシリアはゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、以前のような献身的な愛の色は微塵もなかった。


「……不貞?  デート?  何をおっしゃるのかと思えば」

「しらばっくれるな!  街中の人間が見ているんだぞ!」

「落ち着いてくださいませ、アリスター様。昨夜のことは、デートではありませんわ」


 セシリアは、くすりと小さく笑った。


「あの方は、トナーリ王国の第二王子で、わたくしの『女友達』ですもの」

「……は?」


 アリスターの思考が停止した。今、一体彼女は何と言った? 悪びれもせずに。


「彼はトナーリ王国の政情不安の折に、わたくしの祖父が我が家にて保護しておりました。わたくしたちは、幼い頃から本当に、泥にまみれて庭を駆け回った仲なのです。彼にとって、わたくしは自分の部下や、気心の知れた『男友達』と何ら変わりない存在。そしてわたくしにとっても、彼は性別を超えた『親友』。……言うなれば、アリスター様にとってのロザリンド様と、全く同じですわ」

「な、何を馬鹿な……!  相手は男だろう!  劇場の席で、君の涙を拭っていたと……!」

「あら、友人が泣いていたら、その涙を拭うは当然ではありませんか?  アリスター様も、ロザリンド様の手を握ったり、二人きりで舟遊びをなさったでしょう?  それと同じです。わたくし、あの時やっと理解できましたの。アリスター様の『純粋な友情』というものを」


 セシリアは立ち上がり、完璧なカーテシーを見せた。


「ですから、アリスター様なら分かってくださるはず。あの方は、わたくしの心を癒してくれる大切な『女友達』。彼との時間を優先した私を、寛容で慈悲深いあなたなら、きっと誇りに思ってくださるわよね?」


 昨日、アリスターの従者が伝えた言葉を、そっくりそのまま突き返したのだ。

 アリスターは口を金魚のようにパクパクと開閉させた。

 反論しようにも、ここで「男と女に友情は成立しない」と言えば、自分とロザリンドの関係をも否定することになる。自ら作り上げた『友情』というルールが、鋭い刃となって自分の首元に突きつけられていた。


「それからお母様……」


 セシリアは、楽しげに母親へ微笑みかけた。


「レオ……あ、私の『女友達』から、今度は彼の別荘に二週間ほど遊びに来ないかと誘われているの。もちろん、二人きりで遠乗りや舟遊びを楽しむつもりよ。よろしいかしら? アリスター様も、快く送り出してくださるわよね?」

「ええ、そうね。だって『ただの友達』なんですもの。ですが念の為、ベルンシュタイン公爵閣下へは、事前に承諾をいただきましょう。閣下も、まさかご子息の『男友達』を許しても、あなたの『女友達』を許さないなどという、不公平はなさらないでしょうけど。なにぶん貴族たるもの、外聞を憚りますものね。……ねえ、アリスター様?」


 伯爵夫人の冷ややかな笑みに、アリスターは膝が震えるのを感じた。

 この家では、すでに話がついているのだ。

 セシリアが蔑ろにされ、傷つけされた報いを、無神経な婚約者にどう分からせるか。その方法の全てを、セシリア自身に委ねるのだと。


「ダメだ!  ダメだ、ダメだ!  とにかく、そんなことは絶対に認めないぞ!」


 柔らかな光が溢れるコンサバトリーに、アリスターの大人げない叫びが響き渡った。

 自分のことは棚に上げ、セシリアの主張をおのれの感情のままに叩き潰そうとするその姿は、高貴な公爵令息というよりは、おもちゃを取り上げられた幼児のようだった。


「……何がダメなのですか?  相手は『女友達』だと言っているではありませんか」


 セシリアが静かにに問い返しても、アリスターは「とにかくダメなものはダメなんだ!」と、顔を真っ赤にして吐き捨て、逃げるように伯爵邸を後にした。

 馬に飛び乗り、がむしゃらに王宮へと戻る道中も、彼の怒りは収まらない。


 アリスターには、セシリアの考えがさっぱり理解できなかった。婚約者のいる身で、男と夜の個室で過ごすなんて、世間体が悪すぎる。仲睦まじく食事する姿が、なぜ多くの貴族たちの目に止まったのかなど考えもせず、ただ、セシリアの愚行を破廉恥と毒づいた。


 王宮に戻るなり、アリスターは同僚の騎士たちを捕まえて、怒濤の勢いで愚痴をぶちまけた。


「聞いてくれ!  セシリアが、あろうことか『女友達』などと称して、トナーリ王国の第二王子と密会していたんだ!  信じられるか?  婚約者がいる身で、劇場やレストランを連れ回すなんて!」


 彼は、同僚たちが「それはひどいな」「セシリア嬢らしくない」と同情してくれるのを期待していた。

 しかし、返ってきたのは、凍りついたような静寂と、冷ややかな視線だった。


「……アリスター。お前、本気で言っているのか?」


 一人の同僚が、あきれ果てたように口を開いた。


「何がだ?  彼女は不貞を働いているんだぞ!」

「いや、『そういうことか』と、みんな納得しているんだよ」


 別の同僚が、肩をすくめて続けた。


「お前がロザリンド様と深夜まで二人きりで遊び歩いていたり、仕事を放り出して自宅にまで駆けつけるのは有名だ。最近では社交の場でも、セシリア嬢ではなく、平然とロザリンド様をエスコートしているじゃないか。セシリア嬢は、それをそのまま、そっくりお前にやり返しただけだろう?」

「何を言う!  俺とロザリンドはただの親友だ。やましいことなど何もない!」

「それをセシリア嬢も言っているんだろう?  『ただの友達だ』と。お前がロザリンド様を『男友達』だなんて言い張るから、彼女も向こうの男を『女友達』だと定義した。……それだけの話だろう?」

「しかもトナーリ王国のレオンハルト王子は、セシリア嬢とは一緒に育った、兄のような御方じゃないか。知らないお前の方が非常識だぞ?」

「成人してから出会ったお前より、ずっと強い絆があるのは間違いないな。彼女の言うとおり兄であり、『親友』なんだろう」


 アリスターは絶句した。


「だ、だが、向こうは男で……」

「いいか、アリスター。よく聞け」


 年長の同僚が、諭すように彼の肩を叩いた。


「冷静になって自分の行動を反省しろ。セシリア嬢ほど賢明で誇り高い女性が、本気で不貞を働くはずがないだろう。もし彼女が新しい恋に走るなら、お前にあてつけるような、まどろっこしい真似はしない。さっさと婚約解消を突きつけてから、堂々と次へ行くはずだ」


 周囲の頷き。それは、セシリアへの信頼と、アリスターへの失望の現れだった。


「今、彼女がそうしていないのは、お前に『気づけ』と警告しているからだ。これ以上、ロザリンド様との距離感を間違えるなら……セシリア嬢から完全に見切りをつけられるぞ」

「ロザリンドは親友なんだ!  そんな理屈が通るか!  なぜ、みんな分かってくれないんだ!!」


 アリスターの叫びは、騎士団の執務室に虚しく響いた。

 彼にとっての『友情』は聖域だが、セシリアにとってそれは不潔な裏切りにしか見えない。

 自分だけは例外だと信じ込んでいるアリスターは、セシリアが着々と外堀を埋めていることにも、全く気づいていないのだった。









「……これは、レオから?」


 グラハム伯爵邸の広間に届けられたのは、目が眩むような豪華なドレスやアクセサリーの数々だった。

 アリスター様がロザリンド様に贈ったものと、色もデザインもそっくり━━けれど、質は数段上の最高級品。短期間にこれだけのものを用意するなんて、レオンハルトは少し無理をしすぎだ。


「ええ。『親友として、君に似合う最高の戦闘服を贈らせてくれ』だそうよ」


 メッセージカードを読む母の声に、くすりと笑ってしまった。彼は明らかに、私に手を貸すと同時に、この状況を愉しんでいる。わざわざアリスター様の真似をして、そのうんと上をいくなんて。私は、レオンハルトからの贈り物を、『友人からの厚意』として悠然と受け取った。


 一方、アリスター様は今更ながら焦りを感じているようだ。彼は名誉挽回とばかりに、大急ぎで仕立てさせたドレスを抱えて、私の元へ駆けつけた。


「セシリア!  今夜のモートン侯爵家の夜会は、ぜひこのドレスで……!」


 しかし、試着したドレスは全くの期待はずれだった。サイズが合わないのだ。それでも何とか胸を押し込んで、息を殺しながらソロソロと、アリスター様にお披露目した。


「……アリスター様。これ、腕が上がりませんわ」

「えっ!?  そ、そんなはずは……最高級のシルクを使わせたんだ!」

「素材はどうでもいいのです。サイズがわたくしに全く合っていません。無理に胸を押し込んで、なんとか着ましたけど、呼吸をするのもやっとです。……もしかして、ロザリンド様のサイズを基準に、適当に直しを入れさせたのではありませんか?」

「そ、そんなことは……!  ただ、急ぎだったから、馴染みの店にある型を流用しただけで……」


 アリスターは言葉を詰まらせた。確かに、彼が「いつものサイズで」と店に頼んだ際、店主が思い浮かべたのは、最近頻繁に注文を受けていたロザリンドの体格だった可能性もある。


「……謝罪は結構ですわ。ベルンシュタイン家御用達の店で、わたくしの採寸を最後にしたのは、もう二年も前ですものね。合わなくて当然でしょう。こちらはお気持ちとして、タンスの奥に頂戴しておきますわ」

「セシリア……っ」

「仕方ありませんでしょう? このドレスでは、わたくし、立っているのも大変ですもの」


 贈り物なんかより、もっと大切なことがあるでしょうに。目先のことに囚われて、アリスター様は肝心なことにまだ気付いていない。


「今夜の夜会、エスコートのお約束はいただいておりませんでしたわね? パートナーがいなくては恥をかきますから、わたくしのエスコートはレオに頼みました。どうぞお構いなく」

「そ、そんな……」

「あら、でしたらアリスター様がエスコートしてくださいますの?」

「いや、今夜もロザリンドに頼まれて……」

「でしたら、ロザリンド様との約束を守って差し上げなければ。わたくしも何度も経験いたしましたが、直前で約束をすっぽかされることほど、悲しいものはありませんもの!」


 魂が抜けたようなアリスター様を、執事が遠慮なく屋敷から追い出した。私はアリスター様から贈られたドレスを脱ぎ捨て、レオンハルトから贈られた戦闘服という名のドレスを纏った。時間より少し前にレオンハルトが到着し、私は彼のエスコートで、モートン侯爵家の夜会へと向かった。









 モートン侯爵邸。

 公爵令嬢ロザリンドは、アリスターの腕に甘えるように寄り添い、悦に浸っていた。美しい自分には、美しいアリスターが良く似合う、と。


 彼女の脳裏には、自身の婚約者である、小国チッサイナー王国の王弟、ジョナサンの姿が浮かぶ。

 顔は平凡、愛嬌もなく、会話も退屈。王弟という中途半端な地位で、財力もない。チッサイナーの国力は自国の半分程度だから、王族といえど、その暮らしぶりがどんなものか、想像は簡単だ。

 おまけにジョナサンは十才も歳上のおじさん。それでいて初婚だなんて。売れ残りを押し付けられるなど、まっぴらだった。


 結婚すれば自分はこの華やかな社交界を去らねばならない。そして、パッとしない小国の王弟妃として、中途半端な立ち位置の貴婦人の生活に、甘んじなければならないなど。考えるだけで、身震いが止まらない。


 あんな地味な男と、冴えない王宮で一生過ごすなんて、絶対に嫌!  私は、アリスターのような美男と、この国で輝き続けるのよ。そのために、少しずつ、アリスターとの恋愛関係を匂わせる行為を繰り返してきたのだから━━これが、偽らざる、ロザリンドの本音だ。


「アリ、大丈夫よ。私たちは『対等な友達』なんだから。邪推する方がいやらしいわ」


 不安げに周囲を気にするアリスターに、ロザリンドは呪文のように言い聞かせた。


 家族には「出国前の最後の自由だ」と泣きついて、アリスターをエスコート役に指名させた。婚約者が会場の隅にいることなど、彼女の関心の外だ。政略結婚で小国に嫁ぐ娘や妹に、家族は同情的だった。我儘を止めるどころか、率先してアリスターを呼びつける始末だ。


 アリスターの婚約者が思った以上にしぶとくて、未だに婚約解消には至っていないのが悔しいが。常に幼なじみを優先する不実な男に、いつまでも恋心を抱き続ける令嬢はいない。誰だって恋人の一番になりたいのだ。誰かの二番目で居続けることなど、耐えられるはずがない。

 そうして『友達』という毒を注ぎ続ける。

 ロザリンドは、ジョナサンが婚姻を焦らないことをいいことに、時間をかけてでもアリスターを手に入れるつもりだった。自分にはなんの瑕疵もつけずに。


 しかし、会場に入った瞬間、ロザリンドは奇妙な違和感を覚えた。

 いつもなら最高位に位置する令嬢に、羨望の眼差しを向けてくる貴族たちが、今日はあからさまに視線を逸らし、あるいは嘲るような冷笑を浮かべているのだ。


「……ねえ、アリ。なんだか皆さん、様子が変じゃない?」

「ああ……なんだか、ひどく居心地が悪いな……」


 そこへ、高らかに彼らの名が呼ばれた。

 トナーリ王国の王子レオンハルト。そして、その腕にエスコートされているのは、アリスターが贈った不良品ではなく、レオからの友情の証で着飾り、輝くセシリアだった。


 アリスターは一気に体温が急降下するのを感じた。セシリアの装いには覚えがあった。つい最近、自分がロザリンドへ贈ったものと、一式そっくり同じだったのだ。それでいて、明らかに自分が用意したものより上等だ。なんという当てつけ。


「あら、アリスター様。ロザリンド様とご一緒でしたの?  本当に、仲の良い『お友達』ですこと」


 セシリアは、レオンハルトのエスコートに身を任せながら、すれ違いざまに微笑んだ。

 レオンハルトはレオンハルトで、アリスターの顔を見るなり、勝ち誇ったような、それでいて心底面白そうな笑みを浮かべている。

 会場の視線が集中していた。


 婚約者を放置して幼なじみをエスコートする男と。

 その横暴に耐えるどころか、男が幼なじみに贈ったものをそっくり真似しながら、より上等な装いに身をつつみ、より高貴な男をエスコート役として連れてきた婚約者。


 貴族たちは、今宵、どんな新たな展開が繰り広げられるのかと、興味津々だった。


「大丈夫よ、アリ。私たちはただの友達だもの。……そうよね?」


 ロザリンドの声が、寒々としたホールに虚しく響いた。アリスターの答えはない。アリスターの瞳は、レオンハルトと談笑する、セシリアに釘付けだった。


 やがてダンスの時間になり、モートン公爵夫妻の熟練したダンスが披露された後、次々と招待客がダンス加わる。アリスターが身を乗り出しながら、ロザリンドの腕を解こうとする。ロザリンドはアリスターの腕にしがみつき、決して離れようとはしない。もたもたしている間に、セシリアはレオンハルトに促され、ホールの中央への繰り出した。

 アリスターの頬が、朱色に染まった。悔しげに、その拳を握りしめて、睨むように踊る二人を見つめていた。









「いい加減にしたまえ!  セシリア、僕という婚約者がいながら、他の男と睦まじく踊るなんて!」


 ダンスを終えた私たちのもとへ、アリスター様が血相を変えて突っ込んできた。腕に縋り付くロザリンド様を、邪魔だと言わんばかりに引きずりながら。


「あら、アリスター様。わたくしに何のご用かしら?」

「用も何もあるか!  周りの目を見ろ!  恥ずかしくないのか!」

「おっと、そこまでだ」


 レオンハルトが、私の肩を抱くようにして前に出た。その口元は楽しげに歪んでいる。内心、「うわぁ、ケンカ売ってきたよ、この男。最高に面白い展開になってきたな!」と爆笑をこらえているに違いない。


「アリスター卿。僕はただ、『親友』として、セシリアとダンスを楽しみ、彼女を僕の国に招待したいと話していただけだよ。一生、僕のそばで笑っていてほしいくらいの、最高の親友としてね」

「あら、それも素敵ね」


 私が微笑んで同調すると、アリスターの顔は屈辱でさらに真っ赤に染まった。


「冗談じゃない!  セシリア、何を考えているんだ!  異国の王子と二人きりで旅に出るなど、正気の沙汰か!」

「おやおや、お互い様だろう?」


 レオンハルトが茶化すように肩をすくめる。


「君だって、二週間も『幼なじみ』のロザリンド嬢の領地に泊まり込んで、2人きりて遠乗りや舟遊びをしていたじゃないか。それこそ、貴国の価値観に照らし合わせたら、正気の沙汰じゃないと、僕は思うけれど?」

「それは……領地へは家族ぐるみで招待されたのです! ロザリンドと遠乗りや舟遊びをしたのは、純粋に友達、『男友達』のようなものだからです!  邪推する方がいやらしいと、ロザリンドも言っています!」

「ほう、その理屈は面白い」


 冷ややかな声が、議論に割り込んだ。

 人混みを割って現れたのは、ロザリンド様の婚約者、チッサイナー王国の王弟ジョナサン殿下だった。地味で目立たない印象の彼だが、その瞳には凍てつくような理知の光が宿っている。


「聞き捨てなりませんな。ベルンシュタイン公爵令息。確か貴国では、貴族の男女が二人きりで舟遊びをするのは、特別なものだったはず。ならばあなたと、我が婚約者ロザリンドとの仲も、客観的に見れば十分に不貞を疑えるものだが?」

「なっ……!  ジョナサン殿下まで何を!  僕はロザリンドを恋愛対象の女性などと思ったことは、ただの一度もありません!」


 アリスター様は必死に叫んだ。その言葉に、背後にいたロザリンド様の顔が、一瞬で強ばり血の気を失った。


「では、セシリアとの先約を何度もすっぽかして、ロザリンド嬢のもとへ駆けつけていたのは?」


 レオンハルトが追い打ちをかける。


「それは……ロザリンドが具合が悪かったり、急に予定がなくなって困ったと頼ってきたからですよ!  困っている友達を助けるのは、騎士として当然でしょう!」

「いや、アリスター卿。君が問答無用で飛び出して行けば、君の婚約者であるセシリアが、独りきりで放り出される立場になると、分からなかったのか?」


 レオンハルトの正論に、アリスター様は言葉を詰まらせた。


「は?  ……いや、だって、セシリアは僕の婚約者です。僕を愛しているのなら、僕の事情を理解して、僕のために我慢してくれるものだと……」


 言いながら、アリスターは泳ぐように視線を彷徨わせた。

 会場を包むのは、同情ではない。底冷えするような呆れだ。淑女たちは扇で口元を隠し、騎士たちは軽蔑を込めて鼻を鳴らした。

 レオンハルトがもう一度畳かけようと大きく息を吸ったところで、私はそれを制して、アリスター様に向き合った。

 ここからは、茶番劇では済まされない。ジョナサン殿下を巻き込んだ以上、しっかりと始末をつけなければ。


「……アリスター様」


 静かに問いかける。


「わたくしは、あなたのためならば、いくらでも寂しさにも理不尽にも耐えましたわ。ええ、愛していますから。……でも、これまでわたくしが味わってきた苦痛は、すべてロザリンド様のためのもの。なぜ、わたくしが、他人の……ロザリンド様のために、これほどまでに苦しみや、孤独を味わわねばならなかったのかしら?」

「そ、それは……」

「わたくしはあなたの婚約者であって、ロザリンド様の為の踏み石でも、あなたの自己満足のための道具でもありませんわ」


 周囲から「その通りだ」「あまりに身勝手すぎる」と同意の声が上がった。

 孤立無援となったアリスター様は、なおも往生際悪く呟いた。


「でも、ロザリンドとは親友なんだ……性別を超えた……」

「……なるほど。では、我が婚約者、ロザリンドにも聞いてみようか」


 ジョナサン殿下が、アリスター様の背後に隠れているロザリンド様を、冷徹な目で見下ろした。


「ロザリンド。お前にとって、ベルンシュタイン公爵令息が、本当にただの『同性の友達』のような存在だったのか。……嘘偽りなく、ここで答えてもらおうか」


 ロザリンド様は震えている。


 彼女が「ただの友達です」と言えば、これまでの思わせぶりな態度はすべて無駄になり、アリスター様の振る舞いが、ただの非常識となって終わる。ロザリンド様自身は何一つ傷はつかないが、その代わり、たとえアリスター様と私の婚約が解消されたとしても、恋愛対象として名乗りをあげることは、絶対にできなくなる。


「愛しています」と言えば、その場で不貞が確定し、ジョナサン殿下との婚約は破綻、実家もその責任を追求される。彼女自身も痛手を負うけれども、アリスター様の婚約が無くなった時には、そのまま後釜に座ることができる。少なくとも、ロザリンド様にはそうなる自信がある。


 なんという愚かな賭け。アリスター様がロザリンド様を伴侶として選ぶ可能性など、ロザリンド様が計り知れるものではないのに。

 究極の選択を迫られたロザリンド様が、絶望に満ちた顔でアリスターを見上げた。そうすれば、アリスター様が守ってくれるとでも言うかのように。









「友達なわけないじゃない!  私は、私はずっと、アリスターの妻になるつもりで……! 当たり前でしょ!? 好きでもない男を、ちょっと熱が出たからと枕元に呼ぶ!? そんなの、考えなくてもわかるでしょ!? 私はアリスターの妻になりたいの! チッサイナーみたいな田舎に、好き好んで嫁ぐ訳ないでしょ!!」


 ジョナサン殿下の追及に耐えかね、ロザリンドが絶叫した。思わず笑みがこぼれた。その告白は、アリスター様が守り続けてきた、『男友達』という聖域を、を木っ端微塵に打ち砕くものだった。

 ロザリンド様はジョナサン殿下に勝ち誇った笑みを向けた。


 次の瞬間。会場を凍りつかせたのは、アリスター様の悲鳴に近い拒絶だった。


「え、嘘だろ!?  ロザリンド、君……本気で言っているのか?  全然そんなつもりないよ!  僕は君を、本当に、心の底から男友達としか思っていないんだ!」

「何言ってるの……? あなた、私が呼んだらすぐに駆けつけてくれるじゃない。欲しいものだってくれるし、あんな微熱でさえ、一晩中看病を……!」

「そんなの、死にそうだと弱っている人を助けるのは当然だろ? 贈り物だって、君だけが特別じゃないよ。仲間にもなんでも買ってやってるさ。それなのに君と結婚なんて……想像しただけで気持ち悪い!」

「━━ッ!!」


 ロザリンド様は、賭けに負けた。その場で糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

 周囲の貴族たちは、もはや空いた口が塞がらない。

「まさか、この男、本当に、本気で、一点の曇りもなくロザリンド様を『男友達』だと思い込んでいたのか?」と。その純粋すぎる愚かさに、もはや怒りを通り越していた。挙句、「気持ち悪い」とまで言われてしまった、ロザリンド様への同情が場を包んだ。


「……身勝手な振る舞い、そして我が国への侮辱、十分に堪能した。ロザリンド、君との婚約は今この瞬間を以て破棄とする」


 ジョナサン殿下の冷徹な宣告。ロザリンド様の未来は、彼女自身の手によって閉ざされた。

 チッサイナーはたしかに小国ではあるけれど、我が国のエネルギー資源の供給国として、なくてはならない存在だ。その大事な貿易国を蔑ろにした彼女が、これから我が国で明るい場所に立つことは二度とない。

 ロザリンド様は、モートン侯爵の指示で、速やかに退出させられた。


「セシリア!  本当だ、信じてくれ!  僕が愛しているのは、セシリア、君だけなんだ!!」


 アリスター様が足元に縋り付く。その姿は、真実を悟って罰に震える、哀れな仔犬のようだった。優しく、アリスター様の頭を撫でた。

 レオンハルトが呆れたように「まさか、セシリア。許すのかい?」と問いかける。

 私は、ゆっくりと、そしてこの上なく優雅に微笑んだ。


「ええ。一度の過ちは誰にでもありますもの。今、アリスター様は人生で最も大事な教訓を得ましたわ。……ですので、今回は許します」

「ああ、セシリア!  ありがとう!」

「ですが。二度とお間違いなされませんように。次は、ありませんわよ?」


 私の微笑みは、許しの光というよりは、逃げ場を失わせる呪縛。

 周囲は、アリスター様への憐れみで背筋を凍らせた。素直に激昂して婚約解消を突きつけた方が、彼にとってはよほど慈悲深かったのではないか。そんな懐疑的な眼差しだ。


「ははは。やっぱり君は面白い。最高の『女友達』だよ、セシリア」

「ええ、レオ。あなたも最高の『女友達』よ。そしてジョナサン殿下。不本意な形ではありましたが、今後は末長く、我が家と良き関係を築いていただけませんか?」

「私はしがない田舎の王弟ですよ?」

「とんでもございません。貴国はわが国にとって、最重要国のひとつですわ。我が国の非礼を全て水に流して欲しいなどと、虫のいいことは申しません。ですが、まずはわたくしと、わたくしが嫁ぐベルンシュタイン公爵家を知ってくださいませ。わたくしは決して貴国を裏切りませんわ」

「なるほど……婚約者の件といい、この場で外交を繰り出す手腕といい、確かに、あなたは面白い方のようだ。いいでしょう。貴国との経済協定と、私の結婚問題は別問題とします。こちらこそ、末永くお付き合いいただきたい」


 ジョナサン殿下が差し出したその手に、そっと手を添えて、優しく握手を交わした。誰からともなく拍手が沸き起こった。

 ジョナサン殿下は私のアリスター様への対応を、計り知れない器量と、好意的に受け止めてくださったようだ。私の機転が、経済危機と戦争の火種さえも消し去った瞬間だった。









 一年後。

 王都の教会で行われた結婚式は、歴史に残るほど盛大なものとなった。

 王族に匹敵する、白銀の刺繍が施された豪華なドレスを纏い、新婦として教会に姿を現した私。その美しさに、誰もが息を呑む━━と言いたいところだけど。


 その隣に立つ新郎、アリスター・フォン・ベルンシュタイン公爵令息の姿に、参列者の視線は釘付けになった。


「……あれは、何だ?」


 彼の頭頂部は潔く剃り上げられ、残った髪を丁寧に結い上げた、東方の島国の伝統的な髪型――。

 私が、許しの条件としてアリスター様に突きつけた、誠意の証。

『ちょんまげ』での婚礼だ。


「……お似合ですわ、アリスター様」

「セシリア……君がそう言ってくれるなら、僕は一生、この姿で君に愛と忠誠を誓うよ」

「まあ、それは素敵ですこと」


 社交界の流行や美意識をすべて捨て去り、この国の文化に全くそぐわない、異形の姿で晴れの日を迎える。様々な国の文献を漁り、行き着いたのが、この『ちょんまげ』だ。これ以上に珍妙なスタイルは、残念ながら見当たらなかった。遥か遠い海の向こうにある島国の伝統など、我が国で目にしたことがある貴族などいない。間違いなく、この場にいる全ての人にとって、初めてのちょんまげとの出会いだ。


 この婚礼は歴史に残るものになる。アリスター様は過ちの償いとして道化となったと、笑われ続けるだろう。それこそが、私が彼に課した、一生涯続く私への贖罪だった。


 アリスター様が真面目な顔をして歩くたび、参列者席ではレオンハルトが腹を抱えて笑い、隣に座るジョナサン殿下が、うつむき加減で密かに同情の視線を送っている。


 本当は、今日限定のつもりだったけど。

 本人が気に入っているのだから、ずっとこのままでもいいのかもしれない……。

 そのうち『ちょんまげ公爵』なんて言われるのも、きっと可愛いわ。




 病める時も健やかなる時も。

 死がふたりを分かつまで。

 いいえ、たとえ死が私たちを遠く離しても。


 私たちは、永遠の愛を誓った。

2026.3.22

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ありがとうございます。

感想が10件を超えたので、感想欄を閉じます。


ただいま連載しているのは、「わたしの物語を終わらせないで」(火曜日更新。書きためたものが尽きたので、毎週更新は微妙です)と、「かつて恋人だった私たち」(不定期更新)です。良かったら、そちらもよろしくお願いします。

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