音彩の絆
僕は、友達ってどうすれば作れるものなのかよくわからなかった。友達が欲しくないわけじゃない。一人でいるのも好きだけど、誰かに一緒に、なにかを共有してみたかった。きっとそれはとても楽しいものなんだと思っていた。そう思いながら、僕は学校ではずっと一人で、本を読んでいた。
「ねえ、花谷くん、その本おもしろい?」
急にそう話しかけられて、僕はびっくりして呆然としてしまった。何も言葉を返せなかった。ああ、普通は、こういうところから交流が始まって、友達へと発展するのだろうか。
「……びっくりさせちゃったかな? ごめんね、急に話しかけて……」
「あ、いや、その、ええっと……びっくりは、した、けど……嫌じゃな、なくて、その、えっと……なんだっけ……」
僕は慌てて何を言えばいいのかわからなくなって、そんな言葉しか返せなかった。
「嫌じゃない? 嫌じゃないって言った?」
「あ、うん」
「嫌じゃないなら、よかった。いきなり話しかけられたら、誰でもびっくりしちゃうよね。花谷さんが読んでた本、前からちょっと興味あってさ。タイトルとかおもしろそうで、今度、図書室で借りようかなと思ってたんだよね。したら花谷くんが読んでるのが目に入ったから、話しかけちゃった」
「そ、そうだったんだ……。あの、えっと、『おもしろい?』って聞かれてたと思うんだけど、僕は読んだ作品が『おもしろい』かどうかは、最後まで読んでから考えたくて。っていうのも、最後まで読んでみないとわからない部分も多いから、途中でおもしろいかどうかの評価はできないと思ってて……」
「へえー、花谷くんは、そういう考えなんだね。じゃあ、途中まで読んでみての段階だとおもしろいかどうかはわからないって感じ?」
「そう、だね……。でも、もうすぐ最後まで読み終わって、図書室に返すから、あ、えっと……」
僕は、話している相手の名前がわからず、なんて言えばいいのかどうにも言葉が見つからなくて黙ってしまった。そんな僕の心を見透かしたように、少女は笑みを浮かべながら僕の顔を覗き込む。
「花谷くん、私の名前を覚えてないんだね?」
「あ、えっと……うん、ごめんなさい」
「一応クラスメイトの中では目立つ方だと思ってるんだけどな。まあ、クラスメイトの名前なんて、全員は覚えてないかもね。私は稲森音依って言うの。気軽に下の名前で、音依って呼んでくれたら嬉しいな」
そう言って笑う音依の顔が、なんだかとても眩しく見えた。
「あ、僕は……」
「花谷彩葉。知ってるよ。いっつも本を読んでばかりで、変わり者〜ってクラスの中じゃ話題になって……。花谷くんは、呼び方、苗字か下の名前かどっちがいい?」
「あ、じゃあ、苗字で……」
「じゃあ、花谷くん。キミさ、いつも一人で本を読んでるけど、別にまあそれでもいいとも思ってるのかもしれないけど、本当は友達が欲しいんじゃない?」
「……どうしたらいいのか、よくわからないから」
「友達を作るためにこれが正解なんてのはないのよ。気がついたら気が合うやつとは友達になってるものさ」
「……じゃあ、僕と音依は、友達にはなれそうにないかな」
「なーんでそんなこと言うのよー」
「……だって、音依と僕は釣り合ってなさすぎるし……」
「ちょっと会話しただけでそんなことわからんでしょ。今度さ、二人でどこか遊びにでも行かない?」
「……どこかって?」
「どこでもいいでしょ。二人で遊びに行くってのが重要なの。まあでも花谷くんは慣れてなさそうだからさ、じゃあ……私の家に来てよ」
「えっっ?!」
「なにか問題ある?」
「えっ、あ、いや、いきなりそんな家にお呼ばれされるなんて、びっくりして、……」
僕の心臓がドキドキと嫌に高鳴っているのが聞こえてくるようだった。
「なんで音依の家なの?」
「学生二人で行ける範囲なんて限られてるし、今回の目的は花谷くんをいつもとは違う世界に連れてくことだから」
「いつもとは違う世界に連れてく……?」
「そ。一人じゃ見られない景色って、案外けっこう身近にあるんだよ?」
「そうなの……?」
「とりあえず来てみればわかるって。今週末、空いてる?」
「空いてる」
「じゃあ今週の土曜日、時間は午前十一時くらいね。ってか連絡先を交換してなかったじゃん? 交換しよ」
「あ。はいっ!」
言われるがままに連絡先を交換した。初めてできた友達の連絡先だ。なんだかその画面の文字を見ているだけでとても嬉しい。
「改めてメッセージでも送っておくけど、今度の土曜日、午前十一時くらいね。家周辺のマップも送っとくから」
そう言いながら音依は文字を打っていた。すぐさまメッセージが送られてきた。僕がそれを確認しているあいだに、音依はケータイ端末をしまっていた。
「花谷くん、ちゃんと確認したね?」
「はいっ」
返事が少し上ずった声になってしまった。
「じゃあ、また土曜日ね〜」
「あ、うん、またね!」
離れていく音依の後ろ姿に、僕は嬉しくて何度も手を振っていた。
それから学校での日々はいつも通りに過ぎていき、約束していた土曜日になった。
僕は、朝から着ていく服や持ち物などどうすればいいのかとめちゃくちゃ悩んでいた。なんなら前日も悩んでいた。この件を親に言うべきか、なんてことも決められず悩みに悩んで決められずにいた。結局、まだ親には言っていない。
服を並べてどれを着ていこうかと悩んでいるところ、部屋のドアをノックする音がした。親だ。今この場を親に見られて問題か? 一瞬、不安がよぎる。しかし、もう諦めるしかないかもしれない。
「彩葉、何してるんだい?」
部屋の扉を開けてあらわれたのは、お母さんだった。お母さんは床に並べられた服を見て、なにやら察したような顔をした。
「お母さんが口出しすることじゃないけど、ちゃんとして行くんだよ。ああ、お菓子か何か持っていきなさい、せっかくだから。大したものはないけどねぇ……どれどれ、何かなかったか探してくるよ。待ち合わせは何時?」
「……十一時くらい」
「そう。じゃあまだ少し時間はあるんだね」
そう言い残して、お母さんはお菓子などを買い置きしている棚がある方へ向かっていった。
僕は散々に迷ったあげく、着ていく服を決めて、カバンには何を入れておけばいいのかと悩んでいた。
しばらくしてお母さんが戻ってきた。その手には、いいとこのクッキー缶があった。友達の家に持っていくにはどうなんだろうかとも思ったが、お母さんはソレを丁寧に紙袋に入れていた。
「どんなのがいいのか迷ったんだけどねぇ。これくらいがちょうどいいんじゃないかしら? 最近の子供のことは、お母さんよくわからないけど……」
「まあ、なんでもいいんじゃない」
そんな会話を交わして、お母さんからクッキー缶の入った紙袋を受け取った。
「じゃあ、僕、そろそろ行ってくるよ」
「あら、もうそんな時間だったかしら? 行ってらっしゃい。夕飯までには帰ってくる?」
「夕飯までには帰るよ。行ってきます」
お母さんに見送られながら、我が家を後にした。音依の家までは歩いて十分ほど。少し坂を登った先にある、一軒家に住んでいるらしい。
「ここ……だよな?」
音依から送られてきたマップを見て、場所を確かめる。広い庭のある家で、そんなに豪華ですごいほどでもないけれど、いいとこの家って感じがある。毛がふかふかの気が良さそうな大きな犬も見えた。音依ってもしかして、お嬢様なのでは。
インターフォンのボタンを探して、緊張しながらボタンを押す。
「花谷くん! ようこそ! 来てくれて嬉しいよ!!」
インターフォンから音依の声が聞こえた。その声が、とても嬉しそうな気がした。玄関のドアが開いて、音依が顔を覗かせる。おいでおいでと、手招きするのが見えた。その姿がとても嬉しそうで、眩しかった。
「こんにちは? おはよう? ちょっと微妙な時間だったかもしれないね、十一時って。まあいいや。とりあえず私の部屋でゆっくりしよー」
「お、あ、今日って音依の親は?」
「お父さんは今日もお仕事で帰りが遅いの。お母さんは今は買い物に出かけてる」
「そうなのか」
「花谷くん、どうかした?」
「あ、いや、これ、俺の親が、手土産なんか持ってけって」
言いながら、僕はクッキー缶の入った紙袋を音依に手渡す。
「わああー、きれい! なんだろー? クッキー缶? かわいいー!! いいね、嬉しい! 私クッキー好きだし、一緒に食べようー」
「えっ?」
驚いて思わずそんな声が出た。
「なにその反応。そんなに驚くことあった?」
「あ、いや、俺、こういうの初めてだから、てっきり、土産って相手に渡すもので、自分は食べないと思って……」
「あー……説明が難しいかもだねん。そういうことは親に聞いてみるといいかもね。でも今日は二人で一緒に食べちゃおう。貰った側の私が一緒に食べたいって言ってるんだから、花谷くんは従えばいいの!」
「……そういうものなのか?」
「そういうものです、とりあえずこの場では、一旦ね」
音依の言葉に、ひとまずは納得した僕は、クッキー缶をテーブルに置いて、蓋を開ける。音依が飲み物を用意してくると言って離れて、少ししたらオレンジジュースの入ったグラスを二つ持って戻ってきた。
「さて、どうしようか」
「え、考えてないの?」
「んー、花谷くんともっと仲良くなりたくて、とりあえず誘ってみたんだけど、何すればいいのかわかんなくてさぁ。花谷くんはやりたいことある?」
「僕……僕は……僕は、音依のことをもっと知りたい。もっと知ったら、もっと仲良くなれる気がするから」
「……そういうこと、直球で照れずにまっすぐ言ってくるの、ちょっとずるいよ」
「え?」
「あー、いいの、いいの、気にしないで」
そう言って笑う音依の言葉が、僕は少し引っかかったけど、気にしないフリをすることにした。
「私のことを知りたい、か、じゃあまず、そこの棚でも見てみてよ」
「棚……って、ここ?」
「そう、そこ、その中に、全部あるから」
何があると言うのだろうか、と不思議に思いながら、僕は棚の扉を開けた。
その中にあったのは、大量のCDと、DVDだった。ブロマイドやサイン色紙なんかもある。
「えっと……これは何?」
「ストーンティアーズっていう、男性アイドルグループ、のCDとかブロマイドとか……」
僕にはよくわからなかったけど、どうやら、音依にとってはとても大切なもののようだった。
「音依はこのアイドルさんが好きなんだね?」
「そう。そうなの。好きなんてものじゃないよ。私の人生の中で本当に至高の存在……!!」
そう語る音依の瞳が、キラキラと輝いていて、よっぽどなんだろうなぁと思った。
「音依にとって、大切な存在なんだね」
「そうなのよ……!! 私のことを知りたいって言うなら、彼らのことを知ってほしいの。彼らは私の人生に並々ならぬ影響を与えてくれているから……」
「音依がそこまで言うなら、知りたいな。とりあえずCDを聞いてみればいい?」
「気軽に聞くだけならまずはCDかな? DVDもあってね? ライブの映像とかMVまとめとかオフショットとか……そうとなったら見てほしいのが色々あるな、どうしようかな」
音依はCDやDVDなどをいくつか見ながら、うんうん唸る。真剣に考えているのだろうことが、雰囲気で伝わってくる。僕は、なにかに対してそこまで真剣に向き合うことができるのはステキなことだなと思いながら、音依を見ていた。
「じゃあ、とりあえず、CDと……ライブ映像のDVD? 借りてみてもいい? 少しずつ知っていければ……」
「そうしようか! じゃあ〜……オススメは、このCDと、そのCDの中の曲をだいたいやってるライブのDVDね!」
僕が提案すると、音依はそう答えてCDとDVDを手渡してくる。物理的な重さよりも、音依の気持ちが詰まっていることに、重さを感じた。
「さっそく今夜、帰ったら聞いて見てみるよ。感想は学校で伝えるでいい?」
「いやいやいや、連絡先は知ってるんだから連絡しなさいよ」
「え?」
音依は、僕の言葉に少し呆れているような様子だった。
「本当に花谷くんは、友達との距離感ってものがまるでわかってないのね。そういうことは連絡してきていいの! 学校で話すってのもまあそれはそれで大事なことかもしれないけど、学校じゃなくてもできる話題は連絡してきていいの! ケータイに! なんのために持ってるんだか!」
「……そっか、そういうものなんだね」
「そういうものです!」
音依の軽い説教に、僕はただ頷く。僕は本当にそういうことがよくわからないので、今まで友達ができなかったんだと思う。音依はそういうこと、ちゃんと言ってくれるから、助かるなと思った。
ところで、せっかく食べようと用意したクッキー缶に触れていないことにいまさら気が付いた。
「ねえ、クッキー、食べないともったいないよ」
「あら、いけない、忘れてたわ」
「ねえ、せっかくだから、CD、今ここで聞かない? CD聞いたり、ライブDVD見たりしながら、クッキー食べようよ」
「それは名案ね。いいわ、そうしましょう」
僕の提案に音依が乗ってくれて、僕は嬉しい。それから、音依のオススメのCD、DVD鑑賞会が始まった。
僕はあまり音楽とかよく知らないけど、良いものだなぁと思った。なんて拙い語彙で感想を伝えると、音依が今までに見たことないような幸せそうな笑顔になっていて、アイドルってすごいなぁと思う。
心の底から、こんなにも熱中できるものがあるって、すごいことだ。キラキラと瞳を輝かせながら情熱的にストーンティアーズのことを語る音依は、とても眩しい。
「私ばっかり語っちゃって、ごめんね?」
「いやいや、音依が楽しそうにしてるから、僕も楽しいよ」
「嬉しい! ……今日は私の好きなものを話したから、次は花谷くんの好きなものを見せてほしいな。今度、花谷くんの部屋に行っていい?」
そう言われて、少し答えに躊躇したけど、こんなふうにありのままを見せてくれた音依に、僕も僕のことを明かしたかった。少しの沈黙の後、意を決して口を開く。
「いいよ。来週の休み……土曜日でいい?」
「やったー! じゃあ、土曜日ね。楽しみ!」
嬉しそうな音依の笑顔が、窓から差し込んだ夕日に照らされてキレイだった。
「じゃあ、また……。今日は夕飯の前には帰るって、親に約束してたから」
「そっか、じゃあ、またね。ちょっと出たとこの道の角まで、見送ってくよ」
「ありがとう」
言葉を交わして、二人とも立ち上がった。そのまま並んで歩いて玄関を出ると、庭には犬がいた。行儀よく座っている。
「ちょっと待っててね、花谷くん」
そう言って、音依は少ししゃがんで犬の頭を撫でた。犬は気持ちよさそうにしている。
「ちょっと行ってくるから、待っててね、ロト」
音依は犬にそう話しかけて、立ち上がった。そのまま並んで歩き出す。
「ロトって名前なの? あの犬」
「そう。かわいいでしょ?」
「かわいいね」
「かわいいからって、あげないよ〜?」
「いやいや、欲しいなんて言ってないよ」
「花谷くんのお家は、ペットは飼ってるの?」
「飼ってないよ」
「そう、残念。かわいい生き物にデレデレな花谷くんが見られると思ったのに」
「音依は僕になにを期待してるんだよ」
そんな他愛もない会話をしながら歩いていると、音依が立ち止まった。ちょうど道の角まで来ていたらしい。
「じゃ、お見送りはここまで。またね、花谷くん」
「ありがと、音依。今日は楽しかった。またね」
言葉を交わして、それぞれの家へ帰る。
家に帰って、夕飯を食べて、お風呂に入って……ずっと、音依のことを考えていた。音依と、もっと仲良くなれたらいいなと思う。
僕にはもったいないくらいの、友達だ。……友達なんだろうか?
友達と言っていい気がするけど、僕にはよくわからない。今度、音依に確認してみようかなと思った。
「そういえば」
思わずそんな言葉が口をついて出て、思い出す。音依は、ケータイで連絡してきていいと言っていた。ケータイで連絡すればいいんだ、と、メッセージアプリを開く。
でも、いざとなるとなんて聞けばいいのだろうか。
『僕たちって、もう友達になったのかな?』
結局、浮かんだ文章はそんなものだった。送信して、すぐに返信が来た。
『そんなことまでわざわざ確認しないとわからないの、花谷くんって本当に友達いなかったんだね。
私たちはもう友達になってる、って、私は思ってるよ』
音依からの返信を読んで、胸がじんわり温かくなった。
『ありがとう。友達になってくれて。音依と友達になれて、よかった』
送ったメッセージに既読が付いて、数分ほど待って、返信が来た。
『……私も、花谷くんと友達になれて、嬉しい。これからもよろしく』
嬉しくて、すぐ返信しようとして文字を打っていたら、「よろしく」と打った時に表示された謎のスタンプをタップしてしまった。
既読はすぐ付いて、「おやすみ」というスタンプが送られてきた。僕も「おやすみ」のスタンプを返し、既読が付いたことを確認してケータイを離した。
友達の作り方なんてわからなかった僕に、友達ができた。とても嬉しくて、叫びだしそうだった。
これから、きっと、音依だけでなく友達が増えていくかもしれない。でも、音依は初めてできた友達だし、きっとずっと大切な友達として生きていく。そんな予感に胸を膨らませて、僕はベッドの上に転がっていた。
〈了〉




