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マジック・リアリズム抒情

作者: てこ/ひかり

 どうにも納得いかないことがある。


 読書は知的な趣味だとか、本を読めば頭が良くなる、と言った誤情報(デマ)である。両者は全く等号(イコール)で結ばれていない。実際私は、数学の授業中も、御先生の御有難い御説教中も読書に没頭していたので、学校の成績は320人中316位と言った有様であった。受験生になった今年、この間授業で習ったはずの因数分解のやり方がさっぱり分からなくて、私は一体何のために学校に通っていたんだ……と愕然とした。


 それに、偉そうな顔をした本にだって、良書もあれば悪書もある。


 真っ赤な嘘をさも真実かのように騙った本もあれば、暴力的で露悪的な、悪意の塊を煮詰めたような本もある。もっとも私から言わせれば、悪書も悪書なりに意味がある。無菌室で育てられた子供がいざ外の世界に出て打ち(ひし)がれる……なんてことがないように、恐怖や悪意に免疫を作れると思えば、ホラーやエログロナンセンスも生きていく上で必要な栄養素である。少なくとも清く正しく美しいだけでは、この過酷な現実世界で……


 ……あぁ、まただ。


 不意に私の目の前に、大きな影が現れた。クジラだ。教室の席にて、ふわふわと窓の外に浮かぶクジラを眺めながら、私はため息をついた。巨大なクジラは、雲と雲の間を気持ち良さそうに、ゆっくりと運動場を横切り、やがて西側にあるプールの方へ泳いで行った。少し隙間の空いた窓から、潮の匂いが漂ってくる。私は机の上に肘を突き、手のひらに顎を乗せたまま、くしゃみを(こら)えた。


 教室の方に目を戻すと、板書をする先生の頭の上を、極彩色の南国鳥たちが飛び回っている。いつの間にか教室はジャングルと化していた。足元には鬱蒼と緑が生い茂り、前の生徒の後頭部が見えないくらい、所狭しと並んだ椰子の木の間を、青い猿の群れが雄叫びを上げ飛び回っている。


 私はもう一度深くため息をついた。もちろんこれらは全て、現実ではない。


 クジラは空を飛んだりしないし、教室はジャングルになったりしない。これは妄想だって分かってる。では何故こんなことになってしまったかというと、西澤達彦の『異世界方舟探検記』を読んだからである。


 本の読み過ぎだ。読書の弊害はこんなところにもある。本の世界に夢中になり過ぎて、頭の中が酩酊状態に陥り、挙句どっちが現実でどっちが虚構か分からなくなってしまうのである。


『あれはアオイロウータンモドキだね。気をつけて。雄は右手に、雌は左手に毒を持っているから』


 不意に頭の中で、小説の主人公が私に語りかける。こんなことも日常茶飯事になった。気がついたら小説の文体で物事を考えている。思考回路を小説に乗っ取られる。ミステリー小説を読んだ後は探偵が推理を始め、SF小説を読んだ後は、遠く離れた銀河で宇宙戦争が始まったりするのだった。


 そのうちジャングルの奥から槍を構えた先住民たちが出てきて、恐竜にも似た巨大なトカゲと戦っているのを眺めているうち、数学の授業が終わった。次の国語の時間では、殺人鬼が包丁を持って教室を暴れ回り、英語の時間になると、今度は見てるこっちの顔が真っ赤になるようなラブ・ロマンスが始まった。


 おかげで今日も授業の内容はさっぱり頭に入ってこなかった。全く、これで集中しろと言う方が無理というものだ。放課後。校門をくぐると、近所の野良猫が未確認飛行物体に連れ去られようとして、ふわりと宙に舞い、淡い光の中に吸い込まれて行った。すれ違ったおばちゃんは実はタコ型エイリアンで、サラリーマンは死神だった。カバンの中からはみ出た鎌が、夕陽を浴びてギラリと輝く。


 ……いけない。


 私は頭を振った。そんなはずないのに。最近、どんどん妄想が酷くなって行く。このままでは本当に現実を見失いかねない。実際、TVも新聞も、ネットニュースですら碌に見ない私は、今世の中で何が起きているのかさっぱり分からなかった。


 たまに、数億光年ぶりに誰かと会話すると、つくづく人は情報で出来ているのだなぁと感じる。人は知っていることを知っている。その人の世界は、その人の知っていることで出来ている。だけど、彼らが嬉しそうに語る時事ネタや有名人の名前が、私にはちっともピンと来ない。あぁアレね、あの人ね、とならないから、私だけ会話が通じず、1人異世界から迷い込んできたような気分になる。


 これもきっと読書の弊害だろう。みんなが今何で大騒ぎしているのかが分からない。野良猫を連れ去ったUFOが、どの銀河のどの惑星に不時着したかは分かるのだが……。


 そこまで分かってて手放せないのだから、もはや読書は麻薬だ。さすがにこのままでは不味いと思い、私は『赤マジック』で線引きをすることにした。もちろん頭の中で、妄想で作り出したマジック・ペンである。


 ここまでは現実。

 ここからは妄想。


 きちんと線引きをしておかなければ。私の街にはすでに14人の宇宙人と、8人の殺人鬼が潜んでいることになる。さっき夕飯を食べた。これは現実。押入れの中に異世界への扉がある。これは妄想。明日は火曜日。これは現実。明日は糜曜日。これは妄想。架空のマジック・ペンが、頭の中で擦れて小気味よく音を立てた。


 明日はテストがある。これは現実。私はしっかり勉強している。これは妄想。人間には秘められた『能力』がある。これは……現実? 死後の世界はある。これは妄想??


 正義は必ず勝つ。これは現実。悪が栄えた試しがない。だって、勝った方が正義を名乗るだけだから。戦争が始まった。これは妄想。これはさすがに妄想。だって、先の大戦であれだけ痛い目に遭って起きながら、いくら人類が馬鹿だからって、さすがにそこまでじゃあない。


 窓の外をクジラが飛んでいる。これは現……これは妄想。クジラは空を飛ばない。危ない危ない。おばちゃん型宇宙人が道を歩いている。これは妄……いや、これは現実?? 我々人類もまた、宇宙の住人であるからして……?


 いや。いやいやいや。私は激しく頭を振った。考え過ぎだ。『考え過ぎだよ』やめて。ちょっと黙ってて。こっちはまだ現実だから。いくら主人公だからって、急に頭の中で話しかけて来ないで。


 もう一度頭を整理しよう。この赤い線の、こっち側が現実で、あっち側が妄想。私は慎重に、ゆっくりと

 線を跨ぎながら、現実と妄想を見極めた。これでよし。こっちは妄想の世界。私の好きな虚構の世界。宇宙人がいて、殺人鬼がいて、クジラは空を飛び……。

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― 新着の感想 ―
頭の中が賑やかで、寂しさなんか味わなくて良さそうだなって思いました。 現実と妄想が混ざりあって出来たカオスな空間に、入り込んでそうでちゃんと傍から見てる感じがリアルだなって思いました。
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