胎動
次の日は雲ひとつない晴天だった。地面は水溜りが所々にできており、子供達が水溜りを飛び越え遊んでいる。屋台も昨日の売り上げを取り戻すかのように朝から活気のいい声が響き渡る。
私もその屋台の前のテーブルに陣取りフレイの帰りを待つ。今日は何を買ってきてくれるか楽しみだ。
「お待たせしました」
フレイは両手一杯に料理を持ってきて満足そうにテーブルに料理を並べる。
「これ、朝ごはんだよね?」
「はい」
「私、これだけでいいや……」
山盛りに乗せられた肉の中から脂身の少なそうな部位をもらいパンに乗せて食べる。パンはほんのり甘く肉も臭みがなく美味しいが、毎日こんな食事をしてたら飽きてくる。日本食が恋しい……。
そして相変わらずフレイの食いっぷりは凄まじい。目の前の食べ物がどんどんと胃袋に片づけられていく。
フレイが食べ終わり腹ごなしに中央広場へ向かうと、何やら人だかりができている。階段に登り人だかりの方を見ると男女10人くらいがペアになって楽しそうに踊りを踊っている。周りの見物人も手拍子をして盛り上げている。
「秋の実りを願う祭りの──いえ、今日も乗馬行かれますか?」
「祭り?」
「あー……はい。実りを願う伝統的な踊りです」
フレイがの歯切れの悪い説明……。きっと私は見られないのだろう。
「ねぇ。私たちも踊ろう!!」
「ここでですか!?」
「うん!!」
フレイの手を引っ張り階段から降りると、今見た踊りを忠実に再現する。フレイも驚きながらも私に付き合って踊ってくれた。楽しい時間があっという間にすぎ、2人で膝に手をつきハァハァと息を切らす。
いつの間にか遠くで踊っていた人たちは踊りを終えており、周りにいた人たちが私たちを囲んで手拍子をしてくれていた。
人前で踊ったことなんかあるわけがない。人が集まってきているのがわからないくらいフレイと夢中になって踊っていた。フレイも同じだったらしく顔を真っ赤にさせている。
フレイは恥ずかしく居た堪れなかったのか、私の手を取り走り出した。私は軽くお辞儀をしてフレイと一緒に走って広場を駆け抜けた。
街外れまで走ってくると人通りはあまりなく家もまばらにしかない。その代わり家の隣には広い庭があり、いろいろな野菜が植えられていた。どこか田舎のような懐かしい匂いがする。
赤く大きく実ったトマトは昨日の雨でキラキラと光り輝いている。とても美味しそうだ。
「こんにちわ」
庭で作業をしていた女性が声をかけてくれた。女性のお腹は膨らんでおり立ち上がりながら「ふー」と息を吐いた。妊娠しているようだ。少し膨らんだお腹を突き出しながらこちらに歩いてくる。
「この街の人?」
「はい、そうです」
女性ララベルと名乗り、人懐っこくおしゃべりが大好きだった。おしゃべりで言ったら私やフレイも負けてはいない。この前なんてフレイは「女性の話はオチがないです。僕より面白く話せるなら話してください」とか言ってきた。この世界にオチという概念が存在するとは思わなかったが、そのオチとやらをつけて話してやったら大笑いしていた。
「いたっ」
ララベルが下腹部を押さえ痛がった。
「どうしたんですか!?」
「大丈夫。赤ちゃんがお腹を蹴ってきただけだから」
お腹を蹴った?下腹部を押さえている?
「トイレとかよく痛くなったりしませんか?」
「そうねぇ。赤ちゃんがよく動く時とか行きたくなるわね」
「足がよく冷えたりとか……?」
「よくわかるわねぇ」
いけない危険だ。私が考え込んでいるとフレイが「どうしたんですか?」と声をかけてきた。
「今、何週目ですか?」
「何週目?えっと、あと50日くらいで産まれると思うわ」
あと50日ってことは、あと7週ってことは33週目か。
「だから、どうしたんですか?」
フレイが顔を覗き込んでくる。
「ララベルさん。赤ちゃんが逆子の可能性があります」
「「!!」」
「なんで触ってもいないのにわかるんですか?!」
フレイも焦って声を上げた。
「普通の状態であればお臍の辺りから上の方で胎動を感じるはずなんです。今ララベルさんが押さえたのは下腹部の下の方。赤ちゃんが足を伸ばしたんだと思います。それに、逆子の赤ちゃんの時は膀胱を蹴られてトイレが近くなったりするんです」
「そんな……」
逆子だとしても36週目までは治る可能性はある。でも確実ではない。この世界に超音波などの赤ちゃんを確認できる機械なんてあるとは思えない。助産師はいるが、よほど体が悪い状態じゃなければ診てもらいに行く事は少ないらしい。
逆子は帝王切開が多いが、この世界にそんな高度な手術ができる医師がいるのかどうかもわからない。
「逆子ですか……それは……」
やはりこの世界には手術ができる医師は少ないらしい。しかし出来るにしても母親の負担が大きい。そりゃそうだ、この世界に麻酔なんてない。それでも子供を助けたい一心で手術に挑むが感染症のリスクもあり、命を落とすことも少なくない。
ララベルの顔は一気に絶望に変わり膝をついて泣き出した。
「艾があれば……」
「艾って?」
「蓬から取れるものです」
「蓬?蓬ってあの草の?」
「蓬ってこの世界にもあるの!?」
よく考えたらあるだろう。犬や馬がいるのだ。草花だって現実世界と一緒のものがあってもおかしくはない。
「でも、あったとしても乾燥してないと……。昨日雨も降っちゃったし今から採ってきて乾かしてもいつになるか……」
「乾燥蓬がなら裏のおじいちゃんが持っているかもしれません」
ララベルが泣き止み立ち上がった。
「それがあれば助かるんですか?」
「私が今からする処置は時期的にもうギリギリです。確実ではないです」
「それでも。それでも、この子と将来を過ごせるなら!!」
ララベルが走り出した。裏のおじいちゃんという人に会いに行くのだろう。しかし走るのは危険だ。私はララベルを止めに叫ぼうとすると、隣から走り出したフレイがララベルを胸の前で抱き上げた。
ララベルが安全なのは安心したが、フレイがお姫様抱っこをしているところを見るとモヤッとする。
家の裏と言っても結構遠い。家の裏にはそのおじいちゃんの畑がかなり広く広がっていて、遠くの方にはまだ色付いていない田んぼもあった。──これは裏の……と言ってはいけない距離だ……。隣でララベルを抱え走っているフレイの顔からもひしひしと伝わってくる。フレイの顔色が赤からだんだん青色になってくる。いけない酸素不足だ。フレイの方が先に倒れてしまう。
やっと「裏のおじいちゃん」の家にたどり着いた頃には、息もまともに出来ないほど力を使い切り、ララベルを下ろすとバタンと地面に倒れ込んだ。──よくやった。後でちゃんと褒めてあげるから、そこで寝ていてくれ。
私はララベルと共におじいちゃんの家へ駆け出した。