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正義研究論

作者: 羽柴

正義と正義はぶつかり合うのが必然。なぜなら正義は最も利己主義的感情の言語化、物理形成化にすぎないから。

 正義、一言で言っても解釈が多数ある。自己正義、国家正義、宗教的正義。ただ、この解釈は一つの平面を多角的に見たものにすぎない。

自己正義とは自分の信念や忠誠心を物理的、精神的に刻む思考、至って利己主義であるとも言える。他方、国家正義は極めて限定的な人物が統率する精神支配概念。宗教的正義は偶像平和や唯物的精神論に偏った偶像支配概念。つまり自己正義の元国家正義や宗教的正義が生誕している。この分析によって解ることは人間を根底から支配しているのは自己正義であり、自己によって自己は縛られているということ。私はこの世に『正義』はないと考えている。自己正義とは人間の生存本能、承認欲求に他ならない。

正しい義が正しい忠義であれば国家正義や宗教的正義に区分される。国家正義や宗教的正義が絶対正義であるならば戦争など起きはしない。もし戦争が起きても絶対正義と言うならば、戦争こそが正義だと言うことになる。自己正義の要素にある生存本能に真っ向から反対する戦争行為を自己正義が許容するのは矛盾している。これは正義に見せかけた掌握。自己正義とは真逆の存在とも言える。

正しい義勇が正義ならば自己正義に最も傾倒した思考になる。つまり何を義勇と呼ぶのかは自己の認識、知識次第でありデータベースの小さな正義と呼ばざる得ない。例え博識であろうとも人間が得た知識には限界がある。大図書館で全ての本を読破しようとも所詮は井の中の蛙で、地球の水、空気、生物の起源すら掴めていないのが現状。井戸から出ようにもまず井戸を這い上がる知識すら大図書にはないのだから博識という言語そのものに限界があるとも言える。つまり、データベースの自己理解が絶対正しい義勇であると述べるならば、より一層矮小な正義になってしまう。

正しい仁義が正義であるならば上記と同じく自己認識、知識の範疇が問題になる。そもそも仁義という言葉にも正義と似た利己主義的意味が含まれているから正しい仁義だと『自己が最も正しい』と言っているのと変わらず、最大の承認欲求に留まってしまう。

正義はない。法律、秩序などを起草したのは人間であり、起草者にも自己正義=利己主義的正義が多分にあった。おそらく法秩序が正義だと言う人間は自分で物事の是非を考えない。自己正義を放棄した正義が法秩序という国家正義。また法秩序の決定的な弱点は国境にある。国が違えば正義も違う。それではいくら身があっても監獄に入りきらない。国の数だけ各々に矛盾した法秩序という支配がある。合法と違法の区分が如何に雑か、如何に支配的かわかる。同時にマナーやモラルも空間的支配を統括する国家君主(今では政治家や官僚)の風潮を反映しているだけであるから絶対正義とは言い難い。一方面的、一方向の正義であり、君主の自己正義に過ぎない。

もし正義を作るならば自己正義を絶対正義と言える証明が必要。すなわち、自己正義に自己がどれだけ時間や物資を割いているかが問われる。努力=継続力なくして自己正義を語っても利己主義に留まる。反面、継続する運動が他者から否定できないまでに凝縮された瞬間。曖昧さを無くせば、完全に精神的正義と物理的正義を合致させる。心身一体を形成し、ある動作Aに肉体的エネルギーと精神的エネルギーが充実した状態である時初めて自己を自己が認め、他者に言及されない絶対正義が完成される。心身分離状態での正義は口頭正義、理論的正義に留まる。文脈、精神論が完成されていても身体がついていける動力を持っていなければ正義ではなく自己弁護。反対に身体に動力が漲っていても文脈、精神論がなければ空砲に過ぎない。

色々な正義、多角的解釈上の正義、全て自己正義に完結する。ただ、私は正義を全面否定したいのではない。正義を形成するならばその正義がどこに帰属しているか、充足したエネルギーはあるのかをしっかり考えるべき。

正義とは誰しもが創れて誰しもが偏ってしまう魔境。正義を見つめ直せば自ずと利己的観念や国家的、策略的支配が理解できるきっかけになると分析した。そして信念を保つ最適解は正義の形成にあることも分析した。多くの人間が視認できる情報で生活を補っているが、視界だけでは本質を捉える事はできない。日常にある悪と善はコインの裏表。その証明が国家正義と自己正義にある。視覚は勿論、人間は全ての感覚を空間にある正義に委ねてしまっている。それは無抵抗に支配されている事となんら変わらない。空間正義=国家正義=君主自己正義を断ち切らなければ一生自己正義に身を委ねることすらできない隷属環境。

正義を研究すれば苦痛もなくなる。世の中が悪であり自己が正義であるとすれば悩みは消える。実際に世の中を形成する一人一人の人間に自己正義がある。何回も言うが自己正義は利己主義であると同時に生存本能だ。つまり、人間になくてはならない要素として生まれ持った機関だ。自己正義は悪にはならない。他者の悪に当て嵌まるからといって自己正義を変異させることは死に繋がるとさえ言える。それだけ人間には欠けてはならない一部分。自我を貫くことは善でも悪でもない。自己正義を他者に押し付ける支配は明確な悪だと言えるが、自己正義を自己に寄り添って生活に当てはめる行為は人間ならば普遍的。

正義とは人間の防衛本能であり、人間が最も人間『たらしめる』唯一の証明。

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