5:伊藤香奈と江川麻耶
季節は冬。
審判の日以降、空気中に魔素と呼ばれるものが溶け込んだ影響か、地球では雪がほとんど降らなくなってしまった。
この現象はモンスターが現れた影響との論文が早い段階で発表され、多くの研究者がこれに同意している。
魔素は人々に大きな影響を与え、それによって人類は進化を果たしたとも言えるだろう。
冷たい風が市街を歩く人々の頬に当たる。
街中には大剣、長剣、レイピア、ハンマー、ナックル、杖などの武器を携えて歩く多数の探索者が目に付く。
審判の日によって壊滅的な被害を受けた人類。
すべての国において、銃砲刀剣類所持等取締法が撤廃するまでに多くの時間を要さなかった。
それには当然ダンジョンの存在が深く関わっていて、あれから一〇〇年以上経過している地球では武器の携帯が一般常識と化している。
とはいえ、それは主に警察や軍隊や探索者に限るが。
また、各国は自国に軍隊を持つことを禁止され、現在はすべての国が加入している世界評議会が、世界各地から集めた人員で構成された軍隊を持つに至っていた。
人口の減少や復興の手間を考えて、市町村の多くは廃棄され、多くの都道府県が合併されている。
それでも日本の首都は東京のまま。
街中を歩く人の男女比率は女性が圧倒的に多い。
これには理由があり、審判の日からの一週間において、被害者は男性が圧倒的に多かったからだ。
なぜなら、軍事関係の職場に就いていたのは男性が多かったので、その分男性の死者が女性と比べられないほどになったためである。
そうした背景があり、国単位ではなく地球単位の法律で認められている一夫多妻制。
当然この法令を地球単位で施行するには紆余曲折があった。
審判の日以前は一夫一妻制の国がほとんどだったこともあって、当初は一夫多妻制のイメージが悪かったが、各国の努力によってそれはほとんど払拭されている。
妻がひとり増える度に税金が跳ね上がっていくこともあって、妻の人数がそのまま男のステータスに、そして女性もそういった男性を捉まえたことがステータスとして見られ、前者も後者も男女両方から羨望の目を集めているのが現代。
徐々に男性の比率が上がってきたとはいえ、未だにそれは男性ひとりに対して女性五人と厳しい数字のため、独身のまま生涯を終える女性は多い。
東京に存在する東京都立第三病院に入院している伊藤香奈も、独身のまま寿命が尽きると彼女の周囲にいるほとんどの人は思っているだろう。
そんな香奈の病室は二人部屋。
彼女と相部屋になっているのは江川麻耶という少女。
窓の外を眺めてため息をついた香奈に対し、ベッドの上で上半身だけを起こしている麻耶が揶揄うような声を出す。
「もぉー、そんなにため息をついていたら幸せが逃げるよー?」
香奈は麻耶のほうに顔を向けて言う。
「私は幸せを掴めないわ。それくらいあなただってわかるでしょ」
「ぜーんぜん。諦めちゃダメだよ。さくっちはかなっちのため、必死に頑張ってるじゃん」
「私のためにサクの人生を台無しにしたくないの……」
「そう言いつつも、さくっちがお見舞いに来たら嬉しそうだよね?」
麻耶の言葉を聞いた香奈の頬が赤く染まる。
それを見た麻耶はさらに言葉を続けた。
「照れてるぅ、相変わらずかなっちは可愛いなぁ」
「やめてよ……それに麻耶のほうが可愛いでしょ?」
「そんなことないよー」
香奈の髪は茶髪がかっていて、ゆるふわパーマのショートボブ。
目尻は若干下がっていて、優しそうな雰囲気で顔立ちは整っている。
純粋な日本人のため黒目。
そして背は高くもなく低くもなくといったところ。
麻耶は肩より下まで伸びているストレートのブロンドヘア。
クォーターである彼女の瞳は碧い。
外国人の血を引いているためか、造形は可愛いと綺麗の中間と評価する人が多いだろう。
身長は香奈より少し高いが、年齢は麻耶のほうが下で現在は十五歳。
会話が一旦途切れたのを機に再び香奈の口から漏れるため息。
麻耶は仲が良い香奈を元気づけようと、すでに知っていることを話題に出す。
「そうだ、またさくっちとの出会いを聞きたいなぁ」
「えぇ……」
「いやなの?」
「そんなことないけど、恥ずかしい……」
「大丈夫だよ、ここには私たちしかいないし」
「うーん、わかったわ」
ベッド脇に設置されているテーブルに置いてあったお茶に手を伸ばした香奈は、それを一口含んでから話し始めた。
「私とサクの家が隣同士だったから、物心がついた頃には一緒だったわ」
「男子と幼馴染はいいなぁ。憧れるうぅ」
「うん、小さい頃からサクはずっとずっと優しかった」
「小学校と中学校も一緒だったんだっけ?」
「うん。といっても、中学校の途中から魔力過多症の症状が表面化してきたから、途中までしか通えなかったけどね……」
自分と同じ病気の少女を見つめた麻耶は目を伏せて口を開く。
「ごめんね」
「んーん。いいの。麻耶だって中学生の頃から入院しているでしょ? 卒業式は出れるの?」
「うん、そのときは出席すると思う。体調次第だけどねー」
「一生の記念になるから出られるといいね。卒業式はいい思い出になってるから、私。麻耶もそうなると思う」
「うん、ありがとね」
「幼稚園から小学生の途中までは私の身体も元気だったんだけどなぁ……あの頃は将来サクと一緒になれるって信じていたし、それを疑いもしていなかった」
気落ちしている香奈。
麻耶は慌てて口を開く。
「まだまだ可能性はあるよ!」
ゆっくり首を横に振る香奈を見た麻耶は、切なさが止まらなくなってくる。
冷たいお茶が入ったコップを両手で包み込むように持っている香奈が呟く。
「諦めちゃダメなのはわかってるんだけどね。でも……私は十歳のあの日を忘れない。私とサクの運命が分かれた日だから」
「十歳の適性検査――魔力過多症になるのは、およそ十万人にひとり。日本の人口は今って三千万くらいだっけ?」
「うん、それくらいかな」
「ってことは、私たちと同じような人が三百人かー」
「亡くなっている人も多いと思うから、もっと少ないと思うよ」
十歳になった者は最寄りのモノリスを利用して自分のジョブを調べる必要があり、それは地球の法律で定められている。
ジョブの取得を十歳以前に行おうとしても、例外なくジョブが現れない。
これは何度も調査をしたことによって解明された。
審判の日以降に生まれた者であれば、十歳以上なら何歳でもジョブが発現するのだが、ジョブの取得は早ければ早いほどいい。
なぜならば、検査の結果によって自分の将来をある程度決められたり指針になったりするためだ。
もちろんジョブの特長とまったく関係ない職業に就くことは可能であり、そこは個人の自由が保障されている。
そして適性検査の際、稀にジョブを取得できない者が現れる。
長年の研究で判明したことだが、そうした者は空気中に漂う魔素を吸収した後、それを上手く体外に排出できないとされていて、逆に魔素を体内に取り入れつつ、上手に体外へと排出している者がジョブを得ることができるのだ。
魔力過多症の者は体内に溜まる魔素が徐々に健康を害していき、二十五歳以上まで生きられる患者はほぼいない。
症状が表面に出てくるのは十二歳から十五歳が一番多く、そうなってしまえばほとんどの人が入院することになる。
なぜなら数日に一回の割合で全身に痛みを感じ、さらに場合によっては数分ほど気絶してしまうからだ。
そうなってしまえば学校での生活に支障をきたしてしまう。
「エリクサーかぁ」
天井を見上げながらそう呟いた麻耶。
魔力過多症を完治させられるのは、万病に効く神の薬と言われるエリクサーのみ。
さらに魔力過多症の者がエリクサーを口にした場合、ジョブを取得している者では起きない現象が起こる。
苦笑いを浮かべた香奈が口を開く。
「私のためにエリクサーを手に入れようとしてくれているサクには悪いけど、無理だよね……」
「希望を捨てちゃダメ! って言いたいけど、実際は難しいんだよね?」
「うん……エリクサーを入手した人は、第三者に売ったり譲ったりする場合には事前に、そして誰かに使った場合は使用後に報告する義務が世界の法律で定められているから、世界評議会の発表で明らかになっている個数がエリクサーの発見数でほぼ間違いないと思う。裏で取引されていたらわからないけど、売買や譲渡のときは軍隊から優秀な護衛が派遣されるみたいだし、安全性から考えても裏取引をする人は少ないんじゃないかな」
「今って年間どれくらい発見されるの? 全然期待していないから知らないんだよねぇ。さすがに高すぎてうちの両親は諦めているし」
「ここ数年は年間平均で十個くらいだったはずよ」
「うーん、消耗品でその個数だもんなぁ。魔力過多症になる子が世界で毎年二万人くらい、それに高ランク探索者が不慮の事故で四肢欠損している人、めちゃくちゃお金持ちの人が自分の健康のために、保管したり使ったりする人がエリクサーを欲しい主な層だよね。あーあ、需要と供給がまったく釣り合ってないよぉ」
麻耶の言葉に力なく頷く香奈。
病室が沈黙に包まれ、二人とも顔を伏せる。
数分間その状態だったが、どちらともなく口を開こうとした瞬間、ノックの音が彼女たちの耳に届く。
「はい」
代表して香奈が返事をし、それに対して扉の外から声が聞こえてくる。
「俺、朔斗。入っていいか?」
「うん」
喜びを隠せない香奈はうわずった声を出した。
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