9:特級ダンジョンへ向けて
五月十七日。
近頃において<EAS>のスケジュールは上級ダンジョンを四日間でクリア、休日を二日としている。
ケースケチャンネルに出演したり雑誌に載ったりしたことが響き、最近朔斗のスマホには多くの着信があった。
ダンジョン内では『リンカー』がいない限り電波が届かないので、中にいる際は電話に出られないし着信にも気づけない。
そういった理由から、休日に留守電を聞くことになるのだが、その数は中学三年生の頃を思い出させる。
朔斗自身六回目となる上級ダンジョンを危なげなくクリアした次の日の今日、彼はひとつの着信履歴に意識を向けていた。
リビングルームのソファーに腰掛けている朔斗が呟く。
「良太からの着信とメッセージか。これも動画とかの影響かもしれないな」
もともと友人同士だったということもあって、良太は朔斗の電話番号だけではなく、SNSのIDも知っている。
そしてそこに書かれたメッセージは、『元気にしてる? 久し振りだね。お互いの都合が合ったときでいいから話したいことがある。ちなみに僕たちの予定だけど、おそらく五月十八か十九日に地上へ戻ると思う』というもの。
「十八日なら一応少しは時間が取れるけど、明後日からは俺たちもダンジョンに行くしなぁ」
スケジュールを頭の中で計算しつつ、良太への返信をどうしようか悩んでいた朔斗の耳に入ってくる足音。
リビングルームと廊下を繋ぐ扉が開き、義妹である恵梨香が姿を見せた。
「さく兄、何してるの?」
そう言いながら、さく兄の横にピタッとくっつくように恵梨香が腰を下ろす。
彼女の態度には慣れたもの。
朔斗は若干の苦笑いを浮かべ、恵梨香の行動に対して何かを言うことはない。
なぜなら、それはすでに無駄だと悟っているからだ。
昔は反対側に香奈もいたよなと、朔斗は過去の記憶を思い浮かべる。
そんな義兄に向かって恵梨香が言う。
「何黙ってるのおおぉ」
「ん、ああ……ごめんごめん」
今は恵梨香の相手をしなきゃなと軽く首を振った朔斗が口を開く。
「最近はいろいろな人や企業とかから連絡があるなって」
「あー、私は同級生から結構コンタクトがくるよー」
「気になるのはあったか?」
「うーん、あんまりないかなぁ。私たちのパーティーに加入したいとか、さく兄を紹介してほしいっていうのが多いんだけど、聞いてみたらジョブ的に微妙だし……」
「人数の問題もあるしな。エリクサーを入手する段取りができるまでなら、一応誰かを加入させてもいいと言えばいいが、それがいつになるかわからないし、人数が増えた分収入が減ってしまうからな」
「だね」
朔斗は恵梨香やサリアに気遣って、明確に口にしていないが戦闘能力の足りない人員を、これ以上加入させるのは厳しいと判断している。
戦闘中は、ただでさえ常に恵梨香とサリアの身を案じているのが現状。
自分が守ったり、高価なポーションを使ったりする人員が増えれば増えるほど、朔斗の負担が身体的にも財政的にも大きくなってしまい、そして大事な義妹や最近仲良くなってきたサリアに、被害が出る可能性を上昇させてしまうのは望ましくないと彼は考えていた。
自身の身を守れたり敵を問題なく倒せたりする人員は実力者なので、当然ダンジョンでの収入をきちんと分ける必要がある。
そういった者を加入させたのなら、朔斗らの収益率が一気に下がってしまうため、好ましくないだろう。
では、特殊探索者はどうかというと、危険性の問題から上級や特級以上のダンジョンへ行く特殊探索者の数は少なく、その少数からさらに<EAS>が有用と判断するジョブ持ちを探すのは至難の業。
眉を少し下げた朔斗が言う。
「大変な思いをさせてごめんな。とはいえ、申し訳ないがやっぱり動画や取材の反響は大きいと実感できるし、ありがたい気持ちもある」
「うん。それに私なら大丈夫だよ」
もちろん、こうなるだろうとの確かな予測が朔斗にはあった。
朔斗自身にも多くの問い合わせやオファーが来ているが、それらのほとんどに彼は断りを入れているの現状だ。
彼らは今のところ休日を二日間しか設定していない。
朔斗らのパーティーメンバーは休暇中に身体を休めたり、武具の購入や修理や消耗品の補充をしたり、香奈のお見舞いに行ったりしていて、余分な時間があまりないのだ。
そんな中――これはという人とは連絡を取り合い、さらに企業や団体からのオファーも吟味している。
恵梨香やサリアに迷惑をかけているなと朔斗は思う。
彼女らは朔斗に協力したいとの姿勢を見せてくれているのはありがたいし、面倒でもこれは必要なことだと彼は割り切っている。
恵梨香たちに来たコンタクトの中で気になったものがあれば、自分に言ってほしいと朔斗は彼女らへ告げていたが、今のところこれといったものはない。
(良太からの連絡は気になるが、これは恵梨香に言うことでもないな)
とりあえず、どんな用事なのかを聞かなければ判断のしようがないと思い至った朔斗は、あとで良太にその旨をメッセージで送ろうと決めた。
「あと一時間か」
室内の時計を見て漏れ出た朔斗の言葉に恵梨香が反応を示す。
「サリアさんはもうすぐ用意が終わるんじゃないかな」
「了解」
「今回は結構買うの?」
「ああ。せっかく新島さんが紹介してくれたお陰もあって、雑貨類が二割引きになるんだ。この機会にポーション類を限界まで買おう。といっても、野営セットで相当吹っ飛ぶが……」
新島千代は<EAS>との結びつきを強くするため、月英社と業務提携を行っている株式会社シエンと朔斗の仲を取り持ち、スポット契約の締結に尽力した。
探索者に必要とされる雑貨類を主に扱う株式会社シエンは実店舗がなく、商品をネットで販売している大企業のひとつ。
今回の契約内容は――
一、株式会社シエンが販売しているすべての雑貨類を、一回限り二割引きで<EAS>が購入可能。
二、<EAS>は株式会社シエンから、ロゴ入りの特級野営セットを購入する。
三、行き先が特級ダンジョンかつケースケチャンネルに出演した際、株式会社シエンのロゴが入った特級野営セット使用し、それが累計二時間以上動画に映るように取り計らう。
――というもの。
優遇される面に比べると、<EAS>が請け負う内容は自分たちの負担にならないと朔斗は判断した。
特級野営セットはひとつ当たり五〇〇〇万円と馬鹿みたいに高い。
上級野営セットしか所持していなかった<EAS>としては、まさに渡りに船というべきこの契約。
基本的に特級ダンジョンにも有効な特級野営セットは、特級ダンジョンへ向かう人数が少ない関係上、当然需要も少なくなるので量産はされず、そうそう価格が下がらないが今回は二割引きだ。
上級野営セットのままでは、休憩中モンスターに襲撃されるのは間違いないため、特級ダンジョンに挑みたい朔斗らにとって、特級野営セットは絶対に必要な魔道具だったのだ。
また、朔斗はダンジョンを早期クリアしたいので、特級マップメイカーを使おうと決めていた。
そしてそれを使用するには特級ボス魔石が必要不可欠。
特級ボス魔石の購入価格は、なんと八〇〇〇万円もする。
ちなみに売却価格は五四〇〇万円。
しかし、朔斗は特級ボス魔石を買うつもりはない。
なぜなら、その魔石は先日討伐したレアボスのアイスドラゴンの魔石を流用できるからだ。
ケースケチャンネルに出演した際に討伐したレアボスの素材が、魔石抜きで九〇〇〇万円という価格で売却できたこともあり、彼の懐は潤った。
とはいえ、今回野営セットに五〇〇〇万円も持っていかれるし、多くのポーションを購入する必要もあって、そこまで手元に残らない予定だ。
今日の買い物が終わったあと、貯金も含めて残るお金はおそらく一〇〇万円を切るだろう。
(できれば超級の野営セットも近いうちに欲しい……)
そんな思考をする朔斗。
もっと株式会社シエンと繋がりが強くなったり、もしくは違うどこかの会社と契約したりすれば、割引き率が上げられるかもしれないし、契約内容によってはもしかしたら無料で貰える可能性もある。
そうはいっても、会社などに強く縛られることを望まない朔斗は、契約を吟味しなければと強く思う。
「本当に高いよね……それに毎回特級ボス魔石を使い捨てにしちゃうのも、もったいないなぁ」
誰もが思う点を指摘する恵梨香。
恵梨香が持つスキルの特性のお陰で、上級ダンジョンを一回クリアしたらパーティー全体の平均収入がおよそ二一三〇万円。
彼女の【獲得報酬品質特大アップ】と【獲得報酬個数アップ】がなければ、大体一四〇〇万円なので差はかなり大きいと言えるだろう。
ダンジョンの総収入のうち、一割がボスの素材、三割がボス魔石、四割が報酬箱の中身、二割が道中のモンスター素材というのが一般的な指標。
これはあくまでもレアボスが出たり、報酬箱の中身に変化を及ぼすスキルがなかったり、ボス部屋へ直行して道中の敵を回避していかなかったりした場合に限る。
探索者の収入におけるボス魔石の割合がなかなか高く、ランクが高いボス魔石の売却価格は相当なもの。
ダンジョンに行くことで、魔石を自力で入手した場合は好きなように使用できるが、もしも売却をするのなら、誰もがそれをWEOへ売却しなければならない。
これは世界中で義務づけられているルール。
そうして魔石の価格は一定にコントロールされているのだ。
朔斗が<EAS>として活動し、踏破した上級ダンジョンは五回。
このうちの三回はマップメイカーを使用するべく、自力で取得した上級ボス魔石を消耗していた。
さらに、短い日数でダンジョンをクリアするため、モンスターとの戦闘回数が減っていることもあり、減収に繋がっていたが、そこをカバーしたのが恵梨香だ。
彼女の持つスキルが遺憾なく力を発揮していた。
「まあな。だけど、特級ダンジョンを一回クリアした際の見込み収入は、およそ一億七〇〇〇万円と言われている。この中でボス魔石の売却価格が五一〇〇万円。となると一億一九〇〇万円が俺たちの取り分だ。もちろん道中のモンスターから取れる素材は減るが、恵梨香がいることでこれ以上の収益を得られるはず。この金額は上級ダンジョンより相当多い」
「うん。中級から上級でも結構収入が増えたけど、上級から特級はそれ以上だよね」
「だな。あとは……特級ダンジョンは約十日間でクリアするのが一般的だが、迷わずボス部屋に直行するのならその限りじゃない。まだ行ったことがないから断言はできないが、この前も言ったように、目標は六日間だ」
「私も頑張るね!」
「ああ。それにしてもようやくだ……もっと早く特級に挑みたかったのは山々だけど、安全を期すためにも上級ダンジョンに数回行って資金を貯めたんだ。それに運よくレアボスも撃破できて、上級ダンジョンの回数が減ったのは幸いだった」
「うんうん、これで準備万端だね!」
「ああ、恵梨香やサリアの装備もある程度整えた。あとはポーション類を買い込んでおけば問題ないだろう」
「ポーションがもっと安くなればいいのに! 上級治療ポーションが一〇〇万円、特級治療ポーションが一五〇〇万円とか絶対にぼったくりだよねー」
「いや、一瞬で治療が終わるんだ。それだけの価格がついても仕方ない。それに俺たちの場合は回復役もいないしな」
その後、しばらく兄妹で会話を続け、途中でやって来たサリアと一緒に三人は新島千代から指定されていた場所へと赴く。
月英社の東京本社の一室で、<EAS>と株式会社シエンとのスポット契約は無事に結ばれ、さらに株式会社シエンの社員が持参していた雑貨類の中から、必要と思う物を購入していく朔斗たちだった。
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