26:ブレイバーズ 3
学校の新学期が始まり少し経った四月半ば。
まだまだ新入生気分が抜けない小学一年生、中学一年生、高校一年生などがはしゃぎながら歩く――とある住宅街。
家の中にいるとはいえ、完全には防げない少女たちの甲高い声によって、朔斗と同じ区画に住んでいるひとりの少女の意識が覚醒していく。
彼女の名前は千堂瑞穂。
しばし、ぼーっとしていた瑞穂が呟く
「もう朝……」
最近は夢見が良くないと自覚している彼女は、ベッドから降りてチラッと視線を前方下に向ける。
床に敷いた布団で寝ているのは、普段から口数が少なめで感情をあまり表情に出さない自分の親友。
まだすやすやと眠っている恵子から目を離し、瑞穂はタンスに向かい、下着や服を取り出してシャワーを浴びるため、自室から出て廊下を歩き階段を降りる。
一階にあるリビングルームで朝食をとっていた両親と挨拶を交わして、バスルームへと足を運ぶ。
「今日も汗いっぱい」
ため息をと共に漏れた言葉。
小さく首を振った彼女は脱衣所で全裸になり、バスルームでシャワーを操作する。
魅力的に育った年頃の裸体にお湯が全身に降り注ぐ。
身体の気持ち悪さが消え、瑞穂は少しだけ気分が上昇していくのを感じた。
そしてその後、髪の毛や身体を洗ってバスルームから出た彼女は、着替えを済ませてから洗面所で髪を乾かし、化粧水を肌に染み込ませる。
ひととおりの作業を終えた彼女に、洗面所へ入ってきた母親が話しかけてきた。
「お母さんも使いたいんだけど、そろそろいい?」
「うん」
洗面所の場所を譲った瑞穂は無人となっていたリビングルームを通り、二階に上がって自室に戻る。
部屋に入ると、すでに恵子が起きていて、彼女へ挨拶をしてきた。
「おはよう」
「うん、おはよう。良く寝れた?」
「ぼちぼち……」
「そう、シャワーを浴びてくるといいわ。洗面所にお母さんがいるから、髪を乾かすのはここでね」
こくんと頷いた恵子が少し大きめのリュックに手を伸ばす。
そこから下着や服を手に取り、部屋を出て行った。
ベッドに腰掛けた瑞穂が呟く。
「どうしてこうなっちゃったんだろう?」
彼女の頬を伝うひと筋の涙。
虚空を見ながら零す言葉。
「神様……ゼウス様、もう一度……」
審判の日の出来事、そしてダンジョンが地球に出現した影響で、今の世の中では神が実在していると考えている人が大多数だ。
地球における神の名――それは全知全能として有名なゼウス。
もちろん神の名を決めるにあたって、世界的に衝突があった。
人が神の名を決めるなど不遜だという意見や、自国に伝わる神こそ唯一神だと主張する者、神は多くいるのだから一柱のみ決めるべきじゃないという言い分。
幸いにして武力行使はなかったものの、意見は多岐にわたりなかなか決定されていなかった。
しかし、そんな中ひとつの指標が決定されたのだ。
それは――神級ダンジョンを初めてクリアした国民が所属する国に、神の命名権を委ねるというもの。
神の命名権を賭けたレースの勝者は、審判の日の影響もあって、近隣諸国の北マケドニア共和国、アルバニア共和国、ブルガリア共和国、セルビア共和国と合併を果たしていたギリシャ共和国。
そんなギリシャが決めた神の名がゼウスなのだ。
さておき、瑞穂の部屋に戻った恵子が身支度を終わらせてから、ふたりは一緒に一階へ降りて朝食を食べる。
共働きをしている瑞穂の両親は、そのときすでにいなかった。
本日はダンジョン攻略が休みということもあって、瑞穂の家に泊まりに来ていた恵子。
特に会話らしい会話もないまま終了した食事のあと、ふたりは瑞穂の部屋に戻って雑談を交わしていた。
そんな中、何を考えているのか読めない表情の恵子が言う。
「最近は全然ダメ」
「ダンジョン?」
「うん」
「たしかに危なっかしい場面が多々あるわ。上級ダンジョンだとポーション類を凄く消費してるし、武具の修理代も馬鹿にならない。ダンジョンに潜ってから出て来るまでの日数も、中級に比べてかなり増えたね」
朔斗をパーティーから追放し、和江を新たにメンバーとして加えていた<ブレイバーズ>。
幸いにして、未だ死者は出ていない。
三月一日に和江を含めて挑んだトロール・上級ダンジョンを、なんとかクリアして帰宅したのが三月十四日。
かつてないほど疲弊しきった彼らは、今までであれば三日に設定していた休日を五日間に延長せざるを得なかった。
とはいえ、一般的に上級ダンジョンをクリアした者らは五日程度の休息を取るので、これは平均的と言えるだろう。
しかし朔斗がパーティーにいた頃は、【解体】や【ディメンションボックス】の恩恵やさまざま雑事と戦闘中の指示を彼が引き受けていたこともあって、ダンジョンでの疲労度が一般的なパーティーよりも相当少なく、その分休日を少なめに設定していたし、それによって収入がアップしていたのだ。
三度目の挑戦となる上級ダンジョンから戻ったのは三月三十一日。
そして再び五日間の休暇を挟み、次はひとつランクを落として中級ダンジョンに向かった。
そこから帰って来たのは四月十三日だ。
中級ダンジョンも朔斗がいた頃より踏破に時間がかかってしまったので、彼らは体力のみならず精神的にも相当疲弊していて、今はそれを休めている期間。
上級ダンジョンのボスまでを問題なく倒せる探索者は、多くの者が平均七日間でクリアし、潜る頻度は年に三十回程度。
これを事故なく攻略することで、得られる年収はひとりにつき約八四〇〇万円だ。
ここから税金を引いて残る金額がおよそ五〇四〇万円だが、その中から探索に必要な物を揃えなければならない。
また探索に必要とされる武具や、ポーションや雑貨類を購入した際に発行してもらった領収書を取っておいて、きちんと税務署で手続きをしたら、その分は控除されてお金が戻ってくる。
その内訳は人によって異なるため一概にいくらとは言えない。
平均七日間でクリアする上級ダンジョンを、その倍近くである十三日で踏破する<ブレイバーズ>は、現状だと上級ダンジョンに挑んでも、その旨味を十全に活かしきれていないと言えるだろう。
さらに良くないのが、彼らはトロールの上級ダンジョンで多くのポーション類を使用し、長引く戦いや統率の取れない戦い方をしたため、武具を相当痛めてしまったこと。
これによって支出が相当に跳ね上がってしまった。
恵子は自分が望む今後の方針を言う。
「今みたいに戦っていくなら、次も中級ダンジョンがいいと思う」
「そうね。現状だと、いつ事故があるかわからないわ」
「事故らないように、事前準備をしておくにはお金がかかる」
「私たちはまだ十七歳、何かあるには早すぎる」
まだまだ自分は若い身、当然四肢を欠損したり死んだりしたくない瑞穂。
彼女は最近の大きな支出に頭を痛めていた。
ダンジョンの報酬箱の中から発見されたポーションのランクは六つで、それは最下級、下級、中級、上級、特級、超級。
このうち、下級までのポーションが人の手によって再現出来るようになっているが、それ以外はダンジョンから産出される物しかないので、価格が高値で止まっていて、中級の物でも一本二十万円程度。
ポーションになぜ神級がないのか? それはエリクサーがポーションの神級に値するからだというのが一般的な意見となっていて、それを否定する者はほとんどいない。
ポーションには種類が三つ存在し、効果や名称は以下のとおり。
傷を治す治療ポーション、失われた体力を回復させる体力ポーション、魔法や一部のスキルを使うのに必要な魔力を回復させる魔力ポーション。
ポーションはランクが上がれば上がるほど、効果も比例して上昇していく。
三種類の中でも一番消費が多い治療ポーション。
その効果が及ぶ範囲は最下級が小さな擦り傷、下級がある程度の切り傷、中級は深めの切り傷や単純な骨折、上級が切断面を塞いだり複雑骨折だったり、特級や超級は神経の治療もできるため、切断された四肢なども怪我をしてから時間が経っていなければ対応できる。
特級と超級は治療できる効果がほとんど同じだが、明確に違う点がひとつあり、それは超級には造血効果があるというもの。
それはそれとして、瑞穂と恵子の悩みは尽きない。
瑞穂は自然とパーティーリーダーである俊彦に対する不満を口にする。
「俊彦は本当に私たちの意見を全然聞いてくれないよね……」
「なんとかならないかな?」
「今まで何回も言ってるんだけどね。とりあえずダンジョンについては、上級じゃなく中級にしようってまた伝えよう?」
「うん」
「この前のように、中級も以前より日数がかかりそうだけど……それでも上級に行くよりいいと思う。今の状態で上級に行っても、支出が多いから結局は中級のほうが収入が多くなるし、危険も少ない」
今後の方針といっていいのか不明だが、一応の方向性をふたりで決めた彼女ら。
少しして恵子が呟く。
「今のままでいいのかな……」
主語をつけない彼女の言葉に対し、心当たりがある瑞穂が言う。
「それは朔斗のこと?」
「うん」
「俊彦があそこまで朔斗を嫌っていたなんて気づかなかった」
「対抗心を持っているのは知ってたけど……」
「このままじゃ朔斗が<ブレイバーズ>に戻ってこないよね」
「私もそう思う。それに……」
そこまで口にした恵子は軽く唇を噛む。
瑞穂は暗い顔をして目を伏せる。
しばし流れる沈黙。
それを打ち破ったのは瑞穂だ。
「噂で聞いたけど、朔斗は今パーティーを組んでるみたい。恵梨香ちゃんと、あとひとりは特殊探索者。最悪の場合、私たちと朔斗の未来が閉ざされちゃう」
「香奈に間を取り持ってもらう?」
瑞穂はゆっくり首を振る。
(そんなことできるわけないよ……もうずっとお見舞いにも行ってないし、朔斗が<ブレイバーズ>から追放された話だって聞いているだろうし。あの子が魔力過多症にさえならなきゃ、今と違った未来があったはずなのに……)
いつの間にか分かれていた親友だった少女との道。
「朔斗に会えなくて寂しい」
哀愁漂う声色で呟かれた言葉。
それは恵子のものであり、普段は表情に乏しい彼女が悲しみに明け暮れた顔をしているのがひと目でわかるのだった。
文法や表記法。
ケース4。
「貰う」、「もらう」の違い。
「貰う」は動詞。
「もらう」は補助動詞。
なんらかの物やものを貰うときが「貰う」。
基本的に「下さい」、「ください」と同様。
例
数学を教えてもらう。
一緒に楽しんでもらいたい。
あの子と一緒にスポーツをしてもらう。
部室にあの備品を貰いたい。
誕生日プレゼントを貰った。
賞状を貰う。
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