晴れ間
翌日の朝。また雨が降っていた。
夕夏は登校するなり、佐々木彩音のもとに行った。
「佐々木さん、昨日は本当にごめん」
両手を前でそろえて、謝った。
「松田さん?」
彩音はまばたきをしている。夕夏は周囲の視線を感じたが、自分の気持ちを、なるべくそのまま話した。
「恥ずかしい話なんだけど……。私、雨続きで、憂鬱になってて。あと昨日は東山くんにパンを取られたから、かなりイライラしてた。……でも佐々木さんに当たるのは、本当に良くなかった。ごめんなさい」
「お、大げさだって! 私、なにも気にしてないし」
彩音は夕夏の前で、両手を振った。夕夏は軽く笑顔を作った。
「ありがと佐々木さん。これからも仲良くしてくれる?」
「もちろん。えっと……夕夏ちゃんって、呼んでいい?」
そこで一限目開始のチャイムが鳴った。
雨は一限目の途中まで、降りそそいだ。
「おはよう」
夕夏は一限目が終わったあとで、廊下側の席に座っている、東山航のところへ行った。航はシャープペンシルを回していたが、夕夏が来ると、回すのをやめた。
「席、借りるね」
彼の前の席に、断りを入れてから座る。
「おう。今朝の、なんだあれ」
航は声をひそめた。
「仲直りしただけだけど」
「なんだよ。……ちょっと嘘つきやがって。しかも俺のせいにしたな」
航は口をとがらせている。
「あれくらいの嘘、方便の範囲よ。それより……あんたには昨日の放課後、色々と言っちゃったよね」
夕夏は航に、袋入りのフィナンシェを差し出した。
「ごめん」
フィナンシェは昨日、洋菓子店から試食品としてもらったものだ。
「……これ」
「お詫び。兼、口止め料」
夕夏は航に額を近づけた。航がかすかにたじろぐ。
「東山。あんたが黙ってくれていたら、私は彩音とうまくいくのよ」
「……まっつー」
航はためらいがちに聞いた。
「あいつのことは、もういいのか?」
三宅のことを言っている。
そう気づいた夕夏は、軽い調子で「さあ」と答えた。
「でも仕方ないって思っちゃったから……。たぶん、これでいいよ」
「了解」
「東山にはっきり言われて、もやが晴れたよ。自分の気持ちと向かい合えた」
「ん」
「ありがとね」
航はフィナンシェの袋を開けて、ひと口食べた。
夕夏はその様子を、頬杖をついて見守った。
「もっと、引きずると思った」
航はフィナンシェを飲みこんだ。
「そう?」
「まっつーと佐々木、タイプ違うから」
「ああ」
夕夏は彩音のほうを見た。
彩音は今、窓際で他の女子たちと、ファッションの話題で盛りあがっている。
「そんなふうには考えなかったな。だって彩音、可愛いし」
「まぁ、三宅にとっちゃな」
「東山も、可愛いって思うでしょう。彩音のこと」
「は?」
航の動きが止まった。
「だって昨日、それで私に怒ってきたんじゃないの?」
「………」
航は視線を泳がせてから、黙って夕夏を見た。
「違うの? ……可哀想って、かばっていたじゃない」
夕夏は頬をかいた。
「……そういうことにしとこうか?」
「なによそれ」
航はわざとらしく、首を横に振った。あてつけがましかった。
「これだけは覚えとけ。俺は身長にコンプレックスがあるけれど、小柄な子は好みじゃない」
「あ、コンプレックスだったんだ。伸びてきて良かったね」
「あと、まっつーも相当、デリカシーがないよ」
航は半分以上残っていたフィナンシェを、一気に口に放りこんだ。
「口止め料、メゾンの菓子だけじゃ物足りない。購買の総菜パンでも買ってくれ」
「え。購買のパンがいいの? メゾンのお菓子は駄目?」
夕夏は頭の中で、値段や味を比べた。今、渡したフィナンシェのほうが、高価で美味しい。
「いや。ここの菓子も好きだけど……姉ちゃんがメゾンでバイトしてるから。わりと普段から食ってるんだよね」
「は?」
今度は夕夏が、動きを止めた。
「……いくつ離れたお姉さんよ」
「四つ」
「お姉さん、可愛い感じ?」
「色気がない感じ」
「失礼なことを言うな。お姉さん、いい人そうじゃないの」
「なんで姉ちゃんの肩を持つ」
「……あー。さっきのフィナンシェ、あんたのお姉さんから貰った試食品」
「本当かよ。ますます、ありがたみねぇな」
航はふてくされ、足を組んだ。
「ま。今度改めて、なんかおごるからさ」
夕夏は軽々しく、航の肩を叩いた。
教室内がざわめいた。窓際から「見て」と、彩音たちの声。
雨あがりの灰色の空に、虹がかかっていた。
「きれいだな」
「うん。すぐに消えちゃうけどね」
夕夏は航と一緒に、虹を見た。
「また、ひねくれた言い方をして……」
「そう?」
夕夏ははっきりと笑った。
「今はほんとに、すっきりした気分だから。思ったことを言っただけなんだけどね」
視界は昨日よりも、ひらけていた。
昨日の夕方に食べた紫陽花のジュレも、爽やかな味わいで、美味しかったから。
雨が降っても、虹が出る。虹が消えても、また雨が降る。何度もその繰り返し。
空模様は変わるということが、今の夕夏には、励ましに思えた。
季節は六月はじめ。まもなく梅雨入り宣言がされる時期。
雨はもっと本格的になるが、晴れ間や虹が待ち遠しくなる。
紫陽花の彩りが深くなるのも、楽しみだ。
3. 梅雨明けジュレ(終)