リサーチ
『6. オーダーメイドの頼み方』の前日談。
5.5. シュガーでもフレッシュでも
朝と夕方に寒さを感じる、九月中旬。
洋菓子店『La maison en bonbons』のアルバイトスタッフである東山栞は、他スタッフと共に早朝から店に入り、せわしなく働いていた。素顔だと高校生に間違われるので、二十歳らしく見えるよう、ナチュラルメイクとヘアセットは欠かさない。
栞はほぼ販売スタッフとして働いてきたが、約二か月前に製菓衛生士の免許を取得してからは、菓子製造を担うことも増えた。
栞に指導するのは、昔馴染みの店長か、交際中である先輩パティシエだ。
栞がフルーツの皮むきをやめて、顔をあげた。壁時計は正午を示している。
「……えっと、仁科さん。今なんて?」
右手にペティナイフ、左手にグレープフルーツを持ったまま、恋人のパティシエを見る。
彼はスポンジケーキの表面に、生クリームを塗り終えたところだった。切れ長の目はまっすぐに、純白のケーキを見つめている。
「聞こえなかったか。『将来どんなウェディングケーキが欲しい』か、聞いたんだ」
「はぁ」
「東山なりの答えでいい」
仁科がデコレーション用のクリーム袋を持った。表面に塗っていた「七分立て」のクリームよりも、長く泡立てて固くした「八分立て」のクリーム。
クリームはケーキの表面に、リズミカルに絞られていった。
「将来どんなウェディングケーキが欲しいか、ですか」
栞はワンテンポ遅れて、聞き返した。
「これ……今度ウェディングのオーダーを聞くから、参考に知りたいってことですよね? 女性目線を」
「ああ」
「ようはリサーチ」
「うん」
「ですよね」
栞は仁科を見ているが、仁科は絞られていくクリームを見ていた。姿勢はしゃんとしている。顔半分はマスクで隠れていて、あまり表情が読めない。ただ雰囲気からは、照れや戸惑いはうかがえない。
仁科は来週にウェディングケーキの打ち合わせがあると思い出して、ふっと聞いてきた――この栞の見立ては、間違っていないようだ。
「急に話を振られたから、将来のウェディングケーキなんてどういう意味かなー? なんて、あれこれ考えましたけど。……リサーチですよね。はい」
栞はひとりで話しながら、グレープフルーツに向き直った。オーブンから天板を出している安藤店長が、こちらを見ていると気づいたからだ。『手を動かせ』と、貫禄ある眼差しで言っている。
「あとで答えますね」
栞は細長いペティナイフを使い、グレープフルーツの皮をむいた。黄色い皮も白い皮も一緒にむいて、次に、薄皮を残してひと房ずつはずしていく。カルチェと呼ばれる作業。
栞がカルチェを終えたとき、オーブン横にあった胡桃のサブレが、ちょうどよく冷めていた。
「店長。私、こっち詰めておきます」
「よろしく」
栞は胡桃サブレを、手早くセロハンに詰めていった。慣れた作業なので、手が勝手に動く。焼き菓子を詰めながら、理想のウェディングケーキについて考える。
……やっぱり美味しいのがいいな。あと見映えするもの。
……可愛いのが好きだけど、みんなで食べるものだから。
栞の考えは、胡桃サブレをすべて詰めたときには、まとまっていた。
「仁科さん、さっきの話ですけれど」
賞味期限ラベルを貼る準備をしながら、仁科に話しかける。
「うん」
ハンディタイプのラベル貼り機に、賞味期限となる日付を入力する。そしてグリップを握り、賞味期限ラベルを包装の裏面に貼っていった。ラベルが打ち出されるときは、かしゃ、と、軽快な音が鳴る。
「私ならウェディングケーキは、流行のものを用意したいです」
「流行?」
ラベル貼り機の音と、仁科の声が重なる。
「はい。長く色あせない、定番や個性派も素敵だと思うんですが――」
かしゃ、かしゃ、と。ラベルを貼る手は休めない。単純作業はミスなしで終えれば、ささやかな達成感がある。
「――流行りものって、その時代を表すものだと思うんですよ。だから、なるべく写真や動画に残ってほしいです」




