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洋菓子店のハリネズミ ~ La maison en bonbons ~  作者: 繭美
6. オーダーメイドの頼み方
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頼むから

 洋菓子店を出たあと、雅臣はもう一度、若葉に電話した。今度は電話が繋がったので、部屋の前で待っているとだけ伝えた。


 午後九時過ぎ。雅臣は若葉の住む賃貸に到着した。そしてスーツポケットに手を入れながら、彼女を待っていた。

 午後九時半。低いヒールの音がした。

「……まだ会いたくないって、言ったのに」

 気まずそうな表情の若葉が、のぼり階段から現れた。目をそらしながら、雅臣の近くまで歩いてくる。

「家に行く以外、思いつかなかった」

「困る」

「……ごめん」

 雅臣は若葉に、合鍵を差し出した。

「これ、返す」

「………。……待ってよ」

 若葉は鍵を前に、立ちすくんだ。顔をゆがめると、両手で雅臣の腕を掴んだ。

「雅臣、待って。別れたくない」

「え? ああ、違う。俺も別れたくない」

 雅臣の表情は、若葉より明るかった。キーホルダーもついていない鍵を、手で軽く振っている。

 若葉は呆然として、雅臣を見つめた。

「……別れたくないの?」

「……無理」

「あ……良かった」

 若葉は呆けたまま、床に視線を落とした。間を置いてから、雅臣に視線を戻す。


「……じゃ、鍵、なんで」

「甘えていたし、自分がやばいって気づいたから」

 雅臣は若葉の手を取ると、強引に合鍵を握らせた。

「だから鍵はいったん返す。オーケーだったら、またくれ」

「……ちょっと、雅臣」

 若葉は雅臣の言葉より、彼の体温に気を取られた。触れた手は、外の空気で冷えていた。

「若葉」

 雅臣は若葉のことを、強く呼んだ。

「その……好きだし、結婚してほしい」

「……え?」

 若葉はまた、呆けた顔をした。

「結婚して」

 二回言われたときに、若葉は顔を赤らめた。

「こないだは俺が悪かった。いくらでも謝るから予定どおり」

「待って、待ってよ」

 若葉はとっさに、両手を使って、雅臣の口をふさいだ。

「黙って」

 ちゃりんと音を立て、合鍵が床に落ちる。若葉は赤い顔のまま、雅臣を睨みつけた。


「部屋はいろ。ここじゃ恥ずかしい」

 雅臣が頷くと、若葉は急いで鍵を開けた。慌ただしく部屋に入っていく。

 雅臣はすぐに続かず、コンクリートに落ちた合鍵を見ていた。

「早く来てってば」

 若葉はパンプスを脱ぎながら、雅臣を呼んだ。

「……鍵は」

「拾え」

 そのまま返さなくていいと、吐き捨てるように言われた。


 若葉は部屋に帰ると、雅臣をリビングにとおした。しばらくしてから、ふたり分の珈琲を淹れて戻ってくる。

「これでも飲んで、落ち着いて」

 そう言うなり、若葉が珈琲に口をつけた。すぐにマグカップを離す。

「………」

 若葉は黙って、砂糖とミルクを珈琲に入れた。

「で、急にどうしたの」

「仁科と話してきた」

「……ああ、後輩の子」

「今日は打ち合わせ日だったんだ。ケーキは大まかに決めてきたけど、若葉の意見も取り入れるから」

「待って」

 若葉がとん、と、机を左手の指で鳴らした。


「さっきの話は、もう終わりなの」

 指を机に滑らせ、そのままマグカップを握る。

「さっきって」

「どうして急に、結婚してほしい、なんて」

 若葉の左手には、雅臣が渡した婚約指輪が光っていた。

「こう、別々で暮らすのももったいない……とか。そういう、流れだったような」

「……もう一回やり直す気でいかなきゃ、駄目だと思って。俺が間違っていたから」

「……ううん」

「この間は……怒鳴ってごめん」

 雅臣は熱い珈琲を飲みながら、言葉を探った。

 三口飲み、マグカップを置いた。

「仁科と話してわかったんだ。俺……」

「………」

 若葉は両手を膝に置いて、言葉を待った。

 雅臣が言いよどんだので、冷蔵庫のモーター音が、ふたりの耳に入る。


「……若葉が付き合った人数じゃなくて、若葉が好きになった人数が、もう問題なんだって」

「……え」

「若葉は付き合ったほかにも、俺と同じように、いろんな恋をしたんだろうなって。そう思うだけで」

 雅臣は片手で額を押さえた。

「いらいらする」

「雅臣……?」

「危ない考えだとは思うけど、もうどんな男か、全員、聞き出したい」

「あ、うん。落ち着いて。ほんとに危ないひとは、合鍵を返してくれないから」

 若葉はそっと、うつむいている雅臣の頭を撫でた。

「あと……雅臣だけ、好きだよ」

「本当だな」

「はい」

「……若葉が、好きなんだ」

 雅臣は自分を撫でている、若葉の手を止めた。そのまま両手で握る。


「……結婚式のことで怒ったけど、本当は、あれこれやってくれる若葉が好きだ。俺もなにかしてやりたいって、思えるから」

 若葉はどう答えていいかわからず、つい下を向いた。

「……もっといい女、いるよ」

「星の数だけいる。でももっといい女は、俺にまったく惚れないから、願いさげだ」

「うん雅臣。その言葉、そっくりそのまま返すね」

「だから……うまくいかなくても、諦めたくない」

 繋いだ手が、温かくなっていく。

「俺だけを見てくれなんて、無茶苦茶だとはわかっている。だけど嫉妬も抑えるから」

 雅臣はつい、少し大きな声を出した。

「頼むから完全に愛想がつきるまで、側にいてくれ!」

「わかった。わかったから!」

 若葉はまず「手を離して」と言った。そして残りの珈琲を飲むように薦める。

 雅臣も若葉も、ただ黙って珈琲を飲んだ。

 雅臣はブラック珈琲を飲みながら、若葉の様子をうかがった。若葉は赤い顔で、砂糖とミルク入りの珈琲を飲んでいる。いつになくおとなしい。

 やがて雅臣が自分を見ていると気づくと、マグカップを置いた。


「そんなに妬くんなら、今日私がどこに出かけていたか、気にならないの? ……休日に出かけていたのに」

 試すような視線。若葉の目元は腫れていた。

「……どこへ」雅臣の声がかすかに震えた。

 若葉は雅臣が動揺したとわかり、息を吐いた。

「女友達と会っていただけよ」

 若葉は『四人彼氏がいた』と口を滑らせた友人と、レストランにいたらしい。

「あの子とも喧嘩して……あとは、どうやったら雅臣ともとに戻れるか、相談に乗ってもらっていたの。……この歳で散々泣いたってのに。ばかばかしい」

 若葉は立ちあがり、冷蔵庫まで歩いた。

「食べた気がしない」と、冷凍庫から三日前のパンケーキを取り出す。

 パンケーキをレンジに入れると、雅臣の側に寄った。


「私から雅臣に近寄ったのに、なんでわかってくれないの」

「……なんでだろうな」

「一番長続きしたの、もうとっくに雅臣だよ。……そういうのも聞くのいや?」

「それは、ちょっと嬉しい」

「良かった」

 若葉はほほえんだ。

 雅臣が照れたと気づくと、その肩に頭を預けた。

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