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洋菓子店のハリネズミ ~ La maison en bonbons ~  作者: 繭美
6. オーダーメイドの頼み方
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裏口

 外は冷えていた。洋菓子店の裏口に回れば、月が輝いているのが見える。中秋の名月はまもなくだとわかる、美しい満月。


「……ここの店長、実はおっかない?」

 雅臣は裏口につくと、潜めた声で聞いた。

 仁科が頭に被っていた、パティシエ帽を脱いだ。

「わりと」仁科も小声で返す。

「お前大丈夫?」

「心配してくれるなら、あとで最高額のオーダーをください」

 帽子でついたくせを直そうと、仁科が髪に手をやる。整えられた髪型が、少し乱れていた。

「津久田先輩、なんで今日もひとりなんですか」

「……誘うの忘れてて」

「本当ですか? いっそ、腹割って話してくださいよ」

「お前、態度が変わりすぎじゃないか」

「十分しかないので」

 人どおりは少なかった。道路向こうの街灯が、店の花壇をうっすらと照らしている。

「だいたい、会場と連携が取れていない。オーダーなのにイメージが固まっていない。こちらの要望を聞いてくれない。遅刻。……おまけに店員のプライベートを勝手に晒す。津久田先輩って、迷惑な客なんですよ」

「辛辣すぎるだろ!」

「残り九分なので」

「………」

「時間管理に厳しかったひとなのに、最近の先輩はおかしいです」

 雅臣は携帯を取り出した。時刻は午後八時二分……閉店から二分、過ぎている。

 本来なら店に残っている全員で、片づけや明日の準備にかかる時間だろう。簡単に想像がつく。

「……実は」

 雅臣は若葉との間にあったことを、端的に話した。


「どうして言わなかったんだって。……俺はあいつだけなのに、あいつは俺じゃなくてもいいんだって、まだ思えてきて」

「………」

 聞いていたより、若葉が付き合ってきた人数が多い。それがわだかまりになっていた。

「結婚も………俺じゃなくても、て」

「……重症ですね」

「卑屈だとは、わかってんだけどな」

「卑屈っていうか」

 仁科は漆喰の壁にもたれていた。手には脱いだ帽子。

「アドバイスになるかわかりませんけれど。ひとつ、気づいたことはあります」

「言ってくれ」

「はい」

 雅臣も壁にもたれた。冷えが背中に伝わる。

「津久田先輩」

 雅臣と仁科は、別方向の風景を見ていた。

「昔のひとくらい、誰にでもいますよ」

 その言葉は、雅臣が夜空を見ているときに聞こえた。


「俺はあいつとしか、付き合ったことがない」

「それが先輩の驕りなんですよ」

「……意味がよく」

「初恋は、今の彼女じゃないでしょう。片思いや失恋の経験は?」

「………。ある」

 夜空に目が慣れてきた。今まで見えなかった星々が、視界に飛び込んでくる。

「忘れたり数えなかったりするけれど、誰でも恋を繰り返しています。それを全部、今の相手に聞かせるとか……しなくてもいいでしょう」

 雅臣は若葉のことを思い出した。悲しそうな顔。

「俺も同じように前の相手がいて……若葉も、隠したわけじゃないって?」

「そう思います。……大事なことは別です」

 雅臣は隣にいる仁科に視線を向けた。彼は店の花壇を見つめている。


「僕は今、新しい彼女がいますが。前のことなんて、お互い細かく話しませんよ」

 花壇ではローズマリーが、紫の小花を咲かせていた。

「世良のことは……三年ほど付き合った彼女がいた、とだけ。最近、名前も教えました」

「……いつ、世良さんと別れたんだ?」

「あまり言いたくないんですけれど。専門学校を卒業するころ」

「なんで」

「振られました。寂しいとか、この職業だと将来が不安とかで」

 仁科が脱いだ帽子を、宙に放った。

「そんなこと言われる筋合いないだろ」

「ただの悪口ですよ。……僕の場合は」

 海外留学中に連絡しなかったのが、良くなかった。そう呟くように続けた。

「先輩が結婚するって聞いて、羨ましかったです。仲直り、頑張ってください」

「……長々と話して、悪かったな」

 雅臣は背負っていたボディバッグをおろした。会社の書類やファイルの間に、招待状が見える。

 雅臣は招待状を取り出し、仁科に向けた。


「仁科。結婚式、出席してくれないか?」

 仁科は封の角が折れている招待状を、驚いた顔で見た。

「……今ですか?」

「若葉と話してくる。万が一駄目だったら、この招待状は捨ててくれ」

「え、キャンセルとかマジで困ります」

「そこかよ。あー……。祝儀いらないから、来てくれよ」

 雅臣は招待状が受け取られるのを待った。

「たぶん部のやつら、仁科がどうしているか知りたいから、ケーキを頼むよう薦めてきたんだろうし……。お前も見たいだろ。ここのケーキが振る舞われているところ」

「そりゃ、もちろん。……喜んで出席しますよ」

 仁科が片手で招待状を受け取った。カフェエプロンのポケットに仕舞う。

「十一月末なら店長がいれば、店は回るので」

 帽子を被りながら、いたずら半分の笑顔を見せた。

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