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洋菓子店のハリネズミ ~ La maison en bonbons ~  作者: 繭美
1. 洋菓子店のハリネズミ
2/39

コンセプト

1. 洋菓子店のハリネズミ


 休憩に出た店長は、あと三十分は帰ってこない。

 オーダーケーキの注文でも来ない限り、しばらくふたりきりで話せる。

 平日の正午過ぎ、小さな洋菓子店にて。

 販売と製造補助のスタッフである東山栞(ひがしやましおり)は、客足が切れたタイミングで、バックヤードにいるパティシエに声をかけた。


「あの。この間に渡したチョコレート、食べてくれました?」

 パティシエの男は作業中の手をとめて、考えこんだ。

「ああ、バレンタインにくれたチョコレートか? ……そうだな」

 栞はどぎまぎしながら言葉を待った。その間に彼を見つめた。


 仁科崇人(にしなたかひと)。栞より三つ年上の二十二歳。

 生真面目な性格が、容姿にも表れている男性。

 眉と髪はいつも整えられている。耳にかからない長さの髪は、落ち着いた茶色。

 栞がバレンタインに、手作りのチョコレートを渡した相手だ。


「まずあのチョコレートの、ターゲット層とコンセプトを聞かせてくれ」

「いやです」

「じゃあ『食った』で終了だ」

「それも、いやです」

「試作品の感想を聞かせてくれって言ってきたのは、そっちだろうが」

「そうですけど。ちょっと面倒くさいです」

 栞は仁科から逃げるように、ショーケース側を向いた。午前中に並べた華やかなケーキ達は、まだたくさんあった。

 栞はショーケースで、自分の容姿を確認した。

 明るい茶色に染めた髪は、後ろでひとつにまとめられている。ココア色の帽子も曲がっていない。化粧をしていないと幼く見られる顔は、まだ頬紅が崩れていないのに、暗い。


 二月十六日、正午過ぎ。

 繁忙期であるバレンタインが二日前に終わり、街外れにある洋菓子店『La maison(ラメゾン) en bonbons(アンボンボン)』は、少し暇だった。ホワイトデー用のクッキーや瓶入りのジャムが、陳列棚に並んでいるが、まだそれらを買いに来る客はいない。

 二日ぶりにアルバイトへ来た短期大学生の東山栞は、上司であるパティシエ、仁科崇人の態度に、うんざりしていた。


 ……手作りチョコレートを『試作品』と言って渡したことに、こうもこだわられるとは、思わなかった。

 ハリネズミをかたどった、三種類のチョコレート。

 学校とアルバイトを終えてからの、夜の十時から作ったけれど。まだ食べてもらえてないのだろうか。食べてもらうには、面倒なコンセプト発表をしなくてはいけないのか……。


 栞はショーケースの後ろにある、ラッピング用のアルミ台にもたれた。

 パティシエの仁科はシュー皮の生地を絞りつつ、栞に話しかけた。

「短大で、コンセプトは言わされているだろ」

 製菓コースなのだから、とつけ加えられる。

 栞はアルミ台に備えてある、赤いラッピングリボンを引っぱった。小指に巻く。

「私、発表とか苦手だし」

「苦手なら練習したほうがいい」

「私、まだ一年生だし」

「春から二年生だろう。短大の二年間なんて、あっという間だ」

 ……正論が面倒くさい。

 栞はいじけて、ラッピングリボンをさらに引っぱった。


「やだなぁ。仁科さんに渡すんじゃなかった」

 栞は嫌味を言って、仁科を見た。

 細身で姿勢が良く、コックシャツよりスーツが似合うと周囲に言われる。そういう堅さ、近寄りがたさを持ったパティシエは、嫌味を気にせずに作業していた。

 仁科はシュー皮の生地に霧吹きで水をかけると、熱いオーブンに入れた。

「感想を聞かせてくれって言ってきただろう。だから昨日までに、全部食べてきたんだ」

「え、三つともですか?」

「三種類あったから」

「ど、どうでした?」

「東山」

 仁科が衛生管理のためのマスクを取って、栞にほほえんだ。

 目元以外で笑っている。やっかいな客をあしらうときの笑顔だ。

「コンセプト」

 栞はリボンをいじるのをやめて、休憩室に向かった。ショルダー型のトートバッグからノートを取り出すと、仁科のもとに行った。

 アルミの作業台の上で、ノートを開く。ハリネズミをかたどったチョコレートの、デザイン画があるページを見せた。

「ちゃんと書いているじゃないか」

 仁科の目元も笑った。

 栞は顔を赤くして、軽く咳払いをした。


「……バレンタイン用のチョコレートと仮定して、作ってみました。購買の第一ターゲットは、二十代の女性です。第二ターゲットは中高生の女子」

 緊張で声が震える。色鉛筆で描かれたチョコレートのハリネズミを、そっと指差した。

「可愛い見た目で、手に取ってもらえたらいいなって。ハリネズミにしました。幸運を運ぶ動物だそうなので、その、イメージもいいです」

 セット販売を仮定して三種類――ミント、オレンジピール、アーモンド――それぞれ別のものを混ぜたチョコレートで、ハリネズミの胴体を作る。背中の棘はナッツとチョコスプレーで再現。仕上げにアイシングで作った白い花を、頭に飾る。そういった制作手順を、栞はたどたどしく話した。


「ハリネズミ」仁科が言った。

「……確か、自宅で飼っていなかったか」

「そうですよ。仁科さんには、写真を見せたことがあります」

 栞はカフェエプロンのポケットから、携帯電話を取り出した。

 つぶらな瞳のハリネズミがいる待ち受け画面を、仁科に見せた。

「ハリネズミは棘があって可愛いです。というか、ちくちくした感触が最高なんです」

「ペット自慢はいらない」

「でもこの写真、良くないですか?」

「まぁな」

 栞はほほえんだ。仁科が待ち受け画面を見つめる時間が長いと、気づいていた。

「ハリネズミの可愛さは、再現できてると思う」

「ありがとうございます」

 栞は返された携帯電話を、またエプロンのポケットにしまった。


「ええと。本命の男性へのチョコレート……としても、お買い上げいただけるのですが。か、隠れたコンセプトは、女性の『自分用チョコレート』です」

「ああ。そういう客、今年も多かったな」

「そうですよ」栞は大きく頷いた。

「私は女性のほうが、チョコレート好きな方が多いと思っています。確かチョコレートには、安定する成分が入っていて。それからバレンタインは女性客が多い……だって女性が告白できる日、というフレーズで定着したものだから。ええと。あ、海外では違いますが……」

 本命。女性が告白できる日。そう口にしたせいもあって、緊張が高まった。汗が浮かび言葉に詰まる。

「……に、仁科さん」

 栞は口ごもり、話すのを止めた。

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