ふたりの朝食
6. オーダーメイドの頼み方
世界にひとつだけの式。
結婚式の準備をはじめてからずっと、このフレーズを、ウェディングプランナーから聞かされてきた。最初こそ心が動かされたが、もう「はぁそうですか」という感情しか、津久田雅臣には浮かばない。
中小企業勤めの自分には、挙式費用は、安くない金額だから。
雅臣の婚約者は、二十七歳の女性。ひとつ年上。彼女は『世界にひとつだけの式』に、まんざらでもない様子だ。
「大変だね」と言いつつ良い式にしよう、予算内におさめようと、毎日頑張っている。
雅臣は彼女のサポートに徹していたが、本音は別にあった。
そもそも『世界にひとつだけ』なんて、ありえない。ばかばかしい。
流行の演出。ありふれた余興。定番のブーケトスにケーキバイト。その組み合わせを変えただけで、世界にひとつだけとうたっている。大差はないのに。
そうぶつぶつと。内心、ひねくれながら。
雅臣は婚約者の桐生若葉から「本日のスケジュール」を聞いていた。
ふたりの前ではパンケーキが、香りある湯気を立て、表面にふつふつと穴をあけている。
レモンまたはヨーグルトで酸味を加えた、バターミルクパンケーキは、桐生若葉の得意料理だった。彼女がパンケーキを作っている朝は、焦がしバターの香りが鼻をくすぐるので、雅臣にはすぐにわかる。ベッドから起きあがってくれば、リビングでパンケーキを作っている彼女に出会う。
「おはようございます。本日で十一月の結婚式の、二か月前になりました」
小物雑貨の販売員である若葉は、スケジュールを朝礼風に言うくせがあった。
雅臣は起きたままの服装だったが、若葉はもう私服に着替えていた。オフショルダーのブラウスにスキニーパンツ。ウェーブパーマがかかった長髪は、後ろでひとつにまとめている。そして左手には婚約指輪をはめて、右手にはフライ返しを持っていた。
「本日は土曜日です。雅臣は休日ですが、私は仕事です。ごめんなさい。雅臣ひとりでケーキ屋さんへの打ち合わせと、招待状の手渡し分を、お願いします」
「へい」
雅臣はダイニングテーブルに、ふたり分のフォークとナイフを並べた。眠たそうに一重の目をこする。
若葉はホットプレート上の四枚のパンケーキを、裏返していった。
「ケーキ屋さんとは、何時に待ち合わせだったっけ?」
「午前十一時」
雅臣は白い皿を差し出した。若葉がぽんと、パンケーキを置く。
「ケーキ屋に行くの、ちょっと憂鬱だ」
雅臣がバターナイフを片手にぼやいた。
「なんで」若葉がレーズンバターを渡した。
そして若葉はボウルからパンケーキの生地をすくい、ホットプレートに落としていった。黄色い円が並ぶ。
「今日もお店に、陸上部のころの後輩さんがいるんでしょ? 話しやすいじゃない」
「そいつだよ。憂鬱の原因」
雅臣は焼きたてのパンケーキに、レーズンバターを塗った。
「久々に会ったらよそよそしい。だいたい仁科は……昔から、とっつきにくいんだ」
レーズンバターが、パンケーキの熱で溶ける。
「それに後輩ったって、俺は三つ上のOBだから。一緒に部活していないし」
「うーん」
若葉は困り顔で――キッチンからシーザーサラダ、半熟のスクランブルエッグとミニトマトを並べた皿を、トレーに乗せて運んできた。それらを、バターミルクパンケーキの隣に並べる。
「営業職の雅臣でも、接しにくいひとって、いるんだね」
「話下手な営業や販売なんて、どこにでもいるだろ」
「そういう子には、まず笑顔を教えているよ。口角だけでもあげてって」
若葉は口角に指をあて、営業用の笑顔を浮かべた。
「……ね。とっつきにくいって、具体的にどんな感じ?」
「愛想がない」
若葉はパンケーキにレーズンバターを塗り、その上にスクランブルエッグを重ねた。半熟のスクランブルエッグはクリームのようにとろけている。
「写真あったら、見せて」
「ちょっと待ってろ」
雅臣はパンケーキを丸めて、口にくわえた。
そして携帯を操作して、古い画像を表示すると、若葉に手渡した。
雅臣の携帯には、約五年前の光景が映っていた。
部活用のジャージを着た高校生たちが、和気あいあいとしている画像。
「端に映っている二年坊が、仁科。今はパティシエやっている後輩だ」
雅臣は大学に進学しても、たびたび母校を訪れた。高校で長距離の代表選手を務め、大学でも陸上を続けていたから。
雅臣は高校卒業後も、母校の顧問や後輩から、指導に呼ばれていた。
卒業後に出会った三つ下の後輩は、最初はとっつきにくかった。同じ長距離選手だというのに。
「へえ。身なりに気をつかっている子だね」
若葉は画像の端を見て、そう感心した。
「ちゃんと髪型を作っている」
「女はすぐそういうとこ見るよなぁ」
雅臣は悪態をつきながら、パンケーキを裏返した。きつね色。
「雅臣の寝ぐせがついた頭も、可愛いよ」
若葉は雅臣からフライ返しをもらい、できあがったパンケーキを重ねていった。一番大きいパンケーキを「おかわりね」と、雅臣の皿に置いた。そして再びホットプレートいっぱいに、生地を流し込んでゆく。
「若葉。……何枚焼く気だ?」
「たくさん。あまったら冷凍」
パンケーキが膨らむ間、若葉はまた、雅臣の携帯を見た。
「この写真だと」雅臣に携帯を向ける。
「あなた隣にいるじゃない。けっこう仲が良さそう」
雅臣は携帯を見た。
どこか不満そうに視線をそらす後輩の隣には、正面を向いて、笑っている自分がいた。
「……どこが、仲が良さそうなんだ?」
「雅臣、この子の服の袖を持っている」
「集合写真をいやがったから、無理矢理に連れてきただけだ」
「この子、孤立気味だったの?」
「いや全然。マネージャーより料理が上手かったから、合宿で重宝されていたな」
若葉がしたり顔になった。
「思い出あるじゃない。よそよそしいなんて、気のせいだって」
「そうだといいけど」
雅臣はそう切りあげると、おかわりのパンケーキにも、レーズンバターだけ乗せた。
「もう。色々と用意してるのに!」シーザーサラダが差し出される。
「シンプルなのが好きなんだ。レーズンバターより、ただのバターのほうがいいくらい」
「わからなくもないけど。メープルシロップいる?」
「もらう」
若葉は席を立った。雅臣はパンケーキの焼け具合を見はった。
「あ、報告あった」
チューブ入りのメープルシロップを持ってきた若葉が、座るなり言った。また結婚式の話題らしい。
「私、先週、花屋さんと打ち合わせしたでしょ?」
若葉がパンケーキを裏返した。計十二枚目。
「うん」
「で……式場に飾る花、見積もりよりお金をかけることにしたの」
「いくらぐらい」
雅臣はパンケーキにシロップをかけた。
若葉は「えっと」と言いながら、皿に十二枚目のパンケーキを積みあげた。小さなパンケーキタワーができあがる。
「……ほ、ほかを削って予算に回そうかなって、思うくらい?」
若葉はばつが悪そうな顔で、具体的な金額を言った。
若葉が装花にかけようとしている金額は、雅臣の予想より高かった。見積もりの二倍。
披露宴なしのごく簡単な結婚式が、一回か二回、挙げられる金額だ。
「そんなにかけるのか。予算内でお任せしたら駄目なのか?」
「だって……。見積もりの額だと、ボリュームが足りないんだもの。高砂もゲストテーブルも、もっと華やかにしたいよ」
「花なんてそう見ないだろ」
「雅臣はそうでも、そうじゃないひとはいっぱいいるの」
若葉は必死になって、式場の花の大切さを語った。
「わかったよ。で、どこから予算を削る気なんだ?」
「とりあえず、私のドレス」
雅臣は小さく首を傾げた。
「この間、決めたばかりだろ」
「うん。あのドレスも良かったけれど。もう少しお金かけなくても、いいのあったし」
若葉は珈琲に砂糖とミルクを入れて、かき混ぜていた。マーブル模様を見ている。
「花嫁よりゲストにお金をかけるほうが、いい節約だと思うの」
「ドレスはふたりで見にいったのに」
「でも」
若葉が瞼を伏せた。拗ねた彼女は子供っぽく、ひとつ年上だと感じさせない。
雅臣は考えた末、自分が折れることにした。
「じゃ、ドレスを選び直したら、また教えてくれよな」
「うん。……ありがと」
若葉がほほえむ。その笑顔を見て、雅臣も笑った。
そして雅臣は、積みあがったパンケーキを見た。思いがくすぶる。
……今日やることもパンケーキも、まだまだ残っている。




