第一章 悠久の塔 第一層 TRS OBTdate.1 その2
右側の道も同じような石造りの道、レンガ造りの壁、煌々と輝く松明。
ダンジョンが明るく見えるのは松明の明かりでは無く、プログラムされたライティングによる効果で実際であれば松明程度の光であれば随分と薄暗く見えるはずなのだ。
考えれば不思議なモノではあるが、見えている光景すべてが仮想現実であり自らの肉体と同じように動かしているアバターも全てただのデータである。肉体を構成しているアバターのモデルで使用されている平均ポリゴン数は約100テラポリゴンだ。
昔の時代では1万ポリゴンでも凄いと言われていた時代も存在するらしいが、現在で言えば1万ポリゴンは0.00001テラポリゴン相当で本当に小さなサイズでしかない。
様々な処理を加えれば少ないポリゴン数でも実物に近い表現も可能ではあるが、仮想現実では触れることが出来ることが前提となっている為に多くのポリゴンレイヤーを使用している為に莫大なポリゴン数を必要とする。
作り込み次第では繊維状のポリゴンを使用して布を作るという事をするアバタークリエイターもいるがさすがにそこまでするとあり得ない量のポリゴン数が必要となる。
また、人間を細胞レベルで完全にトレースして3Dデータ化すると4ペタポリゴン(4000テラポリゴン相当)程度必要となり、実際に動かすことを考えるとそれの数倍以上のデータが必要となり、現在普及している小型のキューブストレージ複数個を完全に占有するくらい膨大な記憶容量が必要となり、一般的な環境では不可能だと考えられている。
さすがにそこまで巨大なデータをネットワーク越しに動かすとなると負荷が多くなり、様々なところで問題が生じる可能性もある為に作っても意味がないので誰もそんなことはしない。
ただ、それも数年経てば完全に人間をトレースしたデータを仮想空間で動かすなんてことも行われる時代がやってくるかもしれないと俺は考えていた。と、いうよりも専門家や評論家たちもそう言っている。
「……ってば、クーさん大丈夫?」
「え、ああ、大丈夫だ」
歩きながら考え事をしていたせいでどうやら、みんなが心配しはじめていたようだ。
「たまーにボーっとしてることがあるよね、クオンってば」
呆れたようにカレンは魔銃でつついてくる。
「そう言いながら、つつくのはやめて欲しいなカレン」
「暴発なんてしないわよ」
「『銃で遊んでると死ぬぞ。』って、るかちが居たら確実に言うな」
「あ、それって『ガンドゥーム』のブチョーのセリフね。ウチもあのセリフ好きなのよねぇ、声優さんは永澤二郎ね。あの人、もう亡くなっちゃったけど、とっても渋い声で好きだったわ」
カレンはかなりのゲーマーではあるけど、アニメや映画、声優などにも非常に詳しい。
実生活が見えないちょっと変わったヤツで、俺たちのゲームコミュニティの初期から在籍しており、一応リアルでも見知っている人物だ。
「でも『ガンドゥーム』ってすごく昔の作品だよね、たまに話題に出るけどクソ作品言ってなかった? アレって嘘なの? るかちもカレンも好きってことはいい作品ってことじゃないの?」
アコちゃんは不思議そうな顔をしながらそう言う。
アコちゃんもアニメ系のコンテンツが好きなでこの手の話には良く喰いついてくる。
「んー、なんていうかな。作りとしては普通なんだけど、細かいところがマニアックなのよ。だからコアなファンがいる作品かな~。でも、随分と昔――えっと20年以上前の作品だから、見てガックリしちゃうかもw」
「そっかぁ。じゃ、見るのは止めておこうっと。そういえば、『OVERMODE』って面白いって聞いたんだけど、カレンさんは見た?」
「あ、アレね……」
と、アコちゃんとカレンはアニメ映画の話で盛り上がる。
こういう時、シャッハはほとんど話に参加することは無い。彼は全くそういうのに興味が無いというわけじゃなく、彼の守備範囲がちょっと偏っているせいだということはリアルに知っているこの場の面々は皆分かっている。
「そういえば、るかちもやっぱりアッチに行ってるのか?」
シャッハは目の前の魔物を倒しながら思い出したようにそんなことを言う。
『るかち』とは俺たちのレギオンの首領で、このゲームでの対人最強の戦士――いや、彼女の場合ほとんどのネットダイブを利用したアクションゲームでの対人戦績は普通の人からすればズバ抜けている化け物だ。
そして、俺の実姉でもある。
俺がコアゲーマーになってしまった元凶であり、俺は彼女に無理に付き合わされ小さな頃から様々なネットゲーに参加させられている。このゲームもそのひとつだった。
「まぁ、あの人は流れ星みたいなもんだし、クローズドテストが終わったゲームに居つくこともほとんどないしな。よっぽどの理由が無い限り来ないんじゃないかな」
俺がそう言うとみんな魔物のターゲットを取ったり、倒したりしながら残念そうな声を上げた。
「そうしたらレギオンも解散するしかないか……」
「次はシャッハがレギオンマスターになったらどうかしら?」
「るかちがオープン終わるまでに戻って来なかったらな」
シャッハはそう言って骸骨弓士の矢を剣で切り落とした。
「ま、ウチもこっちに来たくらいだから他のメンバーも来そうな気がするけどねっ」
カレンはイタズラっぽく舌を出して骸骨弓士を仕留め、次の獲物を捜索しながら言いつつ、何かを見つけたように皆の足を止めるように指示を出す。
「粘質生物が沢山沸いてる通路みたいね――数は10程度」
「うわぁ、粘質生物かぁ~やだなぁ」
階層のレベル帯が決まっているから強敵では無いことは確定ではあるが粘質生物系の魔物は特出したステータス、状態異常系の攻撃などを持っている為に非常に嫌がられている。
「カレン、色は何色? 出来れば<標的詮索>を使って確認して欲しいけど大丈夫?」
俺がそう言うとカレンは親指を立てて<標的詮索>を発動する。
「ありゃ、一番面倒なヤツだわ。酸性粘体よ。ひとまず出来るだけマーキングするねー」
「オッケー、シャッハとアコちゃん耐久回復系のアイテムって持ってきてる?」
聞くと同時に彼らはすでに装備ステータスとアイテムボックスを表示して微妙な表情をする。
「思ってるより持ってなかったな。もう少しキチンと準備してダンジョンに入った方がよかったと少し後悔してるよ」
「右に同じだよ、クーさん」
シャッハとアコちゃんは色々と他のアイテムも持ってきた方がよかったと口々に言いながらここまで引っ張ってきた魔物を残念そうに処分した。
「さすがに酸性粘体を引っ張るのはキビシイよな」
「まぁね、レベル差があっても酸攻撃の効果は喰らう可能性があるからなぁ。これからの階層の事も考えると特に前衛には無理させられないな……ってか、バランス調整とかやってないだろ運営……」
俺はそう言いながらアイテムを確認する。基本的に酸性粘体は酸攻撃を2種類持っている。
まずひとつは酸性液射出でこれは酸液を噴出させ、一定の範囲に酸攻撃の判定が発生する土壌に変える。もうひとつは酸性槍で酸性粘体の肉体の一部を槍のような形に変え突き刺してくる酸性の攻撃特性を持った攻撃である。
面倒くさいのは酸性液射出で狭いフロアで10匹以上いると地面のほとんどが酸のダメージ床と変貌してしまうのだ。特にこのゲームで粘体生物系は非常に攻撃的な設定となっていて、優先的に特殊攻撃をするAIとなっている。
俺がアイテムを何故確認したかというと、床ダメージや特殊効果に対しての耐性を付与する為の触媒アイテムの残り量を確認したのだ。
「他の階層で使用しないといけないことを考えると厳しいかもな」
「耐性ポーション?」
「いや、触媒の方。一応、<上級耐性>用の魔石が足るかどうか確認したのさ」
俺の言葉にシャッハとアコちゃんが「なるほど」と声を揃える。
「じゃ、スキル使うから一旦集合して」
そう言うとすぐに三人とも傍にやってくる。
<上級耐性>は各種の属性ダメージに対しての耐性を急激に上昇させるスキルである。ただ、このスキルは効果は非常に高いのだがスキルの効果時間が思ったより長くなく3分しかもたず触媒アイテムを消費する為にガンガン使っていくより使いどころをキッチリと考えて使わないといけないスキルになっている。
触媒アイテムには幾つかの種類があり、魔石と呼ばれるアイテムを使うことが多い。使用に魔石の数量を確認したのには他にも使用するスキルが多い為で所持アイテムの限界や重量制限などもあってあまりにも大量に持っていくことが出来ないのだ。
「サンキュー、クオン。で、これからどうする? 一気に突破するか、全部掃除していく?」
「出来れば、このまま一気に通り抜けよう。捕縛系のスキル持ってるタイプじゃないし」
「そうだね。クーさんの言う通りでいいよ」
全員、俺の意見に賛同し酸性粘体がいる通りを一気に通り抜ける為に駆ける。
「うわぁ、あの臭いだけはキツイよねぇ」
酸性粘体の群れを通り抜け、大きな門のある広間へ出てきたところでアコちゃんはまずそう言った。
ネットダイブ系のゲームでは大きな刺激は感じることは無いが多少の匂いや触感などの刺激を判別することが出来る。卒倒するほどの刺激臭は無いが酸特有の腐食臭が実に巧妙に再現されている。
「さすがにこういう臭いとかは出さないように設定して欲しいところだけど、この会社ゾンビ物とかのリソース大量に持ってるからこの手のヤツは得意だよな」
「確かにね。銃の音とかもちゃんと米国でサンプリングしてるらしいわね」
カレンは背中にスナイパーライフルの形状をした魔銃をしまい、服に付いたベトベトした液体を拭いはじめる。
スライムが放った液体は一定時間経てば自動的に消えるようになっており、ベトベトした液体は特に重さも負荷も感じることの無いただの効果エフェクトとなっている。
拭えばすぐに消えるモノではあるが女性プレイヤーの多くはみんな気になるらしく、すぐに拭う姿が見られる。
「カレンさん、ヌメヌメ効果を喰らった時っていつもそれするよね。どうせ1分で消えるのにさ」
「ただのエフェクトってのは分かってるけど、なんか臭う気がして嫌なのよ」
カレンは身体についたベトベトした液体を拭い終え、スッキリした表情をして再び魔銃を手に取り周囲を確認しはじめる。
「意味ありげな門だけど、付近に敵とか出てきそう?」
俺も門の付近を眺めながらカレンに聞く。カレンはスコープを眺め「敵はいなそうだけどぉ」と言いながら慎重に確認を行う。
現在の場所はちょうどマップの中央にあたる位置で今までの道からすると3倍以上の広さのあるフロアで広間という言葉がしっくりくる雰囲気だ。壁にはこの世界の神話をモチーフとしたレリーフが彫られている。
「壁の作り込みはなかなか凄そうな雰囲気だね。クオン、あの壁ってデジタルスカルプトで作ってるよね?」
シャッハは壁の方を指さしてそう言った。
デジタルスカルプトというのは3D系の造形手法である。普通、3Dモデリングを行う場合に使用する空間彫刻ソフトを使った手法のことだ。
3Dグラフィックを作る方法は幾つも存在し、複雑でより完成度の高いモデルを作ろうと思うと幾つものソフトを使って作ることが多い。特にデジタルスカルプトはドラゴンや壁の彫刻など、ゴツゴツとした無機物に対して非常に有効な手法で仮想空間での作業に親和性も高く多くの人がツールとして利用している。
「シャッハは2Dのドロー系のソフトがメインなんだっけ?」
「やっぱり、3Dとかって覚えた方がいいかな?」
シャッハは美術系の学校に行っており、絵描きを目指している。俺なんかより遥かにデッサン力もあって将来有望な人材だ。
「どっち系に進むかだよ。俺はアバタークリエイターの道に行ったけど正直言って、仕事としてはイマイチだと思うよ。もし3D系に行くならゲーム系より映像系を目指した方がいいよ」
「やっぱりそっかぁ。でもアバタークリエイターも人気出れば結構な儲けになるんじゃないの?」
シャッハはそう言うがハッキリ言ってアバタークリエイターで稼いでいる人はほんの一握りだ。実際、オリジナルアバターが使用できる正規のアプリケーションが少ない。そんな中で稼いでいる人がいるとすればそれは違法ソフトに使用するアバターを提供してる人たちだ……。
海外の違法ソフト関連の企業は日本のアバタークリエイターをヘッドハンティングしているという。この情報は知り合いからも聞いているので知っているので、出来ればそういうアンダーグラウンドな世界に知り合いが向かって行かないようにしたいところだ。
「いやぁ、ホント儲からないよ。マジでフリーのアバタークリエイターなんて殆どいないし。有名な人はイラストレーターだったり大手ゲーム会社所属の人だったりするから」
「そうなんだ……」
「って、キミらいつまで遊んでるの? 別に構わないけどさ――ちょーっとゆっくりしてたら酸性粘体の棲み処に他のパーティーが来たみたいよ」
カレンの声を聞いて後ろを振り向くと通路の遥か向こうで酸性粘体のスキル発動のエフェクトが見える。
「って、ことはこの門の先がボス部屋ってことか」
「だね、クーさん! ちゃちゃっとヤッちゃおうよ!」
アコちゃんは鞘に納めた双剣を抜き払い早く遊びに行きたい子供のように笑う。
「よし! 闇泥の牢獄を拝見しにいきますか!」
その言葉に皆は「おー!」と声を上げ門へ向かった。