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九十七話 『桶狭間ノ山』 一五六十年・吉乃



 凍るほどの殺気の中を、私たちは進んでいく。


 桶狭間の丘陵地は、今川の軍兵たちがひしめいていた。


 今川の家紋、二つ両引が大きく描かれた幔幕が、すでにあちこちに貼られている。


 弓矢に鉄砲、具足に槍、そして糧食・・・今川勢の武具や物資が、所狭しと積み上げられていて、その間を今川の武者たちが慌ただしく通り抜けていく。


 桶狭間で立ち止まったのは、丸根砦に向かう途中の休憩であるはずなのに。


 幔幕と置き盾、矢束で囲まれた桶狭間山は、まるで今川の砦のようで・・・



「これが、今川の本陣・・・」



 今川軍が桶狭間に着いて、まだ数刻も経っていないはずだ。

 それなのにこれほど今川の色に染まった桶狭間の陣に、私は圧倒されてしまう・・・


 これが、今川の大軍・・・



 話には、聞いていた。

 どれほど、今川の軍勢が大軍か。


 けれど、実際自らその実像を目の当たりにして、驚きのあまり私は息を呑む。


 織田とは、全く規模が違う・・・


 美濃の戦、稲生原の戦、織田の陣を私は何度か目にしてきた。

 弥平次さまと共に過ごしていたときは、武家の嫁として弥平次さまの戦支度もさせていただいた。


 そのときでも、これほどの大きな陣と積み上げられた物資は見たことがない。



「おぉ・・・これは壮観だな・・・」



 将右衛門も今川の陣の規模に、多少なりとも驚いている。

 野武士として戦の経験は豊富だけれども、その将右衛門でもこれほどの規模は見たことがないらしい。



「おいっ、よそ見をするなっ。はぐれても知らぬぞ」



 私たちを先導する今川のお侍が、苛ついた口調で私たちを注意をする。

 相当機嫌が悪いのか、何度も舌打ちをして。


 「何故、かような怪しい輩を陣に入れる・・・上は何を考えているのか」隠すことなく愚痴を零し、不満げな顔をしていた。

 私たちを招き入れることが、気に食わないようで。


 まぁ、心情はわかるけれど・・・そういえば弥平次さまもよくぼやいていた。やっぱり、宮仕えのお侍ってのは大変なんだな・・・


 私のはったりに怯えて、一度本陣に判断を仰ぎに戻った騎馬武者のお侍は、私たちを本陣に招き入れるよう下知を受けて驚いたらしい。


 けれど、いくら不満があろうとも上からの下知であれば逆らうことは出来ない。

 私たちは無事、今川の本陣の中へ潜り込むことが出来た。



「お嬢が侍相手に啖呵を切ったときは肝が冷えたがな。案外、すんなりと陣の中に入ることが出来たな」



 将右衛門が、私に声をかける。



「まぁ、おおむね予想していた通りではあるけど」



 今川義元は私などを相手に、わざわざあの能面の女をよこしてきたんだ。

 こちらから出向いて追い返されることなんてないとは思っていた。


 けれど、問題はここからで・・・



「臭うな・・・わざわざお嬢や俺らを招いて、今川義元の狙いはなんだ」



 怪訝そうに、小六が呟く。



「・・・なぁ、お嬢。ここ、どこかおかしくねぇか?」



 将右衛門がなにかに気づいたのか、私に小声で声をかける。



「おかしい?」



「武具や荷駄が、多すぎやしねえか? 逆を言えば、荷駄の量を比べて野郎の数が少ねえ」



 そこら中に積み上げられた荷を見ながら、将右衛門はそのようなことを口にする。



「それによぉ、あいつ・・・それからあいつとあいつもだ。具足を着てねえ。あいつらみんな侍じゃねえ、荷駄を運ぶ人足だ」



 確かに・・・

 ふと本陣の中を見渡していると、具足を身につけたお侍の中に何人か、着の物姿のままの男が混じっていることに気がつく。

 それに、一部だけじゃない、あちこちにも・・・



「今川は丸根と鷲津の砦を落としたんだろ。もしかして、大半の兵は砦に寄せ集められてんじゃねえのか」



 なら、今この桶狭間にいるのは平時より少ない雑兵と、戦わない大勢の人足ということ・・・?

 手薄に、なっている・・・?


 目に見える数だけを、鵜呑みにしちゃいけない・・・


 もし、今川義元のいる場所を把握出来て、そこを全軍で奇襲すれば、もしくは・・・



 安直で、危険な判断だと思う。

 第一、今川義元の居所を正確に他者に伝える術を、私たちは持ち合わせていない。


 けれど。でも。


 もしかしたら、殿様は・・・



「ここだ、入れ」



 今川の本陣の、奥の奥。

 桶狭間山の、山頂とも言えるような一番小高い場所。


 幔幕に囲まれたその中に、入るよう今川の武者は指示をする。



 この中に、今川義元が――


 小六と将右衛門と、目を合わせる。

 互いに、揺らがない視線で頷き合って。



「行こう」



 意を決して、私たちはその中へ歩みを進める。



「・・・っ」



 中に入って、私は思わず愕然としてしまう。


 そこにいたのは・・・



「これは、なに・・・」



 そこにいたのは、今川義元の馬廻りと思わる屈強な武者たちで。


 きらびやかな甲冑に身を包み、各々が長槍を携えていていて。


 陣の中の左右に、綺麗に列をなして並んでいる。

 その数は、十人や二十人じゃきかない。百人・・・いや、五百人は、いるような・・・



 その、一番奥。


 上座に置かれた床几に。



 その男は、座っていた。



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