九十五話 『桶狭間へノ道』 一五六十年・吉乃
かたこと、かたこと、と荷車が進む音だけが聴こえてくる。
私たちが進む道は、東へ向かえば向かうほど山の中へと入っていって、次第に辺りが鬱蒼とした木々に囲まれてしまう。
普段は決して、こんな道を荷車を引いて通ったりなどしない。
野道は何が起こるかわからないし、万が一野盗などに襲われてしまっては逃げることも出来やしない。
馬借として、こんな道には入らないように生駒屋のみなに強く言い聞かせている。
そんな、私があえて茂みに囲まれた野道を通るのは・・・
戦場へ、向かっているから。
主要な道は、きっと今川の軍勢に抑えられてるに違いない。
軍兵に出くわさず出来るだけ戦場に近づけるように、私は小六と将右衛門、そして川並衆の野武士たちを伴って、戦場へと向かっていた。
「・・・静か、ね」
荷車の車輪の音が響くくらい、辺りは静かだ。
たまに、鳥の鳴き声も聞こえてくる。
「戦場には、だいぶ近づいているはずだと思うのだけれど」
小鳥も呑気に鳴いてるほど、辺りは静寂だ。
すぐ側で戦が行われていると言われても、疑ってしまう。
それほど、道中は穏やかだ。
・・・不気味な、ほどに。
「・・・あまりに、静か過ぎない?」
「・・・戦場なんて、そんなモンだろ」
将右衛門が、呆れるように言った。
川並衆は野武士として、たまに戦の手伝いをして日銭を稼いでいるから、みな戦場の空気には慣れていてどことなく落ち着いている。
私だけが、変に緊張してしまっていて。
「無駄話してんじゃねえ。いつ軍兵に出くわしたって、おかしくねえんだぞ」
「ごめんなさい・・・」私たちがあまりに能天気に話しているものだから、刺々しい口調で小六に怒られてしまう。
いつ今川に襲われてもおかしくない状況。小六は苛つきを滲ませた、緊張感を目一杯張り詰めたような険しい顔をしていた。
「・・・この先が、桶狭間だな」
顔をこわばらせて、小六が言う。
「桶狭間・・・」
それが、私たちの目指す場所。
今川軍の、本陣。
「本当に、桶狭間に今川義元がいるのかしら・・・」
「ここら一帯に潜ませていた野郎からの話だ、信じてやってもいいだろう。今川の馬印も、遠くから確認できたらしい」
早朝に丸根と鷲津の砦に攻め入った今川勢は、昼を迎える前に両砦を落としたらしい。
私たちが準備を整えて津島を発つ頃には、今川も本陣を動かして、砦に向かい始めたという一報が私たちにも入ってきていた。
「今川はあまりにも大軍すぎるからな。本陣を迅速に動かすことは出来ねえだろうし、兵を疲れさせねえためにはどこかで一旦休ませなきゃなんねえ。桶狭間山は、大軍を休ませるにはうってつけだな」
尾張の東、鬱蒼とした山間部の中に、『桶狭間山』という名の山がある。
山というよりは丘と呼ぶのがふさわしい場所なのだけれど、街道にも近く高所であたりの森も見渡せる、戦の陣を置くには絶好の場所だ。
・・・きっと、今川が桶狭間山にいる今が勝負時だ。
この調子なら、今日のうちに本軍が二つの砦に入ってしまう。そうなれば、織田は手の打ちようがなくなってしまう。
私たち、も・・・
「おい、お嬢。織田の動きはどうなってんだ」
将右衛門が、私に尋ねる。
「今川が動くのに合わせて、殿様も動き出しているみたい。早朝に殿様が出陣して、熱田神宮に寄ってから東に向かうのだと藤吉からも急ぎの知らせが来たわ」
熱田神宮に寄るのだと話を聞いたとき、私は驚いた。
あの殿様が、戦の前に神頼みを行うだなんて・・・
神仏なんて全く信じているような気配もない、そんな御方なのに・・・
それほど、殿様も追い込まれているんだ・・・
「けどよ、織田の軍勢ってせいぜい二、三千だろう・・・小勢を連れてどうするつもりだ・・・?」
敵は、実数三万の大軍勢。
二つの砦は、すでに落ちてしまっている。
殿様が二千の兵でやってきても、戦にならない。
今川本軍とやり合うどころか、砦を取り返すことも不可能だろう。
「将右衛門が殿様の立場なら、どうする?」
「そんなことわかるか。俺らは、数十数百の無頼同士のやり合いしか知らねえしよ・・・けどまぁ、多勢の奴ら相手に喧嘩するなら、四の五も言わずに親玉から打ちのめすのが上等だな。手下どもの相手なんてやってたら、数が少ねえこちらがじり貧だ」
親玉から、打ちのめす・・・
「せめて今川義元がどこにいるかわかりゃあ、織田もやりようがあるのかもしんねえけどよ・・・桶狭間山は低い割に遠くから見た以上に広いからな、そこに大軍勢がひしめいて陣を貼られちゃあ、どこに大将がいるのかも見当つかねえと思うぞ」
将右衛門が、困ったような顔を浮かべてそんなことを言う。
私は、その将右衛門の言葉を聞き逃さなかった。
「なら、もし今川義元の居場所がわかれば・・・」
「おいっ、だからべらべら無駄話してんじゃねぇっ!!」
小六が再度、私たちに声を荒げた、その時
「っ、何者だっっ!!」
・・・っ!!!!
突然、遠くから叫ぶような声が聞こえた。
緊張が、一斉に私たちの間に奔る。
今川に、気づかれた・・・っ!?
軍馬のかける蹄の音が、私たちが進む道の先から聞こえた。
それが、時も立たない間に大きくなっていく。
こちらに、敵が近づいてきている――
「・・・だから言っただろお嬢、将右」
呆れ顔を浮かべ、小六が私たちを睨む。
「ごめんなさい・・・」
目前から、騎馬武者が二騎私たちに近づいてくる。
鈍色の甲冑を着込み、旗指物を指した武者。
馬もお侍も身なりが良く、野武士や無頼の類いじゃない、整然とした武家に仕えるお侍だと、ひと目でわかる武者具合で。
「そこで何をしておるっ!!」
私たちの目の前で馬を止めると、二人の武者は腰に刺した大太刀を抜いて、私たちへと突きつける。
「野盗かっ、織田の武士かっ!? 名乗れ、叩き斬るぞっ!!」
その旗指物には・・・
二つ両引・・・今川の家紋が大きく縫い付けられて、悠然となびいていた。
騎馬武者から太刀を突きつけられて、小六たち野武士はとっさに腰の刀を抜こうとする。
「・・・っ、待ってっっ!!」
私は慌てて、小六たちを押し止める。
・・・こんな場所で、斬り合いなどしては駄目だ。
今川の本陣に、辿り着けなくなってしまう・・・
「けどよ、お嬢・・・」
戦慣れしている将右衛門は今にも飛びかかろうという勢いだったけれど、私は無言の圧で不服そうな将右衛門を制止させる。
確かに敵はたった二人、こちらの方が数も多いし二人だけなら口封じとして殺せるのかもしれない。
・・・けど、目的を見失ってはいけない。私たちは、今川の兵を殺しに桶狭間まで来た訳じゃない。
私たちには、私たちの戦がある。
「私に、任せて」
私が、意を決して一歩前へと進み出る。
無頼の集団の中に一人、女が混じっていることに今川のお侍は怪訝な表情を浮かべていた。私たちをさらに怪しい奴らだと感じたのか、女の私にも太刀を突きつけて、再度刀の柄を強く握り直す。
まぁ、そりゃ警戒されるでしょうね・・・
「お侍さま、どうか刀を収めていただけないでしょうか。私たちは、野盗でも織田の手の者でもございませぬ。戦場に女を連れた侍が、どこにおりましょう?」
相手の警戒心を刺激しないよう、私は慇懃な言葉で少しずつ今川の武者に近づいていく。
・・・商人、らしく。
普段のように。海千山千の津島の旦那衆を相手に、商いをするときのように。
・・・いつもの、ように。
商いを、するように。
私は、満面の笑みを浮かべて太刀を突きつけるお侍の顔をじっと見据えた。




