七話 『騒動ノ顛末』 一五五三年・吉乃
織田のお城に赴いてから、十日が経った。
津島もすっかり落ち着いて、まだ客を呼び込む商人の賑やかな声が響く活気ある町に戻ってくれて。
織田との諍いも丸く収まって、菊屋さんから引き継いだ織田との商いも問題なく進んでいる。
うちは川並衆と組んだ大手の馬借だ。大量の荷を水運を使って素早く運ぶことの出来るうちの仕事に、織田方も満足してくれているようで。これで菊屋さんの半値なのだから、織田の方々も文句のつけようがないだろう。
というか、つけさせてたまるか。
あの織田信長を丸め込みさらには織田家の御用商人となったことで、生駒屋は津島の中でみなが一目置くような店になった。
どうやってあのうつけ殿様を納得させたのか。そこからさらにどのようにして商いに繋げることが出来たのか。みな、それが気になって仕方がないようで。
織田の殿様と対等に渡り合った商人。
木曽川の野武士を手懐け、女の身でありながら津島有数の大店を仕切る女。
私も、そんな噂の種にされる始末で。
人を、そんな女傑のように言わないでほしい・・・
余計、嫁の貰い手がなくなってしまいそうじゃない・・・
生駒屋の名を上げることは私の目論見通りだったけれど、私の噂が流れることは予想外で正直困ってしまう。
まぁ、とにかくこれで一件落着で、また私も変わらずに商いに精を出す日々を続けることが出来る。
出来るのだと、思っていたのだけれど・・・
「・・・お嬢。今日も、お越しになっています」
「またぁ? 今日も?」
店の手代が苦笑いを浮かべながら今日もその報告をする。
私は呆れて、思わず大きくため息をついてしまった。
また来たの・・・?
正直少し面倒だと思ったけれど、何もしない訳にはいかない。手代にお茶を用意するよう言いつけて、私は店裏の厩舎に向かう。
そこに、今日もいた。
一人で一心不乱にうちの馬を眺めている、織田信長が。
その姿を見てももう私は動じない。見慣れてしまったのが、もはや笑えてしまうほどだった。
あれから数日して、また殿様がうちの店に来た。突然の来訪にみな緊張で固まってしまったけれど、殿様はそ知らぬ顔でどかどかと店の奥へ入っていって、馬を繋いだ厩舎に篭もってしまって、そしてしばらくするとまたそ知しらぬ顔で帰っていった。
その日から連日、こうしてうちの店を訪れては厩舎に篭もっている。弥平次殿や五郎左殿、母衣衆の方を数名伴って。もしくは今日のようにお一人で。
その頻度はもう、殿様としてのお役目はきちんとなされているのかと疑うほどで。
何事かと私は弥平次殿に詰め寄ると、弥平次殿は苦笑いを浮かべて
「殿は、生駒屋の馬に興味がおありのようで」
「・・・馬に? 殿様が?」
「殿は馬が好きなのですよ。城には殿が集めた駿馬が繋いでありますし、まるで女を愛でるように殿は馬を愛でてらっしゃいます」
女を愛でるように・・・?
頑張って想像してみたけれど、あの無愛想な殿様が愛おしそうに馬に触れる様を私は全く想像出来なかった。もし想像出来たとしても、きっと違和感が凄まじいと思う。
「ですが、殿がここまで人様の馬に興味を示されるなんて珍しい。きっと大切に扱い育てられているのでしょうね、殿のお目に適うなんて大したものです」
だからといって毎日来なくても・・・
そう思ったけども、商売道具である馬を褒められると私も悪い気はしなかった。
普段からうちの馬番たちが心を込めて世話をしている馬たちだから、私も鼻が高い。
けれども殿様の馬を見る目は本物のようで、「この馬は良い」「こやつは具合が悪いのか」と
馬の良し悪しや体調を見事に言い当てていた。
うちの馬番たちも「信長様は馬のことを良く知っておられる」と驚いていて、『織田信長』という殿様を見る目が変わったと口を揃えて言っている。
私も、店の者も、同じような気持ちだった。
話に聞いていたようなお方とは違う気がする・・・
厳罰主義の苛烈なお殿様だと思っていたけれど、うちの店に入り浸る殿様の掴みどころのない言動を見ていてそう思う。
けれども・・・
「おい、女」
生駒屋の厩舎の中。
殿様が私の名を呼ぶ。
「はい、なんでしょう?」
「やはりここにいる馬はどれもいい。全て、俺が貰い受けるぞ」
・・・やっぱり、変な殿様だ。
「・・・渡せません!!」
殿様の言葉に思わず腹が立ったけど、失礼のないように引きつった笑みをうかべて。それでも大声ではっきりと断ってやる。
断りながら、私はふと思った。
こんな殿様に仕える母衣衆の方々は、弥平次殿は、
きっと、物凄く大変なのだろうなと。




