七十二話 『運命ノ子』 一五五七年・吉乃
殿様との穏やかな日々。
私は『織田信長さまの愛妾』と、『津島の女商人』の二足の草鞋を履きながら忙しなく過ごしていたんだ。
父がいなくなってしまった生駒屋の面倒を見ることが出来る者は、もう私しかいない。
店の細々としたことは全て長年うちで働いている手代たちに任せることは出来るけど、やっぱり最後の仕切りを行う店の『主人』が必要で。
それは、私が担うしかなくて。
すっかり身体も良くなった頃に、私は商人として復帰した。
無論、お類も育てなくちゃいけない。
愛妾として、殿様のお世話も必要だ。
常々店のことを気にかけている訳にはいかないけれど、それでも数日に一度は津島に上って、店の仕切りを確認する暮らしを続けている。
幼な子を抱えて、馬で小折から津島まで往復する日々は、なかなか大変なのだけども・・・
会合衆や生駒屋のみな、小六たち川並衆の無頼たちは私の復帰を両手を上げて歓迎してくれた。
子連れで生駒屋のような大店の仕切りは大変だろうと、色々と手助けだってしてくれている。
正直、四六時中てんやわんやで余裕など全くないのだけれど・・・
みなが助けてくれるから、なんとかやっていけそうだって、私も頑張ることが出来ているから。
昼は、商人として店に出て。
夜は、殿様の愛妾としてお相手をして。
そんな目まぐるしい暮らしをこの一年、続けていたら・・・
「・・・子が、生まれてしまいました・・・殿様」
殿様との、子が出来た。
まさかだって、思った。
・・・いや、本当に。まさか、私が殿様の子を産むなんて・・・
確かに、口にした。
殿様にも、帰蝶さまにも、「お子を産みます」って約束はしましたよ・・・?
けれど、こんなに早く子が出来るなんて全く想像もしてなくて。
いや、だって・・・まだ殿様の愛妾になって一年ですよ・・・?
確かに、お類のときだって早いなとは思ったけれど・・・
私って、そんなに子が出来やすい身体なのかぁ・・・
殿様との間に生まれた子は、男子だった。
織田家にとって、待望の、世継ぎ。
男子を産むことが出来て一安心だと、私は内心肩を撫で下ろして。
ひとまずは、愛妾としての『務め』を果たすことが出来たよね・・・
だって・・・私はまるで帰蝶さまから殿様を寝取るような真似をして。
その帰蝶さまに正面から啖呵を切って。殿様の愛妾になって。
それで、実は女腹で世継ぎを産めませんでした・・・なんて、目も当てられないじゃない・・・っ!!
そんなの、帰蝶さまに、どんな顔をすればいいか・・・っ!!
・・・でも、まぁ・・・とにもかくにも。
殿様との子を、天が授けてくれた。
殿様と帰蝶さまへのご恩に、この身をもってお応えすることが出来る。
身ごもっている間も、商人として店に立つことも多かったけれど。
それでも、流産れてしまうなんてことも起きなかった。きっとこの子は、殿様によく似た丈夫な赤子なんだって、嬉しくて。
二度目でも全く慣れない激痛のお産を通して (いや、本当に死ぬかと思うくらい)、無事に、赤子は生まれてきてくれた。
「・・・見てください、殿様。あなたさまの、お子ですよ」
我が子をこの手に抱いて、私は殿様に微笑みかける。
殿様は初めての自らの子に戸惑いながら、恐る恐るその手を伸ばした。
殿様の指を、赤子がぎゅっと握る。
その反応に驚いた殿様は、目を丸くする。きっと今まで童と接する機会を持たなかったのだと思う・・・赤子をまじまじと見つめる殿様の姿は、なんだか愛らしくて。
「生きておる、のか・・・?」
「当然ですよ。ほら・・・殿様に似た、元気なお子です」
「・・・奇妙な、面だな。しわだらけだ」
「生まれたばかりの赤子というのは、みなこうなのですよ」
「顔は、お前によく似ている」
「それは、遠回しに私の顔が奇妙だと仰りたいのですか殿様・・・しわだらけだと?」
なんて失礼な。
言いたいことはわかるけれど、もう少し言いようってものがあるでしょう・・・
愛妾となっても、子を授かっても、全く変わらない私と殿様のやり取りに、私は思わず気が抜けてしまって。
「・・・それはともかく!! この子に、名をつけてあげてください。殿様」
私は母らしく微笑んで、赤子を殿様に差し出す。
殿様は不器用に、戸惑いながらも赤子を受け取るとそっと自らの胸で抱きかかえる。表情には出さないけれど、ちゃんと赤子を愛らしく感じているような、そんな優しい抱き方で。
「俺が、名付けるのか」
「無論です。殿様の、お子なんですから」
殿様は、抱きかかえた赤子の顔を覗き込む。
そして、じっと抱え込んで
「・・・やはり、奇妙だな」
・・・・・・はい?
「あの・・・赤子の名は・・・?」
「であるから、『奇妙』だ。こやつの名は、『奇妙丸』とする」
・・・奇妙、丸。
・・・嘘でしょう。
正直、呆然としてしまった。
我が子の名前が、奇妙丸・・・
・・・「顔が奇妙」だと、仰ったから・・・?
「まことで・・・ございますか・・・?」
「あぁ。何か異存があるのか」
「いや・・・」
唖然とする私を尻目に、殿様は赤子を抱きかかえながら、「奇妙丸よ」と呼びかける。
滅多に感情を表に出さない方であるけれど、我が子を抱きかかえるその姿は初めて子を持った新米の父親そのもので。
赤子に向ける眼差しは、全く悪意の欠片もなくて。
真剣に赤子の名を考えて、真剣に『奇妙丸』と名付けたんだ・・・
そのことに察した途端に、私は何も言えなくなってしまう。
殿様が我が子に向ける親の情に、水を差すことなんてとてもじゃないけど出来そうになくて。
ただ、その表現がちょっと・・・いや、かなり変わっているっていうだけで・・・
なんていうか、殿様らしいといえばらしいけれど・・・
我が子の名付け方まで、独特なんて・・・
「・・・性根は、いいお方なんだけどなぁ」
変わり者もここに極まれりだなって、私は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
こうして、信長さまの嫡子である奇妙丸が生まれた。
一月ほど様子を見て、奇妙はお城の帰蝶さまの下へ預けられることになった。
愛妾である私が産んだ殿様の子は、全て帰蝶さまに預ける約束だったから。
武家の倣いでは、側女の産んだ子も正室である北の方さまのお子なのだとみなされる。
あくまで私は、殿様の子を産むことが役目。ただの、女奉公人だから。
産みの親は私でも、形の上では奇妙は帰蝶さまの子となる。
奇妙は織田のお城で、帰蝶さまの下で、育てられる。
織田の世継ぎとして、殿様のお子として、恥ずかしくないように。
奇妙を帰蝶さまにお渡しする際、姫様は意気揚々とその支度をしておられて。
早速奇妙の乳母を探し、部屋や寝間着も必要なものを全て・・・気の早いことに、奇妙の勉学のための書物や絵巻物なども用意されていて、その光景を目にして私は思わず苦笑してしまった。
けれど、そのお気持ちが私にとっては嬉しくて。
帰蝶さまにとっては、初めての子育て。
望んでいた形とは違うのかもしれないけれど、待望の子育て。
「妾に任せよ、吉乃!! 奇妙丸は、妾が立派に信長殿の跡継ぎに育ててみせようぞ!!」
産みの母である私が少しおののいてしまうくらいの気概で、帰蝶さまはこれからの子育ての決意を口にされた。
そんな帰蝶さまのお姿は、とても頼もしく見えて。
・・・奇妙のこと、安心して帰蝶さまにお任せ出来る。
こんなに、この子を可愛がってくださるのだから。
「よろしくお願いします、帰蝶さま」
殿様との、子。
殿様の初めての子。
私と、殿様と・・・そして帰蝶さまとの繋がりを示す、大切な子。
後に、織田家とこの尾張を継ぐであろう、『特別』な子。
こうして、奇妙丸は私の手を離れ帰蝶さまの下で大事に育てられることになったんだ。




