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六話 『商人ノ矜持』 一五五三年・吉乃

 そこは、とてもとても広い広間だった。


 評定の間というほどなのだから、きっと織田の御家来衆全員が集まる場なのだろう。百人はゆうに入りそうな一室の、上座。少し上がった場所に、信長は頬杖をつきながら座っていた。


 その信長に従うような形で両脇に御家来衆の方々が十名くらい並んでいた。


 見知った顔では生駒屋で会った五郎左殿や内蔵助殿。他にも私と同じくらいの方やとても背の高いお侍もいる。


 弥平次殿はその列に加わり腰を下ろす。その場に居るみなが、興味深そうに私たちの顔を見ていた。



「入れ」



 信長の低い声が大広間に響く。


 私たちは言われるまま下座に座って、深々と頭を下げて礼をとる。



「・・・突然の拝謁をお許し下さり、まことにありがとうございます。このような場にお招きいただき、恐悦至極に・・・」



「口上など要らん。早く用を言え」



 私の言葉を、信長は不機嫌な声で遮る。


 失礼のないようにと慣れない武家の挨拶を取っていたのに、まるで無駄なことだとでも言いたげな態度で。



 ・・・っ、本当この男は・・・っ!!



 ついカッとなってしまいそうな気持ちを抑えて、私は顔を上げた。


 ・・・頭に血が上った方が負けだ。一旦冷静になって、本題に入らないと。



「此度は、津島の会合衆の名代として参上仕りました。殿様がお探しだった商人を見つけ、ここに連れてきた次第でございます」



 気持ちを入れ替えて、私は本題を切り出した。


 信長は全てを知っているから驚きもせず、眉一つ動かさない。菊屋さんを見て、「その者か」と言うだけだった。


 菊屋さんは初めの挨拶からずっと頭を下げたまま



「馬借の菊屋でございます!! 本当に、本当に、申し訳ありませんでしたっ!! 申し訳ありませんでしたっ!!」



 震えながら頭を畳にくっつけて詫びの言葉を繰り返していた。


 自業自得とはいえ、その姿はとても惨めで可哀想で。


 私も菊屋さんの隣で頭を下げて



「我が生駒屋も、津島の商人として詫びを入れたく存じます。当人もこのように深く反省しておりますゆえ、どうか、殿様の寛大な仕置きを伏してお願い申し上げます」



 私が頭を下げると、後ろに控えていた小六と将右衛門も頭を下げる。


 そんな私たちを、信長は法杖をついたままつまらなさそうに見ていた。


 そして、くいっと顎を動かして「女」と私を呼ぶ。



「その菊屋なる者をよこせ。首を刎ねる」



「・・・なっっ!?」



 首を刎ねるっ!?



「そんなっ、無体でございます!! どうしてですかっ!! こうして詫びを入れているのに、命までとらなくてもっ!!」



 信長の言葉が信じられなくて、私は思わず顔を上げてしまう。


 無礼だとはわかっていても、問いたださずにはいられなかった。



 どれだけ信長が、お武家さまが恐ろしいって言ったって一人の『人』だと思っていた。


 少なからず、人としての情は持ち合わせてるはずだと。嘘偽りなく、自らの非を認めて正直に詫びを入れれば少しの温情くらいはもらえるはずだと。


 なのに・・・そんな簡単に・・・



 簡単に、『首を刎ねる』だなんてっ!!



 そんな情のないのは、『人』じゃない!!



 まるで、地獄の・・・天魔じゃない!!




「何を申す? その者は織田の荷を横流しした咎人だぞ、首を刎ねるのは当然の仕置きだ」



「ですがっ!!」



「異など聞かぬっ!!」



 食い下がらない私に、信長は信じられないほど大きな声で一喝した。その声はまるで爆音のようで、地鳴りのようで、私の言葉など簡単に吹き飛んでしまって。


 驚いてしまって、すくみ上がってしまって、私は怖くて言葉を詰まらせてしまう。



「ここは俺の城だ。俺が城主で、俺の道理で全てが回る城だ。商人の道理など、聞く耳持たぬ。そのようなもの、己の店だけで振りかざしていろ」



 信長は冷たく言い捨てた。その言葉が、先日私が吐いた言葉の意趣返しであることは痛いくらいにわかったけど、何も言い返せなかった。



 ・・・正しい。信長の言い分は、正しい。


 お武家さまのお城で、商人の道理を通すのは間違っている。


 お武家さまの法度では盗人(ぬすっと)は打ち首だし、首を刎ねられるだけで済むというのならまだ優しい方なのかもしれない。



 だけども・・・


 それでも・・・



 私は、納得できない。


 だって・・・



「・・・殿様にも、非はあるではありませんか・・・」



 気がつくと、私はそう口にしていた。


 どうしようもなく心が乱れて、泣きそうで、濁った気持ちが溢れ出して。


 言ってはいけないことだとわかっているのに、口から漏れ出す言葉をもう私自身ですら止められなくなっていた。



「・・・俺に非があるだと?」



 信長の顔が、怒りで歪む。



「確かに、悪いのはこの菊屋さんです!! 己の欲に負け、織田家を裏切り仇なしたことは赦されることではありません!! 客を騙し私腹を肥やすだなんて、『商人』とも呼びたくないほどの腐れ商人です!!」



 そんなこと、わかっている。


 私だって、菊屋さんに対して腹が立っている。


 決して、菊屋さんの行いを擁護する気なんてない。



 けれどっ!!



「けれどっ、そんな腐れ商人を選んだのは織田さまではありませんか!!」



 商いは、『人』と『人』とのやり取りだ。


 客と商人。買う者と売る者。立場が違っても、お互い『人』であることは変わりない。


 お互いがお互いを信用して、了承して、納得した上で交わしたやり取りなのだから。


 片方にしか非がないなんてありえない。



 商人には客に親身に尽す(せき)があるように、客にだって商人を選ぶ目が必要はずだ。



「菊屋さんを選んでしまったのは、織田さまの落ち度です!! うちの店なら、このような事態には決してならなかった!! 生駒屋の者はみな、真摯に客と向き合って商いをする者ばかりだから!! 私がそのように言い聞かせてきたから!!」



 私は、心底悔しかった。


 商人として胸を張って、誇りを持って、私は誠実に商いを続けてきた。


 その誠実さが自らのためになり、お客のためになり、ひいては津島の町のためになると思ってきたから。


 それは他の店の商人だって同じだと思う。みな、真面目に日々の商いを行う誠実な商人ばかりだ。


 なのに菊屋さんのような少数の腐れ商人が津島全体の信用を地に貶めていることが、腹立たしいほどに悔しい。


 私がずっと大事にしてきた商人としての矜持が、踏みにじられている気がして。



「無理を通そうとしているのはわかっています!! だけど、菊屋さんは渡せません!! 首を刎ねられるのを黙って見過ごすことは、私には出来ません!!」



 私は、武士ではないから。


 私は、商人だから。



 商人としての矜持は、死んでも守り通したいから。



「だから此度の件、私が全ての責を負います!!」



 私は大声で高らかに言い放った。



「お嬢っ、何言ってんだ!?」「正気か・・・?」



 その言葉に菊屋さんも小六たちも、御家来のお侍もみな唖然とした顔をして。信じられないものを見るような視線が私に集まる。



 女の身で、商人風情が何を言っているのだろうと思うかもしれない。


 でも、私はずっと考えていたんだ。どうすれば織田に、信長に、筋が通るのかって。


 その上で、これしか思いつかなかったんだ。


 でも、別に自棄になった訳じゃない。



「責を全て負うとは、どうするつもりだ・・・?」



 信長は不審そうに私を問いただす。


 私は不敵に笑って、手をぱんと叩いて



「今、織田さまが菊屋さんと交わしている商いの話、それを全て我が生駒屋が請け負わせてもらえないでしょうか。うちは、菊屋さんよりもよほどマシで丁寧な商いをする自信がございます。いかがでしょう、殿様?」



 さぁ、商いの時間だ。


 信長相手に、商売話をふっかけてやる。


 これが小六たちに言った私の『策』だ。


 武家の道理や筋はからっきしだけれども、商いのことなら私の本分だ。



「無論今まで通りとは言いません。菊屋さんの半値、これでいかがでしょうか?」



 思い切って、大胆な提案を投げかけてみる。


 「半値・・・!?」「そんな安く出来るのか・・・?」織田の御家来の方々は私の言葉に耳を疑って、ざわめき始める。


 当然だ、馬借で半値まで値切るなんて、そんな話は商人の私でも聞いたことがない。誰だって驚いて当然だ。



 でも、私は商人だ。儲けの出ない話なんてしない。


 自分で口にしながら、簡単だけども目算はついていた。


 確かに、半値での商いなんてほぼほぼ儲けは出ないだろう。下手すればうちに損が生まれるかもしれない。


 でも、それでうちは『織田家御用達の馬借』という看板を手に入れることができる。織田家は尾張の国主さまだ。その名前だけでも生駒屋に箔がついて、新たなお客を呼び込めるんじゃないか。


 ましてや武家さまの荷運びなんて、弓矢弾薬から武具兵糧、日々の菜食やら召し物にいたるまで大量の荷を尾張中からかき集めなければならないはずだ。時期を問わず安定した大口の取り引きが見込めて、さらに『生駒屋』の名前を尾張の隅から隅まで広げることが出来る。そこから新たな商いを広げる機会だって、さらに多くなるはずだ。


 そういった視点で見れば、案外損ばかりではないのでは・・・?



「・・・それが、お前の責任の取り方か?」



「お武家さまは、戦の際の不手際は武功で取り返すものだとお聞きしました。なれば、商いでの不手際は商いで取り返すのが商人でございます」



 私は自信満々に笑って、信長の顔を見つめた。


 相変わらず、面白くなさそうな顔をしている。でもその無愛想な表情の奥、少しだけ興味深そうに煌いている信長の目の色を私は見逃さなかった。



 私は居住まいを正して、三つ指をつく。


 商人が客に誠意を表すように。


 臣下が主君に敬意を示すように。



 私は精一杯の綺麗な所作で、信長に頭を下げた。



「これが、我ら商人の『戦』でございますれば」



「『生駒屋』の名をもって織田さまを、尾張を、儲けさせてご覧に入れましょう」



 信長は何も言わなかった。是も非も口にせず、ただじっと私の顔を見つめていた。その様子からは、私の案に対して信長がどう感じたのか、全く判断がつかなくて。


 清濁併せ持った冷たい視線に、私は晒される。



「・・・五郎左。意見を述べよ」



「悪くない話かとは思います。我が方の利も大きいですし、落とし所とては最適かと」



「そうか」



 自分から聞いたのに、信長は五郎左殿の意見に対して是非も言わずむくりと立ち上がる。


 その瞬間、控えていた家来衆のお侍はみな一斉に頭を下げる。私たちも慌てて頭を下げると、信長は上座から



「・・・勝手にせよ、女」



 相変わらずのつまらなさそうな口調で私にそう言葉を投げかけた。



 勝手にせよ・・・? それはつまり、了承したということ・・・?



「弥平次、この件はお前が取り次げ。委細は任せる」



「承知仕りました」



 頭を下げたまま、弥平次殿は信長の命に対して返事をした。


 信長はその返事を聞くと、黙ったまま評定の間から立ち去ろうとする。


 私は慌てて顔を上げて



「あっ、ありがとうございます殿様っ!!」



 精一杯の大声で、信長にちゃんと届くように私は感謝の言葉を叫んでいた。


 信長は私の言葉に見向きもしないまま、評定の間から出て行った。



 ・・・何とか、上手くいった・・・



 信長が出て行くのを見送って、私は思わず肩を撫で下ろしてしまう。


 一気に全身の力が抜けて、張り詰めていた緊張の代わりに重い疲労感が圧し掛かる。なのに、心の臓は未だ強く鼓動を叩いていて、なんだか変な感覚だ。


 でも、嬉しくて思わず笑みが零れて。



 ()るか()るかの大博打だった。


 一歩間違えて信長の機嫌を損ねれば命を取られたっておかしくなかった。


 生駒屋を、津島の町を、焼かれてしまう可能性もあった。


 それでも挑んだ、大博打の大商い。



 私はやり遂げたんだ。商人として、嬉しくない訳がない!!




 ふと周りを見渡してみると、自分に視線が集まっていることに気づいて。


 あの信長に意地を通しきった私を五郎左殿、内蔵助殿といったご家来衆のお侍さまは興味深そうに見ていたし、弥平次殿は私を(ねぎら)うように優しい笑みを向けてくれている。


 菊屋さんは本当に嬉しそうに「ありがとう」と泣きながら頭を下げて、小六と将右衛門も「やったなお嬢」と笑っていて。



 全てが上手くいったのだと、私は信じて疑わなかった。



 まだ、気づいていなかったんだ。


 これはまだ、私と織田信長の交わりの起点でしかないのだって。



 本当に大変なのはこれからなのだと、その時の私はそこまで考えが回らなかったんだ。


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