六十八話 『尾張ノ夜明け』 一五五六年・吉乃
父の葬儀は、殿様が手立てをしてくれた。
すぐに殿様は支度を整えてくれて、父の葬儀は小折の屋敷でひっそりと行われた。
生駒屋のみなと、小六たち川並衆の無頼たちと。そして、お類と、私と、殿様だけの・・・小さな、小さな葬儀。
父のような人徳ある商人の最期が、こんな寂しいものであることは内心残念だって思った。けれど、今は尾張を二つに割った戦の直後で。
この乱れた尾張の情勢の中、派手なことなんて出来ないことはわかっている。
信勝が起こした内乱に、未だ大きく揺れ動く尾張だけれど、何とか手立てを整えて父の亡骸をきちんと弔うことが出来たのは本当に殿様のお陰で。
何の後ろ盾も持たない私では、きっとどうしようもなかった。
だって、この内乱の最中、私はただ囚われの身になっていただけで・・・
お類が無事だったのは、小六たちのお陰だ。
父の遺体が無事だったのは、生駒屋のみなのお陰だ。
そして、私が無事だったのは・・・
間違いなく、殿様のお陰だ。
紛れもない。
私はいつも、誰かに助けられて生きている。
稲生での戦の後、大将の勘十郎信勝を失った反信長勢は、すぐに瓦解した。
信勝の居城である末森の城は、すぐさま五郎左殿たち母衣衆が率いる殿様の軍勢に制圧された。勝ち戦の勢いに乗る母衣衆の方々に、末森の残党は逃げ惑うことしか出来なかったらしい。
それを見て、林佐渡守や柴田権六といった信勝についた武将たちが次々と殿様に降伏した。
降伏を選ばなかった郎党たちも、すぐに殿様の手勢に捕縛され処罰を待つ身の上にされて。
一時は尾張転覆に王手をかけた末森の軍勢は、こうして呆気なく潰えてしまう。
ただ・・・
降伏した者の中にも、捕縛された者の中にも、
私が目にした、あの能面の女らしき人物は全く見当たらなかった。
どこかに身を隠したのか、それともあの混乱の道中に命を落としたのか、全くわからない。
私の情報を聞いた殿様たちは、捕縛した信勝勢の者にあの能面女について苛烈に問いただしたらしい。けれど、あの女のことについて誰一人その実情について存じている者はいなかった。
その正体も、消息も、なにひとつわからずじまい。
まるであの女は亡霊のように、その影も、あの戦場に立ち会った形跡も、全てを消し去って行方をくらましてしまっていたんだ。
信勝の軍勢が崩壊していく中で、哀れなのは清洲や岩倉の残党だった。
今まで己の軍勢を抱え、その力で殿様に反抗を続けていた清洲岩倉は、稲生の戦で信勝に加担しその兵力を差し出した。そして、そのほとんどを失ってしまったのだから。
もはや、殿様に抗う力は残されていない。
両家ともきっと今頃自らの城で右往左往しているのだろうと、殿様は仰った。
一難去っての絶好の好機。
すぐに軍をまとめ攻勢をかけるつもりだ、と。
尾張を大きく揺るがした、その戦の後始末。
殿様は忙しそうに、それでも精力的にその指揮に取り組まれていた。
二つに割れた家臣団をまとめ直し、強固な織田家に戻す。
尾張国をもう一度平定し、元の豊かな国に戻す。
多くの血を流した動乱を耐え抜いて。
この尾張は、新たな国になる。新たな夜明けを迎える。
殿様は何も仰らないけれど。
隣にいる私には、そんな殿様の気概が伝わって。
・・・そう。
実は、そうなんだ。
私は・・・殿様の隣にいる。
殿様は・・・私の隣にいてくれる。
肌を重ねたあの宵から、殿様は私の側にいてくれた。
頻繁に、小折の屋敷に顔を出してくださるようになった。
小折にて夜を明かし、早朝に馬を飛ばして織田のお城に向かって・・・そして夜が更けると、また小折に帰ってきて。
そんな日々が、何日も続いている。
何度も、寝屋を共にして。
何度も、肌を重ねて。
互いが互いに弥平次さまの影を求める私たちは、少し歪つで。
けれど。
だからこそ。
愛しいと、思ってしまう。
その想いの内を、偽りで覆いたくないと思ってしまう。
あの殿様が、織田信長さまが。
私にだけ、その御心を打ち明けてくださったから。
身分もしがらみも全て取り払って、真っ直ぐに私と向かい合ってくださったから。
その想いに、お応えしたくて。
私も目を逸らさず、殿様向き合いたくて。
大きな、とても大きな覚悟を決めた。
戦の動乱も少しずつ落ち着き始めた、その日。
「・・・吉乃。息災、であるか・・・?」
帰蝶さまが、私の下へ訪ねて来られたんだ。




