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四話 『晴天ノ暗雲』 一五五三年・吉乃



 織田の侍たちはその後も津島中の商店を尋ね織田の兵糧を横流しした商人を探し回ったらしいのだけれど、結局見つからなくてその日は自らの城に引き上げていった。


 『ほら見ろ』と私は心の内で笑ってやった。そんな義理を欠いた商人なんて、やはり津島にいなかったんだ。


 とにかくこれで疑いは晴れて、またいつもの賑やかな津島に戻っていく。私たちの、商人の町へと戻っていく・・・私はそんな、楽観的な考えを持ってその日は店じまいをした。



 そして夜が明けて。


 私はその甘い考えに大きな後悔をすることになる。




 この津島から、(くだん)の不義理な商人が見つかってしまったのだから。






 夜が明けた、商人の町。


 空は雲ひとつない日本晴れなのに、津島の町はどこかどんよりと曇っていた。


 先ほど店の暖簾(のれん)を上げたけど、店先の通りは馬や人の往来が明らかに少なかった。それはうちの前の通りだけがそうじゃなくて、津島全体に活気がないのが空気でわかるほどで。


 みな、緊急に開かれた会合衆(えごうしゅう)の集まりが気になって商いどころじゃないんだ・・・



 この津島は商人が主役の商人の町だ。信長のような絶対的な殿様はいなくて、町に関わることを全て自分たち商人でやり遂げなければいけない。


 だからこの津島は、『会合衆』と呼ばれる力の持った商人たちを選んで、その話し合いで物事を動かしている。


 店の大きさ、商いの手広さ、人望、津島の町への貢献具合・・・会合衆に選ばれる商人はみな、『大商人(おおあきんど)』と呼ばれるような人物ばかりだ。


 要するに津島には商人の殿様のような者が何人かいる、そんな感覚で間違いないかもしれない。


 うちの生駒屋も津島有数の大店だから、当然会合衆に名前が入っている。


 私の父も朝早くから小六と将右衛門を伴って、大慌てで出て行った。



 議題は、わかってる。



 織田の兵糧を横流しした商人が、津島の町から見つかったから。



 もしこのことが織田に知られたら、どうなるかわからない。


 だからみな、心配で気落ちしてしまっているんだ。



 うちの手代や馬番たちもそんな感じで、商いに支障をきたさないようにみなを背中を叩くことで私は朝から大変だった。



 そうして朝の商いを進めていくうちに日が昇って、昼過ぎほどに父が店に戻ってきた。


 その表情は痛ましいほど浮かない顔で。



「お帰りなさいませ、父上。会合衆の集まりは、どうでしたか?」



 店の土間に腰掛けて草履を脱ぐ父に、私は桶に水を汲んで手拭いと共に手渡す。


 父は、「酷いものだった」とぼやきながら受け取った手拭いで足を拭き始めた。



「みな右往左往するだけで、結局話はまとまらない。何も決まらずに終わってしまったよ」



「みな、どうしていいのかわらないのでしょうね。それで、件の商人というのは・・・?」



 私が父に尋ねると、父は困り果てた顔で店の入り口を指差した。


 私の目がその指の先を追うとそこに立っていたのは小六と将右衛門。そして二人に挟まれて取り押さえられている見覚えのある商人。



 あの人は確かうちと同じ馬借を営んでいる菊屋さん・・・



「・・・連れてきた」



「えっ?」



 頭を抱える父の言葉に、私は耳を疑った。


 小六と将右衛門は私の顔を見て苦笑いを浮かべている。



「『生駒屋さんが織田の殿様に喧嘩を売ったのだから、その後始末はつけてくれ』だそうだ」



「そんな理不尽なっ!!」



 た、確かに信長に啖呵を切ったのは私だけれども・・・


 うちが織田の兵糧を横流しした訳ではないのに・・・



 思わず私も頭を抱えてしまう。その仕草が父にそっくりなことに気づいて、親と子だからってこんなところが似なくてもいいのに・・・と気落ちする。


 私が大声を出したから、何事だと店の者が次々と集まってくる。


 私はとりあえず菊屋さんを店に上げて、事の次第を問い詰めることにした。


 生駒屋のみなに取り囲まれた菊屋さんは、猫に出会った鼠のように怯えきっていた。


 同じ馬借の商売敵とは言え、なんだか可哀想だと思った。


 菊屋さんは当代の御主人が一代で起こした新興の馬借の店だ。うちほどの大きさではないにしろ、新興ということは成長著しい勢いのある店のはずなのに。



「・・・まずは、本当に織田の兵糧を鳴海に横流ししたのですか?」



 少し冷たい口調で、私は菊屋さんに問いかける。


 けれども菊屋さんは口を閉じたまま何も話してくれなくて、呆れた父が肩をすくめた。



「・・・近頃、菊屋さんがやけに羽振りがいいとの噂が会合衆に入ってな。新口のお客が増えた様子もなさそうだしあやしい・・・と問い詰めてみればこのざまだ」



「っ・・・鳴海の、殿様に言われたんだ・・・」



 泣きそうな顔で俯きながら、ぼそりと菊屋さんが口を開いた。



「『織田に納める荷を鳴海に流せば、織田の倍の値で買い取ってやる』と・・・つい、銭に目がくらんで・・・」



 馬鹿なことを・・・



 私はもう、何も言う気すら起こらなかった。


 そんな身勝手な理由で、こんな大事を引き起こすなんて。


 そんな目先の銭にくらんで、商人としての矜持を捨ててしまうなんて。


 菊屋さんのことはじきに津島中に知れ渡るだろう。そうなれば、もう菊屋さんは尾張で商いなど出来なくなる。人の荷を無断で横流しするような、そんな下劣な商人に誰が商いを頼むというのだろう・・・遠くないうちに、菊屋さんは店を畳むことになると思う。自業自得とはいえ、なんてみじめなんだろう・・・


 いや、それで済むのならまだしも・・・



「・・・どうする、お嬢? この男を織田に突き出すか?」


 将右衛門が私に尋ねる。


 すると、菊屋さんは顔を真っ青にして慌てだす。



「そんなっ、織田に行けばわしは首をはねられてしまう!!」



 大の大人が泣き叫ぶ姿は、本当に見てて哀れだった。


 さすがに、可哀想・・・私だって、人死には出したくない。



「・・・この男の首一つで済めばいいけどな」



 苦い顔をして、小六がそう呟く。



「相手は織田のうつけだぞ・・・下手すりゃ津島の町ごと焼くとか言いかねねぇ」



 確かに・・・


 昨日の信長の言動を考えれば、そんなことを言いかねない・・・『うちの店を焼く』って平然な顔で公言していたのだから。


 そしてきっと信長は、口にしたことは必ず実行する。


 本当に生駒屋を、津島の町を、焼いてしまうのだろう。



「まぁ少なくとも、家宗の大旦那も打ち首になるだろうな」



「私もかっ!?」



「そりゃ、生駒屋は正面から信長に喧嘩売ってんだからなぁ、殺されたっておかしくないだろ。なぁ、お嬢?」



 意地悪な笑みと共に、小六は私に視線を向ける。



 うぅ、視線が痛い・・・


 ごめんなさい、父上・・・



「しかし本当にどうするんだお嬢? このまま織田から隠し通すって道もあるが」



「それは無理だと思う。私だって、これ以上商人の矜持から外れたくない」



 全てに蓋をして何もなかったことにするなんて、それこそ全てが露見したときに大変なことになる。偽りを隠すためにまた偽りを積み重ねて・・・そんなもの、すぐに瓦解する。そうなったとき、信長の怒りはもう消し止められやしないだろう。


 第一、非があるのは私たち『商人』だ。


 織田は菊屋さんに馬借の商いを依頼した。初めは、客と商人のまともな『商い』のはずだった。


 それを、不義理を働いて織田を裏切ったのは菊屋さんで、私たち『商人』で。



 きっと、お武家さまだとかうつけ殿様とか、そのようなことは関係ない。


 織田だって、誰だって、『お客』だから。



 だから、


 私は、



「信長に、謝りに行く」



 私は、意を決してそう口にする。


 私の言葉に、みな驚いて呆然としていた。


 「正気か・・・」将右衛門が信じられないような顔で、そう呟く。



「っ、どうしてお嬢が謝りに行くんだよっ、横流ししたのはこの男だろっ!!」



「詮無いこと、私が信長に啖呵切ったのだから私が謝りに行くのが筋でしょう?」



「だからって・・・なぁ、兄弟も何か言ってくれって」



 困り果てた将右衛門は小六に助けを求める。


 小六は顔をしかめたまま、じっと私の目を見つめた。目を見つめて、視線を一寸も外さなかった。


 

「・・・なぁ、お嬢」



「・・・何?」



 低い声で小六は私の名を呼ぶ。



「・・・行けば、殺されるぞ」



 ドスのきいた口調で、小六は私を脅した。


 普段は大雑把な無頼漢を気取っているのに、時折小六はこんな真面目な顔をするからずるい。何も見ていない振りをして、実は大事なものをちゃんと見据えている。


 私と小六と将右衛門。幼い頃からの腐れ縁だけれども、小六だけは二つ年上で、いつも兄のような顔をして私と将右衛門を引っ張ってきた。



 ・・・その兄の顔を、今するのはずるい。



「・・・わかっている。けれど、私は『商人』でありたい。生駒屋の吉乃でありたい。商いだけには、真摯でいたい。それに・・・」



 私は、自信満々に胸を張ってにやりと笑ってやる。



「策があるの」



 商人が、利もなく動くはずがないじゃない。


 私はこの生駒屋を仕切る根っからの商人だ。銭にならない商いなんかしてたまるか。



「そんなに心配なら小六と将右衛門だけついて来なさい。万が一があろうとも、二人がいれば怖いものなどないでしょう?」



 私の不遜な態度に小六も将右衛門も唖然とした顔をする。


 そして、二人とも吹き出すように笑った。



「あぁ・・・そうだ、お嬢は昔からこういう女だったな。何を言ったって聞きやしない」



「そりゃ嫁の貰い手がない訳だ。こんな女、手間がかかって仕方ない」



「それとこれとは関係ない!!」



 なんて失礼な男共だ・・・げらげら笑う小六と将右衛門に、私は心の底から腹が立った。


 まるで人を面倒な女みたいに言って・・・私ほど器量も気立ても良くて、津島有数の大店を仕切れる女は優良株でしょうに・・・



 私は怒りながらそういった反論をしたら、今度は父や手代たちにまで笑われた。





 ・・・本当、酷い話だ。



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