四十四話 『義龍ノ秘密』 一五五六年・吉乃
馬を走らせる。
一心不乱に。
無我夢中に。
小六と将右衛門を伴って。
全速力で、北へと、美濃へと、私たちは馬を走らせる。
ただ、焦る思いだけが先走って、苦しくて堪らなかった。
一時でも早く、弥平次さまの下へ着いて欲しかった。
「助けて、おくれ・・・っ!!」
帰蝶さまは、そう仰った。
「信長殿がっ・・・死んでしまうっ!!」と。
「帰蝶さまっ・・・落ち着いてくださいっ。一体何があったのですか!?」
私は突然のことに動揺しながらも、なんとか慌てる帰蝶さまをなだめようとして。
「とにかく、ここでお話もなんですし中へ入りませんか・・・?」
「そのような時がないっ!! 早くしなければ、信長殿もっ、弥平次もっ、みなが死ぬ・・・っ!!」
帰蝶さまの慌てように、私はそこで只事じゃないことに気づいて。
帰蝶さまは、声を荒げながら何があったのか教えてくれた。
「信長殿が美濃へ向かった後のことじゃ・・・妾の周りが何か騒しいことに気付いての、『菊』という美濃から連れてきた侍女がいるのじゃが、その菊が突如妾を城の外へ連れ出そうと声をかけてきての・・・その様子があまりに怪しかったから、問い詰めたら白状しよった・・・あやつめは、兄に・・・一色義龍に通じておった・・・!!」
「えっ・・・帰蝶さまのお付きのお方が、義龍に・・・」
私は、背筋がぞっとする思いに襲われる。
「国許で親を人質に取られ、逆らえなかったそうじゃ・・・」
つまり、それって・・・
「織田の動向は、兄に筒抜けかもしれぬ。此度の援軍も、おそらく気づかれておる」
「・・・ありえる話だな。その一色義龍っつう敵の大将は、美濃での戦のごたごたに乗じて、織田の殿様も亡き者にしちまおうって腹積もりって訳か・・・」
不意に、小六が口を開く。その顔は、固く強張っていて。
「妾を城から連れ出そうとしたのも、妾を捕らえどこかへ匿うつもりだったと言っておった。妾は、織田と斎藤の同盟を結ぶ糸のような役回りじゃ・・・その妾がこの情勢のなか行方をくらませれば・・・」
織田家と斎藤家の同盟は崩れ去る。
斎藤義龍はきっと、帰蝶さまの身を守れなかった織田方の落ち度と非を責める。
下手をすれば、織田が帰蝶さまを幽閉したとか、そのお命を奪ったとか、難癖をつけて義龍に戦の口実を与えてしまうだろう。
その時、美濃で殿様も織田の軍勢も失った尾張は・・・
「そんな・・・それが、義龍の狙いってことですか・・・」
頭の中が真っ白にになる。
「兄は織田ごと父の、斎藤道三の築いたものを消し去る腹なのじゃと思う・・・父の息がかかったものは、例え同盟国であったとしてもきっと容赦はせぬ・・・」
「けれどっ・・・そんなっ・・・だって、親と子じゃないですか・・・!! そのような、情のないことをどうして・・・っ!!」
「違う」
帰蝶さまは、短く、はっきりと否定した。
「父と兄は、親子ではない」
えっ・・・
「無論、妾と兄も兄妹ではない。血など、繋がっておらぬ」
どういう、こと・・・
「兄は、美濃の前守護である土岐頼芸と深吉野様の間に出来た子じゃ。斎藤の血筋など入っておらぬ。斎藤道三に親を奪われ、斎藤家の傀儡にされた哀れな土岐の子じゃ・・・」
「斎藤家中でも、一部の者しか知らぬがな・・・」帰蝶さまは、寂しそうに仰った。
「兄は、斎藤家への情などきっとない。父への情など毛ほどもないであろうな・・・もしかするとこれはきっと、兄の斎藤家への復讐なのかもしれぬ・・・」
そんなの・・・
だったら・・・
きっと、義龍は遠慮なんかしない。
間者を紛らわせて、織田の動きなど筒抜けなのだから・・・
織田を潰す、千載一遇の好機なのだから・・・
みなは、
殿様は、
弥平次さまは・・・っ!!
止めなければ・・・っ!!
「私が、行きます。殿様の下へ」
私は、気づけばみなの前でそう口にしていた。
帰蝶さまも、小六も将右衛門も、驚いた顔で私に視線を向けている。
「そんなっ、吉乃・・・お主をそのような危ないところになど・・・っ!!」
「大丈夫です、帰蝶さま。私には、小六も将右衛門もいますから」
「ならっ、妾も共に・・・っ!!」
「いけません。帰蝶さまに何かがあれば、殿様にも弥平次さまにも怒られます」
「そのようなこと、お主だって同じではないか・・・っ!!」
「それに、帰蝶さまの出で立ちでは目立ちます。万が一、義龍の軍勢に見つかって捕らえられてしまったらそれこそ大変でしょう?」
打ち掛けを羽織っていないとはいえ、刺繍がふんだんに入った自らの着物を見て帰蝶さまは口を噤んでしまう。
「帰蝶さまは、ここでお隠れください。お類のこと、お願いしても構わないでしょうか・・・?」
「・・・わかった。赤子のことは妾に任せよ」
「ありがとうございます、帰蝶さま」
帰蝶さまにお礼を言うと、私は小六と弥平次に視線を向ける。
二人とも、仕方ねえなぁ・・・といったような顔で苦笑いを浮かべていた。
「急いで馬を出すよ、小六、将右衛門」
「おうよ」
「承知だ、お嬢」
私は小六と将右衛門を引き連れて馬を走らせる。
怖いくらいの不安で、動機が激しくなる。
胸が苦しくて、堪らなくなる。
あぁ、どうか、今だけは・・・
震える身体を止めてください。
男勝りの巴御前であることを赦してください。
大切な、旦那さまを助けるために。
どうか、無事でいてください・・・
弥平次さま・・・どうか・・・




