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四十話 『火急ノ軍議』 一五五六年・土田弥平次


 その報は、私が思っていた以上に早く尾張に届いた。


 織田家中はその知らせに騒然となり、すぐさま老臣(おとな)格の家臣を集め評定が開かれた。


 事を重く見た、殿の鶴の一声だった。




 殿を筆頭に、私や五郎左、与兵衛殿、内蔵助、犬千代、勝三郎と母衣衆の面々が集う。籐吉は再度間謀として美濃に送り、この評定には不在となり。


 さらに末森から勘十郎様がお越しになり、林佐渡守様、美作守様、柴田権六様といった譜代のお歴々もお揃いになり、評定が始まった。



 議題は、



「突然の招集に皆様お揃いになり、御苦労に存じます」



 殿の参謀たる五郎左が、場を取り仕切る。



「単刀直入に、本題を。各々方の御耳にもお入りになっているとは思われますが、美濃にて内乱が起こりました」



 五郎左の言葉に、みながざわつく。


「やはり噂はまことだったのか・・・」「あの斎藤道三がまさか・・・」


 各々が驚きを口にし、先の見えない不安に顔が強張る。




 新九郎殿が、斎藤義龍が兵を上げた。



 ついに、恐れていた事態になった。



「斎藤義龍は家中の大半を取り込み稲葉山城を奪取、後継争いの弟二人を殺し、自らが新たな美濃国主だと、名乗りを上げたそうです。名乗りも、母方の姓である『一色左京大夫』と名乗っているとか・・・」



「馬鹿なっ・・・なんて義にもとることを・・・」



 佐渡守様が顔を歪めた。家中一義理にこだわる佐渡守様にとって、その行いは耳に入れただけで虫唾が走るようなものだろう。


 家中を取り込み、城を奪い、弟を殺す・・・それは紛れもなく道三様に弓引く行いだ。



 武家の。


 一族の。


 親子の。


 全ての縁を断つ反逆だった。



「道三公は、いかがされたのだ・・・っ!?」



「義龍の手勢に襲われ、命からがら稲葉山から脱したようです。長良川を越え北の大桑城まで落ち延び、義龍勢と相構える姿勢だとか」



「斎藤家は、二つに割れたか・・・」



 佐渡守様が重く呟く。



「美濃の内乱に、織田家は如何がする・・・?」



 その一言に、評定の間の雰囲気は一気に冷え込む。



 そうだ。


 それが目下の問題であり、そのためにこの評定は開かれたのだ。



 尾張織田家は、美濃斎藤家の同盟国なのだから。


 この評定で決める議題は、至極単純だ。



 美濃で起こった斎藤家の内乱。


 織田家は、この内乱に介入するか否か。


 

 斎藤道三を、助けるか否か。



「五郎左衛門、今後美濃はどうなると見ている・・・?」



 柴田権六様が、五郎左に問いかける。

 武辺者の権六様らしい、直接的な質疑だった。権六様は過ぎてしまったことに対する詮議よりも、すでに先を見据えておられる。


 五郎左は困ったように頬をかき



「私は美濃のことを詳しく存じ上げないので判断しかねますが・・・話を聞く限り、おそらく義龍の権勢は揺るがないかと・・・」



 「あくまで私の勝手な推測ではありますが」と付け加えた。


 すると権六様は次に私に視線を向け



「土田」



 私の名を呼ぶ。



「お主なら美濃を存じておるだろう。どう見る?」



「私、ですか・・・?」



「この中で美濃を知るのはお主だけであろう。思うところがあるなら申せ」



 まさか私に譜代のお方が意見を求められるなど思わず、全くもって油断していた。


 確かに、美濃を知っているのは美濃者の私だけだが・・・



「では、僭越ながら・・・」



 私は居住まいを正して、口を開いた。



「五郎左。先程、斎藤家中の大半が義龍勢に組みしたと申したが、その組みした家来の名は、わかるか?」



「少しお待ち下さい、確か籐吉の文によれば・・・」



 五郎左は懐から間謀の文を取り出し読み上げる。



「義龍勢に組みしたのは・・・長井、日根野、安藤、稲葉、氏家・・・」



 聞き慣れた家名が、次々と告げられる。


 そのどれも、私が美濃にいた頃から家中で幅を利かせていた大身の家臣ばかりだった。


 長井家は道三様から枝分かれした斎藤家の分家で、日根野は土岐時代からの美濃の大領主だ。

 安藤、稲葉、氏家は美濃の西部に根を張る一族で、『西美濃三人衆』と呼ばれ大きな力を持っている。三家が合わされば、主家とも渡り合えると言われているほどだ。



 大半などと・・・本当に家中の大部分ではないか・・・



 あと残っているのは我が土田家と、明智家、竹中家くらいか・・・明智も竹中も名家ではあるが、家の大きさなら義龍派の家名には敵わない・・・



「・・・義龍勢が動員出来る兵は、二万を超えると思われます。一方道三様は、どれほどかき集めても二千が限界かと・・・」



 私は正直に、厳しい憶測を述べた。

 その数字に、評定の場には動揺が広がる。


「二万と二千・・・!?」「そのようなもの、道三に勝ち目などないではないか・・・!?」



 新九郎殿のそれは謀反というよりも国の乗っ取りに近いほど、家中の大半は新九郎殿を支持するだろう。


 それほど、一色家の血を引く新九郎殿の格は大きい。道三様の成り上がりだという点と、今までの苛烈な改革に対する家臣たちの不満も募っていたのだろう。


 道三様に弓を引いたとしても、新九郎殿が斎藤家を継ぐのであればそれは『斎藤家』に対する裏切りとはみなされない。むしろ斎藤家の安定を求めて世代交代を望んだ忠義心だと主張することも出来るだろう。



 それに、新九郎殿は・・・




 義龍勢は官軍で、対する道三様を美濃を乱す賊という看板を貼り付けるだろう。


 軍勢でも大義名分でも、道三様は不利だ。



「・・・道三公が滅ぶのは必定だな」



 評定の様子をずっと黙って伺っていた勘十郎様が、ふと口を開いた。



「土田の話をまこととするのなら、美濃はすでに斎藤義龍の手に落ちたとみて間違いあるまい。道三公は大桑の城に籠もったと聞くが、援軍の望みのない籠城などすでに詰んでいる」



 冷めた言い草で、勘十郎様はそのように見解を述べる。



 その見解は、きっと正しい。


 圧倒的な軍勢の差。渡ってしまった錦の旗。


 あの新九郎殿が謀反を起こしたのだ、一寸たりとも綻びがあるはずもない。


 それは私も理解している。


 しかし・・・




 ・・・帰蝶様は、どうなる・・・?




「・・・兄よ、如何されるおつもりで」



 勘十郎様が上座の殿に問いかける。



「斎藤道三に援軍を出すか、否か」



 殿は何も仰らなかった。


 頬杖をつき、じっと評定の場を眺めては、物思いに耽っている。



 ・・・迷って、おられるのだ・・・



「殿。私は道三公を助けに行くべきと存じます。道三公は我らの同盟相手、見捨てることは義に反します」



「何を申すか五郎左衛門っ!! 織田家にそのような兵がどこにある!?」



 五郎左の意見具申に佐渡守様が声を荒げて反対する。



「尾張の中ですら敵を抱えた織田家に、美濃などに兵を出す余力はどこにもないではないか!! 尾張が空になった状況で清洲や岩倉が蜂起すれば如何する!? 織田家は終わるぞ!!」



「いいえ、道三公を見捨てることこそ織田家の終焉です!! 無礼ながら、我らの殿が尾張の国主たりえるのは道三公の後ろ盾が非常に大きい。それを失えば、それこそ清洲岩倉が勢いづくきっかけとなります!!」



「第一、斎藤義龍の軍勢は二万を超えると申すではないか。我らがいくら兵を集めたところで二、三千が限度。援軍を出しても返り討ちにあうだけだ!! お主は主君を負け戦に(いざな)うというか、五郎左衛門!!」



「道三公を倒した義龍は確実に同盟相手である織田にも矛を向けるでしょう。それだけは防がなければ、美濃一国を敵に回すことになります!!」



「であるからこそ、兵を温存しそれに備えなければならないのではないか」



「しかし・・・同盟相手を見殺しにしたとあっては織田家は天下から信を失ってしまいます!!」



「だから無い袖は振れぬというのがわからぬのかっ!?」



「しかしっ、だからといって道三公を見殺しにせよと佐渡守様は仰るのですか!! 道三公は、濃姫様のお父君であらせられるのに!!」



 姫様の父君を、見捨てはおけない。


 それが五郎左や与兵衛殿、母衣衆のみなの意見だった。



 佐渡守様や譜代のお歴々が仰ることはもっともだと、わかっている。


 それが尾張にとって、織田家にとって、最善の手であることも。



 五郎左も、全てをわかっているのだ。



 けれど



 そのような帰蝶様を哀しませるような選択を、家臣として殿にさせられないと思うから。



「殿!! 美濃へ参りましょう!!」



 五郎左は力強く出陣を促す。


 それに佐渡守様は強く反対した。



「なりませぬ!! 大軍相手に戦をしかけるなぞ愚策も愚策!!」



 殿は何も答えない。じっと前を見据え、唇を噛む。


 顔を歪め、眉間にしわを寄せ、それでも視線を離そうともせずにじっと前を見る。



 ・・・どこか、苦しそうなお顔がそこにはあった。




 そんな殿の姿を、私は何度も見ていた。


 今まで、ずっと。殿のお側に侍らせていただいて。



 尾張のうつけと呼ばれたこの人の、


 織田家の当主であるこの人の、



 その、心情の、



 奥底に見える、お心を。



 私は、


 私だけは知っている。





 あぁ、そうか・・・・




「・・・殿、具申したきことがございます」



 気づけば、私は言葉を発していた。



「・・・何だ弥平次」



 初めてだった。評定の場にて、自ら声を上げて意見具申をしたのは。普段から美濃の余所者だと場に気を使い、自らの主張を通すことは己に禁じていた。

 そのようなことをすれば、角が立つ。譜代のお歴々の反感を買い、殿や母衣衆のみなの立場が悪くなる。私が評定の場でしゃしゃり出ても、良いことなどないのだと。



 それなのに、今は、



 私は居住まいを正し、殿の座る上座に身体を向ける。



「私の知る限り、義龍勢の兵は大軍で練度も高い強兵でございます」



 殿に意見具申をする私に、評定中の視線が集まる。


 こやつは突如何を申すのだ・・・というような嫌悪と好奇の視線が私の肌に焼き付く。



 緊張で身体は強張っているはずなのに、不思議と勝手に動いてしまう。


 喉が驚くほど渇き、額から異様に汗が出る。


 けれど、私は口を開くことを止めなかった。



「恐れながらそれに比べ織田は兵力に劣り、雑兵一人あたりの練度も美濃侍には敵いませぬ。また我々は美濃の地にも疎く、地の利も敵に奪われてしまう。義龍勢と一戦を交えても、敗走してしまうのは明白でございます」



 五郎左の意に反する言葉を私は並べ、義龍勢に戦を挑む無謀さを説いた。


 まるで手のひらを返したように佐渡守様に賛同するような話を私がするものだから、母衣衆の中に動揺が広がる。自らの主張を折られた五郎左は顔を曇らせ、犬千代や内蔵助からも『弥平次様は何を申しているのか・・・』と不満が漏れる。



 それとは真逆に佐渡守様は意気揚々と手を叩き



「よくぞ申した土田!! そうだ。美濃などに兵を出しても・・・っ」



「しかしっ!!」



 私は佐渡守様の言葉を遮り、大声を上げる。



「裏を返せば斎藤義龍もそう思うておるはずです。織田の軍勢は小勢であり、 道三を救うことなど出来るはずもない。自国の損得を考えるのなら、美濃に兵を出すなどありえないとたかをくくっている。そこが、義龍勢の油断となっているはずです!!」



「土田・・・おぬし、何を申して・・・っ!!」

 


「我々には、小勢である利があります。大軍の義龍勢がとても使えないような山々の小道を、小勢の我々ならば通ることが出来る。先導は美濃の出である私が務めます。義龍勢に気付かれず敵の背後に回り、虚を突く。その混乱に乗じて道三様の手勢と共に打って出れば、道三様を尾張へ逃がす機会を作ることが出来ます!! 敵に勝てずとも、道三様を救えます!!」



 私は腰に差した脇差を鞘ごと勢い良く引き抜くと、畳の上に突き立てる。


 ぼすっ、と鈍い音が響く。



 そして殿と顔を見合わせると、不敵に微笑む。



「この土田弥平次、お供致します。 お義父君を助けに参りましょう、殿」




「「殿っ!!」」



 私に合わせて、母衣衆のみなも脇差を抜いて畳に突き立てる。



 五郎左、与兵衛殿、犬千代、内蔵助、勝三郎。


 みなが、強い眼差しを殿に向ける。



 我らは、母衣衆。


 殿の、織田信長様の直参たる武士。



 殿の望みのため槍を振るうことが、きっと我らの忠義なのだから。



「お主らっ、何を殿に申して・・・っ!!」



「弥平次、よくぞ申した」



 信じられないとでもいうような顔で佐渡守様は声を上げる。


 その佐渡守様を遮り、殿はばっと立ち上がる。

 冷えた視線で上座から下座を見渡し、頭の中まで響くような大声で号令をかけ



「美濃へ兵を出す、いつでも出陣出来るよう戦支度を整えよ」



「「承知!!」」



 殿に負けじと、私達母衣衆も腹から声を出しそれに応えた。

 しかし、譜代のお歴々は何も答えない。苦虫を潰したように苦い顔をで、じっと黙っている。



「殿、何を申しておられるのですかっ!? 織田家にそのような余裕など・・・っ!!」



「佐渡、俺に異を唱える気か」



「無論でございます!! 信秀様より託された織田家を守るため、例え殿であろうとも間違いは間違いと・・・っ!!」



「黙れ。話は決した、これで評定は終いとする」



「殿っ・・・お待ちなされ、殿っ!!」



 佐渡守様の進言も素知らぬ顔をして、殿は無愛想に評定の間から出ていった。



「・・・っ、!!」



 話も聞いてもらえず取り残された佐渡守様は、声にならない声で苛立ちを露わにする。悔しそうに唇を噛み、暴力的に足下の畳を殴った。


 殿の態度は臣下とはいえあまりに無礼で、佐渡守様の面子は丸潰れで。


 佐渡守様は先代から仕える最古参の宿老、織田家臣団の筆頭家老(おとながしら)だ。


 それは、宿老としてあまりにも屈辱的な仕打ちで。





 佐渡守様の無体な様子に、譜代のお歴々の中に動揺が広がっていく。


 評定の間の雰囲気が、みるみるうちに重くなっていく。



 しかし、その場にいた勘十郎様は、一言も発することはなかった。


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