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三十九話 『道三ノ娘』 一五五六年・吉乃



 数日して、私はお類を伴ってお城に上った。



 お城に上るのも随分と久しぶりだ。お類のお産の時から帰蝶さまとはお会いできていなくて。文でのお伺いしかできていないことを、本当は気にかかっていて。


 祝言の時も、お類が産まれた時も、帰蝶さまには盛大に祝ってもらっていたから。


 いつかちゃんとお礼に伺わなければって。



 ようやくお類も首がすわって、抱きかかえたまま外に出ることができるようになり。


 お祝いのお礼とお類の顔見せを兼ねて、私はようやく帰蝶さまの所へ伺うことにした。



 無論、弥平次さまと約束も忘れずに。



「本当に久々じゃのう、吉乃。こうして来てくれること、妾はまこと嬉しく思うぞ」



 帰蝶さまはお類を抱きかかえて、心底嬉しそうな表情で笑った。


 そのお顔がとても愛らしくて、私は思わず見惚れてしまう。



 やっぱり、帰蝶さまは美人だ・・・



 久しぶりにお会いしたからなのか、少しどきまぎしてしまう。


 元々美しいお方だったけど、この二年で前よりもまして色っぽく、艶やかなお人なったなぁとしみじみ思う。



 なんというか、大人の色気が醸し出されるようになったっていうか・・・



 もう帰蝶様は二十二だし、当然なのかもしれないけれど。



 帰蝶さまと比べれば、三十路の私の方が全然子供だ・・・



 私の方が年上なのに・・・娘を産んだ母なのに・・・



 少し、落ち込む。




 二年前の天王祭を境に、帰蝶さまは随分と明るいお顔をされるようになった。


 自らを卑下することもなくなり、未だにお子が出来ずとも背筋を伸ばしては不敵に笑みを浮かべている。胸を張って、北の方さまとしての務めを全うされているらしい。


 姫として、女として、ますます魅力的なお人になったと、弥平次さまは仰っていた。



 私もこうして久々にお会いして、まさにその通りだと思った。



「ご無沙汰しておりました、帰蝶さま」



「なに、構わぬ。子育てに忙しかったのであろう、妾もそれぐらいの配慮はする・・・いや、それにしてもお類と言ったか? なんと可愛い赤子かぁ・・・吉乃の子とは、まるで思えないのぅ・・・」



 ちょっとっ・・・帰蝶さま、それはどういうことですか・・・!?



「いやいや、帰蝶さま!! 私の子ですよお類は!!」



「冗談じゃ、わかっとる」



 帰蝶さまは抱きかかえたお類を愛らしそうに見つめて、そっと笑みを浮かべた。


 その向けられた笑みに、お類も嬉しそうに笑って応える。



「ほら、初めて会う妾に抱かれて泣きもせぬ。この肝の据わり様は、まさしく吉乃の子じゃ。将来(すえ)は紛れもなく母と同じ『男勝りの巴御前』じゃのう」



 うっ・・・なんてことを仰るのか帰蝶さまは・・・



 武家の娘に相応しい、可憐でお淑やかな女子に育てるのだと思っているのに・・・


 私自身、もしお類が母に似た男勝りに育ったらどうしようと不安なのに・・・



「意地悪なことを仰らないでください、帰蝶さま・・・」



「少しからかいすぎたかの」



 可笑しそうに笑って、帰蝶さまはまたお類に微笑みかける。



「まこと、赤子はなんと可愛いものか・・・顔つきは、吉乃に似ておるのぅ・・・目は、弥平次にそっくりじゃ・・・お主らの子は、妾や信長殿にとっても大事な子よ・・・」



 不意に、帰蝶さまが呟く。



「いいのう・・・妾も、ほしいのう・・・」



「帰蝶さま・・・」



 その言葉に、私も胸が苦しくなる。



 ずっと帰蝶さまが子宝を望んでいることを、私は痛いほど知っているから。


 それこそ、二年前の祭りの時から。いや・・・私が帰蝶さまと初めてお会いする、ずっと前から・・・



 それなのに、その苦悩を知っているはずなのに、私は帰蝶さまより先に母になってしまった。


 その申し訳ない気持ちが、帰蝶さまの下から足が遠のいていた一つの要因であることは、正直否めなくて・・・



「別によい、気にしてくれるな。吉乃は吉乃、妾は妾。別の者なのだから、それぞれの恋路がある。あの祭りの日にそれを教えてくれたのは、お主であろう?」




 その、美しく凛々しいお顔で。


 可憐に、澄んだお声で。



 自信に溢れた笑みを浮かべてそう仰る帰蝶さまに、私は思わず感心してしまう。

 


 ・・・帰蝶さま、本当一段と素敵なお方になられたのだな・・・




「して、吉乃・・・? 此度は何の用じゃ? 子育てに忙しいときにわざわざ城まで上って妾に会いに来たのじゃ、用はお類の顔見せだけではあるまい・・・?」



 えっ・・・?


 帰蝶さま、なんて勘の鋭い・・・・



「どうして、お分かりに・・・?」



「お主が隠し事をするのが下手なのじゃ・・・して、いかがした・・・?」



「それは、その・・・」



 私は思わず、口を噤んでしまう。


 美濃でのこと、なんて申し上げればいいのだろう・・・?



「・・・美濃の、ことか?」



「えっ・・・?」



 言葉に詰まる私の考えを見抜いて私に問いただす。



「・・・妾も籐吉から聞いている。どうせ、弥平次の差し金じゃろう・・・? 姫の様子を見に行ってほしいなどと、言われたのではないのか?」



 うぅ、全て見抜かれている・・・



「仰る通りです・・・けれどっ!! まこと私は帰蝶さまのことが心配で・・・!!」



「あぁ、存じている。吉乃が節介焼きの女子であることなど」



 節介焼きって、帰蝶さま・・・



 まぁ、確かにその通りなのだけれど・・・



「・・・だが、そのような吉乃だからこそ、妾はお主がまこと好ましいのじゃ」



 帰蝶さまは優しく微笑み、私にそう仰ってくださった。



「・・・正直に申すと、少し変な心地でのぅ・・・父と兄が戦をすること、妾にはどう受け止めてよいかわからぬ・・・」



 心底困り果てたというような表情で、帰蝶さまはその胸の内を教えて下さった。


 私は何も申さずに、帰蝶さまのお話にじっと耳を傾ける。



「妾と新九郎の兄上とは別腹(べっぷく)、母が違っていての・・・妾の母は『小見の方』と申すのじゃが、母は美濃の地侍であった『明智』の一族の出での・・・兄上の母である深吉野様とは全くもって格が釣り合わなかった。深吉野様は、四職の一色家の出だからのう」



 帰蝶さまと義龍殿は同じ道三公の子であるのだけれど、母君の家の格の違いで、大きな溝があったらしい。



「兄とは申せども、親しく話しかけるなど恐れ多くて出来なくての・・・母からも、きつく言い止められておった。別腹の子が世継ぎの兄に声をかけるなど、無礼千万だとな・・・」



「っ、そんな・・・」



 帰蝶さまがとても可哀想に思えて、なんだか私も胸が痛む。



 別腹だからって、兄と親しくすることすら赦されないなんて・・・


 母君の出が違っても、道三公のお子であることは同じなのに・・・



 弥平次さまの妻となっても、私はまだきっと商人の世界しか知らなくて。


 お武家さまの倣いもたくさん覚えた。頭ではわかっているつもりだった。



 けれど



 それが武家の有り様だとしても、私にはとても受け入れられなくて。



 父と子は相争い、


 兄と妹は親しくすることを禁じられ、



 それが、まことの家の形なのだろうか・・・?



「父と兄上の折り合いが悪いことは昔から存じていた。父はどちらかというと妾に甘く、可愛がっておられたからな・・・妾は道三側の子だと見られ、それも兄上と疎遠になる一因だったかもしれぬ・・・だから吉乃。妾と兄上は、お主が思うておるような兄妹ではなかったのう・・・」



「帰蝶さまは、それでよろしいのですか・・・?」



「・・・わからぬ。何にしろ、妾は尾張に嫁いだ身。美濃のことを案じても、妾には何も出来ぬ・・・ただ・・・」



 帰蝶さまはそこで言葉を切る。



 哀しげに目を伏せると、抱きかかえたお類の手に自らの小指をそっと差し出す。


 差し出された指を、お類はぎゅっと握る。帰蝶さまの白く細い指は、お類の柔らかな手のひらに包まれて。まるで折れてしまいそうで。



「ただ・・・」



「郷里が戦火にまみえるのは、耐え難い・・・あれでも、斎藤道三は我が父じゃ。父にもしものことがあれば・・・」



 っ、帰蝶さま・・・



 苦しそうに、帰蝶さまはそう仰った。


 その表情があまりにも苦しそうで、そのつらさが抱きかかえられているお類にも伝わってしまったのだろう。


 お類の顔が、突然涙で歪む。



「っ、どうしたのじゃお類・・・!? 急に泣きよって・・・っ、怖かったのかのっ!? ほれ、ほれ・・・大丈夫じゃ・・・すまんかったの。泣き止んでおくれ・・・」



 慌ててお類をなだめる帰蝶さまを、私は不安な心地で眺めていた。



 もし美濃で内乱が起これば、きっと事は美濃だけでは済まなくなる。


 なにより、帰蝶さまはきっとお心深く傷つきなされる・・・



 どうか、帰蝶さまのために。


 弥平次さまのために。



 美濃で戦など、起こらないでほしい。



 心底、願わずにはいられなかった。




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