表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/126

三話 『銭ノ力』 一五五三年・吉乃



「人様の店に乱暴に上がり込んで、店を焼くなどと脅しをかけて。何様のつもりですか。尾張の当主さまがそんなに偉いのですか」



 まだ二十そこそこの青二才のくせして。


 私より五つも六つも若いのに。


 黙って聞いていれば言いたい放題。



「ここは津島、商人の町。この町で通るのは、商人の道理だけです。お武家さまの道理は、どうぞ自らのお城だけにしてください!!」



 顔を赤くして、私はまくし立てるように言い立てた。


 口にすればするほど、破れた関止めのようにどんどん文句が溢れてきて、とても自分では止められなくなっていた。


 あぁ、相手はあの織田信長なのに・・・こんな喧嘩を売る真似、斬り殺されてもおかしくないのに・・・もう、止められない。



 全て、言ってやる。



「侍なんて、武士なんて・・・戦しか出来ないではないですか!! 弱い民百姓をいつも戦に巻き込んで、人を殺して・・・殺して・・・誰かを傷つけ悲しませることしか、お侍さまは出来ないではないですか!!」



 生駒屋のみなも、川並衆の野武士たちも、織田のお侍たちでさえ、唖然とした表情で一人信長に喧嘩を売る私を見ていた。


 武士に、尾張の当主に、あの信長に真正面から歯向かう女を。まるで信じられないものを見ているかのように。



「私たちは、あなた方お侍とは違います!! 私たち商人は商いによって人を喜ばせることが出来る!! 人に幸を与えることが出来る!! 米のないところに米をやり、魚を食べられないところに魚をやり、そうやって大勢の人を喜ばせてきた!! それが商人の誇りです!! その誇りが決してお武家さまに劣っているとは思わない!!」



 胸を張って、私は力強く言い切る。


 心の臓の奥の奥から、そう思っているから。


 『商人』という自らに、誇りを持っているから。



 何度でも、嘘偽りなくそう言える。




 そのとき、だった。



 信長が無言のまま、突如刀を抜いた。


 驚く間もなく、私の視界を鈍く白い光が通り過ぎる。


 信長の抜いた刀の刃が、ぴたりと私の首筋にくっついて離れない。


 数寸でも動けばそのまま首を斬り落とされそうで、私は思わず唾を飲み込んだ。


 私は信長から目を離さない。いや、離せない。目を離せば本当に斬られてしまいそうで、まさしく蛇に睨まれた蛙のような心地だ。


 相変わらず信長は無表情で、何を考えているかわからない。



 でも、不思議なもので怖くはなかった。

 



「・・・脅しはききません。刀を抜かれても、怖くはありません」



「何故だ」



「私たち商人には、力があるからです。刀よりも、弓よりも強い力が」



 私には、力がある。


 屈強な男にも、刀を抜いた侍にも負けない強い力がある。


 私は女の身だけども、ずっとその力をふるってこの町を渡ってきたから。



「なんだ、その力とやらは」



 信長が威圧を込めた声で私に尋ねる。


 私はそんな信長の顔を見上げて、溢れるほどの自信を込めて言ってやった。



 それは、



「銭の、力です」



「銭の、力・・・」



 私がそう言った瞬間、信長が眉をひそめた。


 さすがのうつけ殿様も、私の言葉に唖然としたようで。私はそれを見逃さず畳み掛けるように言葉を続けた。



「私たちが商いで稼いだたくさんの銭は、とても大きな力です。銭があれば、何だって出来る。人を幸せにすることだって、殺すことだって容易い。商人を侮らないでください」



 商人の矜持にかけて、私は銭の力を、商いの力を誇ってやる。


 確かに、銭だけでは何も出来ない。腹も膨れないし、寒さもしのげない。敵の雑兵一人だって、殺せない。


 でも、銭は何だって出来る。銭でものを売って、買って、儲けて、損して、そうやって私たちは自らの富を増やしてきた。自らの富を増やしながら、それに関わる大勢の人に富や幸を与えて与えられて、そうやってみなで喜びを分け合ってきた。



 それが、私たち『商人』だ。



 戦ばっかりのお侍とは、違うから。



 信長を見上げながら睨む私と、冷ややかな目で私を見下す信長。そして私の首に添えられた信長の刀。


 一触即発の緊張の、そのとき



「・・・殿、さすがにお戯れが過ぎます」



 信長の後ろ、織田家の家来衆の中で一人、信長に諫言を言うお侍がいた。


 十七、八の若者が多い中では年長の、私と同じくらいの年のお侍。大人びた雰囲気の落ち着いた方だと思った。お武家さま特有の殺気立った雰囲気もあまり感じない、不思議な方・・・



「弥平次・・・俺が戯れていると申すか」



「本日の用は、鳴海へ兵糧を横流しした商人を探すことでございましょう。商人の女子(おなご)に刀を向けることではありますまい」



 少し呆れたように大人びたお侍、弥平次殿はそう言った。そのやり取りはまるで悪餓鬼とそれに手を焼く師のようで、殿様と家来のやり取りらしくないと思った。


 そんな弥平次殿に五郎左殿も他のお侍も、あの短気な内蔵助殿でさえ苦虫を噛み潰したような顔をしているけど何も言わない。



 信長は弥平次殿にたしなめられて、私の首に添えた刀をすっと降ろす。


 殿様が家来に叱られて言う通りに刀を下ろすなんて、変な光景だと私は思った。



 まるで、信長は弥平次殿に頭が上がらないように見えて・・・



「お聞きくださり、感謝致します」



 弥平次殿は信長に頭を上げる。



「・・・弥平次の申す通りだ。面白い女を見つけて、少し興が乗りすぎた」



 信長はそう言った。でも、相変わらずどう見ても不機嫌にしか見えない仏頂面だ。魚河岸(うおがし)に並べられた死んだ魚のような顔で『興が乗りすぎた』なんて言われても、全くそうは思わない。


 『面白い女』なんて言われても、私はどのような顔をしていいのかわからなかった。褒められているのか、貶されているのか、それすら見当がつかなくて首を傾げるしかない。



 ・・・本当に、変な殿様だ。



「行くぞ」



 信長は短く言い放って、店を出て行く。


 それに連れて、家来のお侍方も次々と立ち去る。


 その後姿を見て、私は心の底からほっとした。殺される覚悟を抱いたときから張り詰めていた緊張の糸が、一気に解けていく。疲労が急に全身にのしかかって来て、身体がとても重くなった。


 お侍方の立ち去り際、私は最後に残った弥平次殿に声をかけられた。



「拙者、織田信長様が母衣衆(ほろしゅう)の土田弥平次と申します。此度は我が殿が御迷惑をかけ申し訳ございませぬ」



「いえ、こちらこそ助けていただいてありがとうございました」



 重い身体のまま、私は弥平次殿にお礼を言った。


 弥平次殿は申し訳なさそうな顔で「我が方がしたことですから」と苦笑いを浮かべる。



「この詫びは、後日必ず致します。貴女の名を伺ってもよろしいですか」



「名前、ですか? 吉乃と申します」



「生駒屋の吉乃殿ですね、覚えました。では、私も殿を追いかけないといけないので、御免仕ります」



 弥平次殿は深々と頭を下げ、店から出て行った。


 その背中を、私は『変わった人だ』と感じながらぼんやりと見つめていた。


 物腰が低くて、口調も丁寧で、お侍に多い尖ったような感じも見当たらない。



 お武家さまらしくないなって、思った。



 信長とはまた別の意味で、私が知っているお侍とは違っていた。


 信長は、お侍にしては冷たすぎる。反対に弥平次殿は暖かすぎる。



 商人にも男と女がいるように、お武家さまにも様々な方がいるのだなって思った。




この物語もう1人の主人公が今回登場した土田弥平次です。

弥平次はもうほぼ資料もなく謎ばかりの人物なのですが、一応実在する人物で。

ですがまぁ、信長の家来というのは、オリジナルの設定になりますが。


吉乃、弥平次そして信長の三人を軸にして、この物語は進んでいくと思いますので、是非応援してくださると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ