三十八話 『斎藤家ノ内紛』 一五五六年・吉乃
ある日の夕餉の折に、弥平次さまは深刻そうな顔をなさっていた。
健啖家の弥平次さまには珍しいくらい、箸も進んでいなくて。
「いかがなさいましたか、弥平次さま?」
気になって私は思わず尋ねてしまう。
旦那さまのお務めに首を出すなんて武家の嫁としてはしたないことだとはわかっているけれど、つい。
子が出来てもまだ商人の頃の男勝りが抜けないのかな、私は・・・
私が不躾に尋ねると、弥平次さまは別段嫌な顔もせずに悩みの種を私に打ち明けてくれた。
二人で力を合わせ殿様を支えていくことが、私たち夫婦の務めだから。
「美濃で跡目争い・・・」
それが私の頭を悩ます大きな種だと、旦那さまは仰った。
近頃、津島で増えてきている美濃との商い。弥平次さまはそのことを不審に思い、籐吉を美濃へ間謀に向かわせたらしい。
そこで藤吉が手に入れた情報とは、美濃斎藤家の跡目争いだった。
「道三様には、新九郎義龍殿という嫡男がおられるのです。確か、新九郎殿のお年は私達と同じぐらいだったでしょうか・・・美濃にいた頃、私は道三様付きの近習だったので新九郎殿と関わり合うことはなかったのですが、あの頃から武勇に秀でたお方だと美濃では名を馳せておりました」
道三公のご嫡男、新九郎義龍殿・・・
私たちと同じくらいの年頃で弥平次さまが美濃におられた頃ってことは、まだ十四、五くらいのはずだ。
お武家さまの慣習じゃ、元服したばかりの年頃のはず。そのような頃から武名を馳せるなんて、相当お強い方なのだなって私は思った。
「道三公にそのようなご子息がいらしたのですね・・・斎藤家にとっては、有望な世継ぎではないですか。それがなぜ、跡目争いなどに?」
「新九郎殿が有望だったことが、問題なのです・・・」
弥平次さまはため息をつかれてから、私に事の顛末を教えて下さった。
義龍殿は、若い頃から名高い武辺者で知恵も回る。斎藤家の御旗を継ぐのに遜色ないほど才に溢れたお方だった。
けれどあまり有望すぎるあまり、斎藤家中にて反道三派の家臣たちで義龍殿を立てて道三公に対抗しようとする一派が現れたらしい。
「元々、美濃は守護であった土岐頼芸公の国。それを道三様が頼芸公を追放し一代で身を立てたのが今の斎藤家です。斎藤家臣団の殆どは、土岐家に仕えていた在地の武家がほとんどでした」
斎藤家の家臣は、元々は土岐家の家来。お殿様が道三公に変わったって、未だ土岐家に忠義を誓って道三公と相容れない家臣も多いらしい。
次第に斎藤家家中は道三公に忠義を尽くす『道三派』と、真の主家は土岐家だと主張する『反道三派』に分かれて。
やがて『反道三派』は義龍殿を担いで『義龍派』へと変わっていった。
「武家の出ではない私にはいまいちわからないのですが、どうして道三公に反する者たちが義龍殿を立てることになったのです? 義龍殿を反道三公の御旗に立てても、結局は斎藤家が美濃の主であることに変わりはないのでは?」
仮に道三公を倒したとしても、その子息である義龍殿が後を継ぐのであれば何も変わらないのでは・・・?
「ところが、新九郎殿には名分が立つのです。美濃の主たる正当性が」
「名分、ですか?」
「新九郎殿の母君、『深吉野』様というお方なのですが、この方は元々土岐頼芸公の奥方だったのです。」
「えっ、それはまことですかっ!?」
私は思わず驚いてしまった。
道三公の奥方さまは、前の守護さまの奥方さま・・・?
それは、国と一緒に奥方さまも奪ってしまったってこと・・・?
「斎藤家が土岐家から美濃を奪った家であることは事実です。土岐家が室町将軍家から正当に美濃の支配を許された守護職である以上、道三様がどれほど強大な国をつくり美濃を支配しようとも斎藤家は家の格で土岐家に敵いません。ところが、その土岐家と縁を持つ深芳野様のお子が斎藤家を継げば、土岐家が持つ家の格を斎藤家に取り込むことが出来ます」
斎藤家の世継ぎでありながら守護さまである土岐家の格を持つお方が、義龍殿・・・
美濃の主たる名分があるって、そういうことなのか・・・
「ましては深芳野様は四職である一色家の出で、そういった意味でも新九郎殿は格のある血筋を引いていると言えるのです」
「四職、とは・・・?」
「将軍家が定めた、日ノ本中に散らばる守護職の中でも格のある四つの家のことです」
へぇ・・・初めて聞いた・・・さすが、弥平次さまは物知りだ。
「つまり、義龍殿は由緒ある血筋を引く方で、それを反道三派に目をつけられたという訳ですか」
「まぁ、端的に言うと吉乃殿の申す通りですね」
そのように自らに反する家臣を集める嫡男を、道三公はあまり快く思っていなかったらしい。
やがて親子の小さな亀裂は時と共に広がってしまい、そして此度のお家騒動の火種になってしまったのだと、弥平次さまは言った。
「どうやら近頃、道三公が跡目を嫡男の新九郎殿に譲らずに別の妾の子に後を継がせると家中に表明したらしく。そのことに新九郎殿が真っ向から反発し、家中が二つに分かれてしまったそうです。津島で取り引きされている美濃との商いも、義龍派が武具兵糧を買い集め戦支度を進めているからだと、籐吉からの報告にありました」
「つまり、道三公と義龍殿の戦になると・・・?」
「その気運は、固まりつつあると見ていいと思います」
美濃で、戦が起こる・・・
それも、親と子の間で戦だなんて・・・
いくらそれが乱世の倣いだっていっても
なんて、哀しい話だろう・・・
「・・・弥平次さま、おつらいですよね・・・国許で、戦があるなんて・・・」
弥平次さまのお心を思い、私は胸が苦しくなる。
郷里が戦火にまみえるだなんて聞いて、弥平次さまはどのような心持ちだろう。親兄弟だって国許に残しているのだから、さぞ心配に違いないはずで。
私は尾張で生まれ、尾張で暮らしてきた。尾張から出たこともないし、家が戦に巻き込まれた経験もない。
私には、弥平次さまの思いを一寸たりともわかって差し上げることが出来やしない・・・
そんな私自身が、とても歯がゆい。
「私よりも、帰蝶様のことが・・・私は心配です。じきに、美濃のことは尾張にも伝わります。姫様のお耳にもきっと入ることでしょう。その時の、姫様のお心を考えれば・・・」
弥平次さまは心底心配そうな顔をされて、そのようなことを仰った。
そっか・・・帰蝶さまにとっては、父と兄が戦うことになるのか・・・
帰蝶さま、きっとおつらい思いをされるだろうな・・・
・・・よしっ。
こういう時こそ、友である私の出番だ!!
「私に任せてください、弥平次さま!! 帰蝶さまと、お話して来ます!!」
私は、自信をこめて自らの胸を叩いた。
満面の笑みを、私の旦那さまに向ける。
「いいのですか・・・? 吉乃殿・・・?」
「無論です!! 私はこれでも帰蝶さまの友ですから!!」
久々に、男勝りの血が騒ぐ。
・・・やっぱり、私はこういう女だ。
帰蝶さまがおつらい思いをされているのに、黙っていることなんて私に出来やしない。
それが旦那さまのお役に立てるなら、尚の事。動かない道理なんてある訳がない!!
「・・・本当に、頼りになるお方です吉乃殿は」
弥平次さまは、柔らかな笑みを浮かべながらそう仰った。
「姫様のこと、お願いします。吉乃殿」
心の底から、私を信頼してくださっているその表情。
二人で歩みを並べて歩くことを、許してくださる旦那さま。
じっとしていられない男勝りの妻を、受け入れてくださる旦那さま。
本当に、良い人に嫁ぐことが出来たのだと私は心の底から思った。




