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三十七話 『美濃ノ暗雲』 一五五六年・土田弥平次



「・・・美濃の様子が、ですか?」



 五郎左が首をかしげる。


 城の執務室にて庶務を片付けながら、私は五郎左に先日吉乃殿から聞いた話をしたのだった。



「あぁ、津島の商人たちがみな、美濃と商いのやり取りをしているらしい」



 近頃津島では美濃への商いが活発になされていること。津島の米が、大量に美濃に流れていること。


 吉乃殿は他愛のない酒の肴として切り出した話だったようで、「景気が良くて羨ましい」と笑っていた。


 しかし、私は・・・



「・・・美濃の様子が、気にかかる」



 吉乃殿の話に、何か不穏なものを感じていた。



「気のせいなら、それで良いのだが・・・」



 不思議とどうにも、不安が拭えない。



「美濃で商いがなされていることに一体、何が気にかかるのですか?」



「そこだ。どうも、『美濃』と『商い』が私の中で結びつかない」



 美濃で商い。


 それが、私にとっては違和感があるのだ。


 美濃は、水害の多い尾張と違い山に囲まれた豊かな穀倉の地だ。毎年、美濃の者だけでは食いきれぬほどの米が取れる。


 その高い美濃の石高は、古くから年貢として百姓の、そして百姓を束ねる武家の力を示すものになっていた。

 そこに商人の入り込める余地もなく、私の知っている限りでは美濃に『豪商』と言えるような商人はいなかったはずだ。


 単純なことだ。田を耕せば余るほどの米が出来る。別に商いなどせずとも、美濃ではそれだけで生きていける。


 美濃は『米と百姓と武士の国』で、尾張のように商人が根付くようなことはなかったはず。



「美濃の市・・・井ノ口という町にあるのだが、そこは斎藤家の居城、稲葉山城の麓でな。美濃で行われる商いは、たいがいを斎藤家が管理していたのだ。城勤めをしていた折、井ノ口の座の帳簿を読ませてもらったことがあるが、美濃に津島の豪商と対等に商いが出来るほど有力な商人はいなかったはずなのだ・・・」



 ましてや、美濃は米どころの地だ。美濃の米を他国に売りさばくことはあっても、美濃が他国から米を買い集めるなどあまり聞く話でもない。



 そういった意の話を、私は五郎左に伝えた。


 五郎左も私の話を聞き、首をかしげる。



「それは、確かにおかしな話ですね・・・」



「そうだろう」



「弥平次様。先程、美濃の商いは斎藤家が管理していると仰っておりましたよね? ということは此度の美濃への商いが増えていること、斎藤家がなにかしら関与しているということでしょうか・・・?」



「そう考えるのが、妥当ではあるが・・・」



 美濃での大きな商いは、斎藤家の後ろ盾があると見て間違いないはずだ。


 しかし、どうして斎藤家は商いなどを・・・



 私は、それが全くわからなかった。




 ・・・いや。



 わからないというのは、偽りだ。


 実のところ、思い当たる節がある。



 私も、五郎左も、それが頭を過ぎった。



 武家が米を買い集めるなどと、一つしか理由がない。




 ・・・戦のため。




「・・・美濃が、戦支度をしていると?」



 五郎左が顔を強張らせて私に尋ねる。



「まだ、確信を持てるわけではないが・・・」



 それぐらいしか、説明がつかない。


 美濃斎藤家は西に位置する北近江の浅井と敵対しており、度々小競り合いのような小さい戦を起こしている。



「近江攻めのために、兵糧を集めているのかもしれぬ・・・」



 しかし、自ら口にしておきながら内心腑に落ちなかった。


 近江攻めのための兵糧集めならば、斎藤家が大手を振って兵糧米を集えばいいはずだ。

 それをまるで隠れるように、美濃の商人を通して買い漁るというのは、違和感しかない。



「道三公が、近々浅井と大きな戦をすると・・・?」



「それはわからぬ・・・なんというか、上手く口には出来ないのだが何かが腑に落ちないのだ」



 自らでもよくわからないのだから、五郎左にこの感覚を伝えるのは随分難しい。


 このなんとも形容できない違和感は実際に美濃に、斎藤家に属していた私にしかわからないものだろう。


 美濃を、斎藤家を実際にこの目にしているのは尾張で私と帰蝶様だけなのだから。



 何かが、違うのだ。


 私の存じている美濃と。何かが。



「籐吉」



「へい、弥平次様」



 私は、側で帳簿整理を手伝わせていた藤吉に声をかける。



「吉乃殿から聞いたのだが、お前は小六殿の下に行く前に美濃で行商をしていたそうだな。美濃の地には明るいのか?」



「井ノ口と稲葉山のあたりなら、存じておりやす。針売りで各地を行脚していた折に、何度も井ノ口で商いをしておりやした」



「ほう、それは良いことを聞いたな」



 私はこの猿顔の若者に向けて、含みを帯びた笑みを向ける。


 尾張中村の百姓上がりのこの男は、殿の草履取りとして吉乃殿から押し付けられた者だ。


 初めは「吉乃殿に面倒事を押し付けられた・・・」と辟易とした者だが、意外と器用で役に立つ男で、こうして私や五郎左の手伝いにと色々と小間使いをさせている。


 なんでも吉乃殿はこの籐吉を織田家中への間者として使っているようで、城内の様子や広まった噂などを度々籐吉に報告させているようだ。



 ・・・本当、我が妻ながら油断ならない御仁で・・・



 

「よし籐吉、美濃に使いを頼みたい。美濃の様子を、探ってきてくれぬか」



 吉乃殿が間者として籐吉を使っているのだから、多少は間諜の真似事だって出来るだろう。



「お前にしか頼めぬ」



 今の、美濃の現状が知りたい。


 だが、織田の家来である私や五郎左では、美濃に入ることすら難しい。国境の関所で怪しまれ、止められてしまうだろう。


 籐吉なら、行商に身を変えて美濃の国内に潜り込めるのではないか・・・



「そのような大事なお役目を、わしにですか弥平次様・・・?」



 「こりゃあ、功名を立てるどえりゃあ好機だ・・・」籐吉は、嬉しそうに目を輝かせて呟く。


 武士になり出世をするのが籐吉の野望なのだと吉乃殿から聞いている。


 確かに美濃への間諜を見事成し遂げ殿のお役に立てれば、扶持を頂く武士として殿に取り立ててもらえるかもしれない。

 藤吉にとっては草履取りから侍になる絶好の機会なのだろう。


 意気揚々と立ち上がっては



「身に余る誉れでございます!! この籐吉、見事お役目を果たし手柄としてみせまする!!」



 籐吉は頼もしく胸を張ってそう応えた。



「そうか。よろしく頼む」



 こうして私は美濃への探りを籐吉に頼み、籐吉は翌朝に尾張を発ち美濃の稲葉山へと向かった。



 ・・・いつも思うことなのだがなんというかまことに、使いやすい男だな。籐吉は。


 草履取りに政務の手伝い、間者の真似事まで出来るのだから。



 籐吉を殿に推薦した吉乃殿の人を見る目に、ただただ脱帽するばかりだ。



 とにかく、果たして藤吉が美濃からどのような知らせを持ってくるのか・・・



 私の、杞憂であればよいのだが・・・




 だが数日して藤吉が持ち帰った知らせは、


 私が考えていた以上に、深刻で入り組んだものだった。


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