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三十五話 『夫婦ノ日々』 一五五六年・吉乃



 歳月の流れは、本当に驚くほど早いって思った。



 あの天王祭の後、時節は一周巡ってもう二年近く時が過ぎてしまっていて。


 土田の家に嫁いで、弥平次さまの妻になって、私は二度目の春を迎える。



 弥平次さまに嫁いでから、時の移ろいにも気が回らないほど、とにかくてんやわんやで慌しかった。


 今まで商人として店に立ってばかりで、他家に嫁ぐ準備なんて全くしてこなかったからそのつけが回ってきたのだと思う。


 年季が過ぎても嫁の貰い手なんていなかったし、何しろ私自身が「このまま嫁に行くこともなく、商人として生涯を終えるのかなぁ・・・」なんてぼんやりと思ってしまっていたから、全くもって油断していた。



 人様の妻になることが、ましてや武家の家裁を取り仕切ることがこんなに大変だなんて・・・正直思ってもみなかった。



 私たちの祝言は、織田の殿様と津島の会合衆の協力で盛大に祝ってもらった。生駒屋や川並衆のみな、母衣衆の面々、お得意様の大旦那たちまで、みなに祝福の言葉をかけてもらって本当に嬉しかった。



 武家の嫁なんて私に務まるかどうか不安だったけど、精一杯頑張ろうって思ったんだ。


 私は男勝りの『巴御前』だし、慎ましく三歩下がって旦那さまを立てていく・・・なんてこと、出来るかどうかわからない。



 それでも、私たちを祝ってくれたみなのために。


 この婚儀を取りまとめてくれた殿様のために。



 そしてなにより、弥平次さまのために。




 全霊をもって、弥平次さまをお支えしようって私は覚悟を決めた。


 商人からも足を洗って・・・店のことは、頼もしい手代たちや馬番たちがいるから大丈夫。それに、隠居している父に店主として復帰してもらおう。


 生駒屋は父に任せて、私は土田家の家裁を仕切ることに専念して。



 そう決意して、弥平次さまとの初夜、布団の中でその覚悟をお伝えしたら・・・



「何を仰っているのですか吉乃殿!?」



 物凄く、怒られた。



「私は、商人として誇りを持っておられる吉乃殿を嫁にしたのです。それを私の嫁となるために商人から足を洗うだなんて・・・確かに今まで通りというのは難しいのかもしれません。それでも、吉乃殿は生駒屋に出てください」



「いや、でも・・・だって私は弥平次さまの妻に・・・」



「猪突猛進、自らのお心に真っ直ぐでいてください。その方が吉乃殿らしい。そのようなお方だから、私は貴女に惚れたのですから。私のためだなんて無理をなさいますな」



「うぅ・・・はい・・・」



 寝屋でそのようなことを仰るなんて、弥平次さまはずるい・・・



 弥平次さまのお心遣いは、本当にありがたかったし嬉しかった。私は旦那さまにこんなに想われているのかって、感無量で。


 弥平次さまに嫁いで良かったって、そのとき心の底から思えたんだ。



 でも・・・


 正直、納得はいかなかった。



 嫁が外に出たがるのを旦那さまがたしなめるっていうのなら話がわかるのだけれど、旦那さまに「外に出ろ」と怒られるのはどうなのだろう・・・?




 私は嫁いでからも、武家の嫁と津島の商人の二束の草鞋(わらじ)を履くことになって。



 弥平次さまは、商人としての私の『面子』を大事にしてくれた。


 そして、吉乃という女の『生き方』を尊重してくれた。



 その想いには応えたい。


 頑張らなくては。



 そんなことを思って私は目まぐるしい日々を駆けずり回っていた。



 ・・・商人をしているから武家の妻の務めを果たせていない、なんて言われたくなくて。


 ・・・嫁に行った女だから商いの腕が鈍った、だなんて言われたくなくて。



 妻としても商人としても、私はより一層どちらにも精を出して頑張っていたと思う。


 でも、そのような暮らしも半年と続かなかった。





 ・・・子が、出来た・・・



 まさかって思った。こんなに早く身篭るなんて思ってもいなかったから、弥平次さまより誰より私が最も疑ったのを覚えている。


 意外と、私は子が出来やすい身体なのだろうか・・・?



 お腹が大きくなるにつれ、私は生駒屋に出るのを控え安静にするように努めた。せっかく出来た弥平次さまと私の子宝、絶対に流したくなどなかった。


 世継ぎを残すことが、武家の妻の最大の役目だから。



 父には商人として復帰してもらい、店の一切を任せることにした。


 代わりに父が隠居屋敷として使っていた小折の屋敷を私と弥平次さまが貰い受け、そこを正当な『尾張土田家』の家にすることに決めた。元々弥平次さまが織田家から頂戴していた禄を禄換えしてもらい、小折に領地を頂いて。


 土田家は、名実共に尾張の武家になった。



「あぁ、とうとう根無し草が本当に根を生やしてしまった・・・」



 弥平次さまはそんなことをぶつぶつ仰っていたのを覚えている。


 いつも自らのことを「美濃の余所者の根無し草」なんて仰っていながらその実、『根無し草』であることに自ら酔っている節があって。


 禄をもらって世継ぎが出来た以上、いい加減武士らしく腹をくくればいいのに・・・なんて思ったことは内緒だ。



 昨年の冬に入ろうとする前に、ついに私は母になった。


 初めてのお産でとても怖かったけど、意外にも拍子抜けするほど順調に赤子は私のお腹から出てきてくれた(それでもこれでもかというほど痛かったけれど)。


 私に似て丈夫な、女の子だった。五体満足で生まれてきてくれたことが、本当に嬉しくて。



 目元は弥平次さまにそっくりで、とても可愛らしかった。


 弥平次さまに似た、聡明な子に育ってほしい。私に似て男勝りの『巴御前』になっちゃったら、少し嫌だなぁ・・・育て方、気をつけよう。



 生まれてきた赤子は、弥平次さまに『類』と名付けられた。



「お類、ですか・・・?」



「ええ、私達の子の名は『お類』。どうでしょうか?」



「悪くはないと思いますけど・・・どういった意味があって?」



「『類』という字は、『米』と『貝』と『大』から成ります。米は年貢・・・つまり武士。貝は銭・・・つまり商人。武士と商人から生まれた子が、大きく育ちますようにと・・・そういう願いを込めたのですが、駄目でしょうか・・・?」



「武士と商人の子・・・お類・・・良いです!! とても良い名です!!」



 その意味を教えてもらって、私はすぐさまその名を気に入って。



 類・・・お類・・・



 私の、子・・・



 弥平次さまの、子・・・




 私たちの、子・・・




 とても、とても、愛らしかった。



 自らが産んだ子への気持ちとは、こういうものなんだと私は初めて知った。



 育てなければ。守らなければ。私が、この子を。



 弥平次さまの子として、立派な女子に育て上げてやる。





 そう決意したとき、私も少しは武家の嫁っぽくなったのかなと、不意に誇らしく思えたんだ。



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