三十三話 『弥平次ノ焦燥』 一五五四年・土田弥平次
殿から縁談の下知を告げられた後、私は津島へ馬を走らせていた。
残された庶務も放り出し、一心不乱に馬を飛ばした。猛暑の中、照り付ける日に射されながら。流れる汗を拭う余裕もないくらい、私は気が動転していた。
・・・いても立ってもいられなかった。
これといって、私に道筋がある訳でもない。この縁談を成就させるべきか破談にするべきか、その判断すら全くつかない。
ただ、納得が出来なかった。どうしても吉乃殿に直に会い、その真意を確かめたかった。
・・・本当に、それでいいのですか。と。
津島の町に着くやいなや、私は急いで生駒屋の暖簾を潜った。
慌てて店内に入ってくる私に、店の者はみな目を丸くして何事かと私に視線を向ける。
「っ・・・土田様!?」
生駒屋の主、家宗殿が私の顔を見るなり慌ててこちらに駆け寄ってくる。
何の前触れもなく急に来訪してきた私に、家宗殿は心底驚いているようだった。
「如何しましたか土田様っ!?」
「っ、・・・吉乃、殿は・・・いらっしゃいますか・・・!?」
ぜえぜえと息を切らしたまま、家宗殿に問いかける。
急な来訪に申し訳ないとは思ったが、そこまで気を回せるような余裕を今の私は持ち合わせていなかった。
「吉乃にお会いにいらしたのですか? ちょうど外回りの商いに出ておりまして、只今は不在なのですが・・・」
なっ、不在・・・
「どちらに、いらっしゃるのですか・・・!?」
「小牧山の近くの集落でございます。百姓が作った草鞋を津島まで運んで商いをしたいという話がありまして・・・近頃はこういった新しいお得意様もたくさん増えまして。全く、楽市さまさまですな」
「吉乃殿はいつ戻られますか?」
「日が傾く頃には、帰ってくるとは思いますが・・・」
小牧か・・・今から馬を走らせれば、間に合うか・・・
「そうですか・・・わかりました。かたじけないです、家宗殿」
「いえいえ。それにしても、縁談が決まってすぐに娘に会いに来てくださるとは・・・娘は本当に望まれて嫁ぐようで。親として、これ以上に誇らしいことはありません」
家宗殿は、心底嬉しそうな顔をしてそう言った。
「ご存知の通りの跳ねっかえりで、この年まで縁談のひとつも来ず、どうなることかといつも冷や冷やしておったのですよ。それを、土田様のような立派なお武家様にもろうていただけるとは、まこと身に余る光栄です」
「はぁ、そうですか・・・」
「本当、めでたい話でございます!!」
間の抜けた返事を返しながら、私は笑顔で話す家宗殿の世話話を冷めた心持ちで聞いていた。
・・・一体、何がめでたいというのだろう。
自らの娘が、武家に嫁がされるというのに。
好いた男の側にも寄れず、私のようなうだつの上がらない根無し草に嫁ぐのだ。
これは、政略結婚。
吉乃殿は、織田の政の道具にされるのだ。
武家に生まれた女子なら、まだその宿命も甘んじられるかもしれない。
だが吉乃殿は商人で、自らの器量と商いの腕で自立出来るお方で・・・
私に嫁ぐことは、吉乃殿にとっての幸なのか・・・?
それが、吉乃殿にとってめでたいことなのか・・・?
その疑念を、私は今だ拭えずにいる。
「どうか、ふつつかな娘ですかよろしくお願い致します」
そう言って家宗殿は深々と頭を下げる。
その姿に、私は胸が苦しくなる思いを感じずにはいられなかった。
生駒屋を後にした私は、小牧に向けてあぜ道を一直線に駆け抜ける。
日が少しずつ傾いていく中、どうも気ばかりが焦ってしまう。吉乃殿と入れ違いになっていないか、それがとても心配だった。
もし、吉乃殿にお会いすること出来なければ・・・
このまま、ただ縁談だけが進んでしまえば・・・
私はきっと、どうしようもなく後悔してしまうだろう。
私自身でも、どうしたいかなど全くわからない。
どうしようもないことだと、理解しているはずで。
殿の主命に、叛けるはずもない訳で。
それでも何もせずにはいられなかった。
私が何をしても、何も変わらないとしても。
吉乃殿には、笑みを浮かべていてほしい。
好いた女子に、笑っていてほしい。
それぐらい、願ってはいけないのだろうか・・・
「っ・・・!!」
前から、馬が一頭歩きながらこちらに向かってくるのが見えた。
乗っているのは吉乃殿だと、瞬時にわかった。
お互いに馬を止める。
このような田舎に私がいるなど吉乃殿は全く思っていなかったようで、心底驚いた表情で私の顔を見ている。
「弥平次殿・・・っ!? どうしてこのような所に・・・?」
「・・・貴女に、会いに来ました。吉乃殿」
私は、真剣な表情で馬上から吉乃殿を見つめる。
「お話が、あります」




