三十二話 『縁談ノ知らせ』 一五五四年・土田弥平次
津島天王祭も終わり、一月が過ぎた。
祭りの余韻に浸りながら、織田家臣団のみなは城勤めに今日も精を出している。射すように眩しい夏の日の下で、母衣衆の若い者たちは額に汗を浮かべて槍の鍛錬を行い、私のような算盤武者は普段と変わらず帳面を睨みつけ。
あの祭りの喧騒はどこへやら。なにひとつ変わらないそれぞれの日々がまた何日も、何日も、通り過ぎていく。
天王川を天の川に見立てた、夢のような夜はもう明けてしまった。また誰しも、地に足をつけてこの浮世で働いていかなければいけない日々に戻る。
お天道様が強く照りつける、この尾張の地で。
今年の暑さに、尾張の稲はぐんぐん伸びているそうだ。この調子なら、今年は珍しく豊作かもしれないと顔見知りの庄屋が申していた。
その分、雑草の伸びも早いらしく草むしりが大変だとも。
この暑さが和らげば、いよいよ稲を刈る時期だ。私たち武家の者は、年貢を集める手配に嫌になるほど忙しくなる。
そんな、大仕事の前の穏やかな時期に私は殿に評定の間に呼び出され。
殿が申された言葉に、耳を疑った。
「殿・・・今、何と?」
「何度も言わせるな。お前に、嫁を娶らせる」
上座にいらっしゃる殿は、苛立ちを見せながら頬杖をついてそのように仰った。
殿の隣には、帰蝶様も同席されていた。何も仰らず、ただ笑みを浮かべたまま私の顔をまじまじと見つめていらして。
何が何かもわからないまま、私はただただ間抜け面をお二人に晒してしまっていた。
・・・私が、嫁を娶る?
美濃者の、私が・・・?
「・・・何だ、不服でもあるのか」
「いやっ、滅相もありません!! しかし、美濃者の私が・・・尾張の武家の出でもない私が嫁を娶るなどよろしいのでしょうか・・・佐渡守様や、譜代のお歴々が良い顔をしないのでは・・・」
嫁を娶ることは、尾張に土田の家を立てることだ。
ただでさえ新参で余所者の私が家を立てるなど、古参のお歴々が黙っているはずがない。
そう思い、私は今まで嫁を娶るのは避けてきたのだが。
「そのようなこと、知ったことか。これは『主命』だ、断ることは許さん」
殿は私の言葉を遮り、切り捨てる。
宮仕えである以上、主君から『主命』だと告げられてしまえば私はそれに異を唱えることは出来やしない。どのようなことでも、甘んじて受け入れるしかない。
「承知、致しました」
突如嫁を娶るなどと言われ全く実感も湧かないまま、告げられた通り私は殿の下知を受け入れる。
・・・とうとう、私が嫁取りか。
何だか、変な心地だ。
「これで年貢の納め時だのぅ、弥平次。全く、美濃にいた頃からいつまでも独り身でふらふらしよってからに・・・いい年なのだから、自らの家くらいちゃんと立てよ」
姫様が、にやにやと笑いながらそんな嫌味を言う。
帰蝶様とは美濃からの長い付き合いとはいえ、その物言いは内心少し鼻についた。だがさすがに主家の北の方様に怒る訳にもいかず。
「要らぬ心配をさせておりました。申し訳もございませぬ」
「なかなか嫁を娶らぬお主に信長殿もかなり気を揉まれておったぞ。お主の将来のことを案じられてな」
「・・・勝手なことを申すな、濃。俺がいつこやつのことを案じた」
「ふふっ、天邪鬼ですのぅ信長殿は」
殿が不機嫌そうに睨みつけても姫様は意も介せず、可笑しそうに笑みを零した。
その様に、以前のような殿との仲に気を揉んでいるような様子は感じない。あの祭りの一件で、何か吹っ切れるようなものがあったようで。
姫様は普段から、笑みを浮かべられることが多くなった。
それも全て、あのお方が尽力したお陰で・・・
「・・・して、御伺いしてもよろしいでしょうか。私が嫁に迎える方というのは・・・?」
「やはり、気になるか弥平次。妾も聞いて驚いたが、とても良い縁談話だと思うぞ」
姫様は嬉しそうにそう仰る。
帰蝶様はもう、私の嫁になる方を聞いているのか・・・?
ということは、姫様が存じ上げているお方・・・?
私のような根無し草に嫁ぎたいなどと、私がいうのもなんだが相当変わっている。
一体、どのような女子なのだろうか・・・?
そんなことを思ったとき、殿の口から思いもしない名を私は聞かされた。
「お前が娶るのは津島の商人、生駒家宗の娘だ」
えっ、はぁ・・・!?
私はもう一度、耳を疑った。
殿が何を仰っているか理解も出来ず、頭も身体も凍り付いたように働かない。
聞き間違いではないのか・・・?
そうであってほしかった。
それほど、信じられなかった。信じたくなどなかった。
津島の生駒家宗殿の娘ということは・・・そのお方は・・・
「・・・どうだ、驚いたであろう弥平次? お主の縁談相手は、吉乃じゃ」
帰蝶様は悪戯をした童のような笑みを浮かべて、吉乃殿の名を私に告げる。
・・・どおりで、私の縁談話を姫様が楽しそうに話していらっしゃる訳だ。
吉乃殿は、姫様の御親友なのだから。
しかし、当事者である私は笑みを浮かべる余裕など全く持っていなかった。
予期せぬことにただただ驚き、唖然となってしまい。回らない頭でなんとか必死に事情を掴もうと試みる。
吉乃殿が、私と縁談・・・
私が、吉乃殿を嫁に娶る・・・
まことのこと、なのか・・・?
「吉乃殿を、嫁に・・・?」
自らの口で呟いてみて、その現実感のない言葉に私はただただ戸惑ってしまう。
「殿、その・・・まことの、お話なのでしょうか・・・?」
「まことだ」
「吉乃殿が、縁談を了承したのでしょうか・・・」
「無論だ。縁談がまとまったからお前に話をしている」
吉乃殿が、私の嫁になると申した・・・?
まことに・・・? あの、吉乃殿が・・・?
どうして、何ゆえ・・・?
とても、信じることが出来なかった。
吉乃殿は、殿のことを好いておったのではなかったのか・・・
「まことに、まことに吉乃殿が私の嫁になると申したのですか・・・!?」
「・・・っ、くどいぞ弥平次っ!!」
受け入れがたく、信じがたく、同じことを何度も、何度も、殿に問いかけてしまう。
私があまりにもくどく聞き返すものだから、さすがに殿の癇に障り大きな怒声で一喝された。
「何が気に喰わぬのかは知らぬが武家の婚姻が何なのか、知らぬとは言わせん」
殿は有無を言わせず、一言で私の問いを切り捨てる。
・・・わかっている。
わかりすぎるほど、わかっている。
私は曲がりなりにも、武家の生まれなのだから。ましてや、帰蝶様の御輿入れに従って尾張に渡った身だ。
この縁談は単に私が嫁を貰うだけの話ではない。
織田家の、殿の政なのだと。
殿直々の側近である私が津島の筆頭商人である吉乃殿と夫婦になれば、織田家は津島の町と太い繋がりを持つことになる。
確かに今も津島とのやり取りはあるがそれは生駒屋と直々に交わした商いであって、生駒屋が織田家の御用商人であるからだ。津島は今も、商人が主導する『商人の町』であることに変わりない。
吉乃殿が私の下に嫁ぎ土田の家の者になれば・・・つまり間接的に織田家中に属するような形になれば、織田家は津島の銭の流れにさらに深く関わることができるようになる。
吉乃殿が津島の筆頭商人なのだから、言い換えれば津島の町が織田家に属したとも言いようによっては言えるはずだ。
それは、織田信長という国主がさらに力を増していく大きな一手になる。
津島の町にとっても、生駒屋にとっても、この縁談で織田家との繋がりを太くすることはとても利のあることだろう。商いとして考えるなら、断る余地などどこにもない。
吉乃殿は、生駒屋を背負う立場の方なのだから。津島を背負う立場の方なのだから。
話が持ち上がった時点で、受けざるを得なくなってしまう。
端から事は、私達の裁量で好き嫌いが言えるところになどないのだ。
わかっている。
わかっているが・・・
・・・吉乃殿の、お心はどうなる・・・?
殿に、好いた男に別の男の下へ嫁ぐよう言われた吉乃殿のお心は・・・
これほど酷な話は、ないではないか・・・
「ですが、殿・・・っ!!」
思わず口を開きかけて、私は言葉に詰まってしまう。
言えるはずがない・・・
帰蝶様の、前で。殿に直々に。
「吉乃殿は殿のことを好いております」などど、「ですから、この縁談は断ります」と、そのようなことを言えるはずがない・・・
「何度も言わせるな。これは『主命』だ」
殿の、冷え冷えとした声が評定の間に響く。
その声には苛立ちが混じり、鋭い目つきで私を睨みつけていた。
「っ!! ・・・っ、御意・・・・・・」
私は、ただ平伏することしか出来なかった。
主君の主命に、背くことは死んでも出来ない。
武家に生まれた身では、その生き方を強いられる。
それが、好いた女子を不幸にするとわかっていようとも。
・・・主君と吉乃殿を秤にかけ、私は主を選んだのだ。
この時ほど、武士であることが歯がゆいと思ったことはきっとない。




