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三十一話 『恋路ノ行方』 一五五四年・土田弥平次



 吉乃殿は渡された懐紙に筆を取ると、それを綺麗に折りたたんで灯籠の中にそっと投げ入れた。



 一体、誰の名を書いたのだろうか・・・



 知りたい。



 いや、知るのは正直恐ろしい・・・



 何とも言葉にしがたい苦い想いを感じながら、私は吉乃殿の姿から目を離せなかった。


 そのまま手を合わせる訳でもなく、ただじっと灯籠の火をぼんやりと眺めていらして。


 その顔が、灯籠の明かりに照らされて朱色に染まっている。薄暗くて、吉乃殿が今どのようなお顔をされているのか、私には伺い知れない。




 勘付いてしまった、吉乃殿の御心。


 そこに、私など微塵もいないことを。




 吉乃殿は、殿のことを好いている・・・




 それは、私にとって深い深い絶望でしかなかった。


 殿の家臣である私が、主君に思いを寄せる女子を横から掠め取ることなど、出来るはずもない。そのような度胸もないことぐらい、よく存じている。


 それより。なにより。



 私が好意を伝えたところで、吉乃殿は困ってしまうだけだ。



 そんな意に添わない思いをあの人にさせるのは、心苦しいと思ってしまった。



 私の好意は、吉乃殿にとって悪害でしかない。



 この恋慕は、伝えない方がいい。


 この恋路は、実らない方がいい。



 その道理は、私もわかっている。



 わかっている。のに。




 どうして、吉乃殿から目を離せずにいるのだろう・・・?




 自らの心が自らの思い通りにならないことに、私は酷く戸惑ってしまう。


 自覚してしまったものは、容易く覆すことなど出来はしないようで。



「私は、吉乃殿に・・・」



 焦がれてしまう。



 変えようもないその事実を、きっと私は受け入れるしかない。



「弥平次、次はそなたの番だ」



 不意に、与兵衛殿が私に声をかけられた。


 笑みを浮かべながら、与兵衛殿は私に懐紙と筆を差し出す。



「え・・・あっ、私は・・・」



 言われるがまま、私はつい紙と筆を受け取ってしまう。


 そのまま背中を押され。


 くべるつもりもなかった灯籠の前へと、私は立ってしまっていた。



「これは、また・・・」



 思わず、私は呟く。


 吉乃殿が用意した竹灯籠は、とても精巧で素晴らしいものだと思った。


 ここまで豪奢(ごうしゃ)な灯籠なら、きっとスサノオノミコトも喜んでくださるだろう。みなの願いを、尾張中の願いを聞き入れてくださるだろう。



 ・・・けれど、私は美濃者の根無し草だ。



 ・・・だからきっと、御祭神はお目こぼしくださる。




 叶わずともいい。



 不毛な恋路だとは、わかっている。



 縁を結ぶことなど、出来ないとわかっている。



 だから、せめて。



 願うことだけは。



 この想いに、添うことだけは。





 ・・・御祭神、どうか、今だけお赦しを。





 意を決して、私は


 『生駒吉乃』と、名を書いた。









「では、灯籠を流すことにする!!」


 みなが願いをくべたところを見計らって、与兵衛殿はそう申した。


 力に覚えのある者が手伝って、灯籠は用意されていた専用の小舟に乗せられる。火をくべたまま、小舟が安定していることを確認すると小舟はゆっくりと巻藁舟が流れる天王川に流された。


 灯籠の火と、巻藁舟の灯りが真っ暗な天王川にぽつんぽつんと揺らめいていた。それが数十、数百に及ぶものだからとても美しく、まるで天に浮かぶ天の川のようだと私は思った。


 とても優美で、この世のものとは思えない。きっと、三途の川の旅路はこのように綺麗なものなのかもしれない。そんなことを、思っていた。



 少しずつ、灯籠が遠くなっていく。その様子を、みな神妙な顔つきで見守っていた。



 どうか灯籠が、無事スサノオノミコトの下に届きますように。


 どうか、お焚き上げを願いが叶いますように。


 そのように祈りながら灯籠を見守る群衆の中で一人、私だけ、「どうか叶わないでくれ」と祈らずにいられなかった。



 私の恋は、ここで潰える。


 吉乃殿の、妨げになっていはいけないのだから。



 それが、きっと良い。



 遠くなり、小さくなり、やがて見えなくなってしまう灯籠に、自らの恋路を重ねながら。


 決して届いてはいけない想いを抱えながら。




 祭りの夜は、終わっていった。


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