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三十話 『縁結びノ名』 一五五四年・吉乃


 

 夏の影法師は、誰が決めたかずっと、ずっと、伸びていく。


 祭りに沸き立つ尾張の空が赤く色づきやがて薄墨色が混ざるころ、楽しい喧騒も少しずつ落ち着きを見せて。



 日が暮れると、高揚した余韻だけを残しながらぽつりぽつりと神社の篝火(かがりび)に灯が燈る。



 もう、天王祭はお終いだ。



 完全に日が落ちたときを見計らって、最後の出し物が始まる。



「・・・いよいよ、宵宮かぁ」



 緊張しながら、私は一人そんなことを呟いていた。



 神社の側を流れる天王川の河川敷に、見物客はみな集まっている。


 今から始まる、宵宮の神事。灯を燈した数多の巻藁舟が目の前の天王川を、下っていく。まるで天の川にいるような、そんな幽玄で優美な光景を見ることが出来る。


 津島天王祭の一番の見所。


 そんな宵宮目当ての見物客で、河川敷はごった返している。


 いつの間にか、殿様とも帰蝶さまともはぐれてしまい。弥平次殿と与兵衛殿も宵宮の準備があるからと行ってしまい。


 私は人ごみの中一人きり、ぼんやりと真っ暗な水面を眺めていた。



「・・・あぁ、終わるのかぁ・・・」



 寂寞感を、急に感じてしまう。



 宵宮が終われば、巻藁舟が全て流れていけば、天王祭はお終いだ。


 騒がしくて楽しい祭りも、目まぐるしいほど忙しかった準備のときも、全部終わる。


 また翌日から、いつもの変わらぬ日常に戻ってしまう。



 ・・・それが何故か、とても寂しい。



 祭りの準備を始める前は、あんなに億劫だったのに。


 楽しそうに祭りのことを話す殿様に、あんなに呆れていたのに。



 気がつけば、誰よりも準備を頑張ってしまった。


 誰よりも祭りを楽しんでしまった。



 すっかり、殿様に飲まれてしまっているな・・・と、そんなことを思いながら私は一人苦笑いを浮かべて。


 巻藁舟が来るのを、今か今かと待っていた。



「・・・おっ、来たぞ!!」



 不意に、誰かが声を上げる。


 ざわつく群集の中、私も思わず川の上流に目を向ける。



 小さな灯りが、うっすらと見えて。


 それがひとつ、またひとつと増えていって。


 灯りの大群がゆっくりと、でも確かにこちらに近づいてくるのが見える。



「っ、綺麗・・・」



 暗闇の中を悠然と流れる巻藁舟の船団は、本当に、本当に美しかった。



「竹灯籠の、御到着っ!!」



 突然、与兵衛殿の声が高らかに鳴り響く。


 その声のする方へみなが目を向けると、そこにはとても大きな竹細工の灯籠があって。うちの店の者たちが、荷台に乗せてこちらまで運んできていた。


 その竹灯籠の精巧さに、みなが息を呑む。



 私はすでに完成していたものを検分していたから知っているけれど、みなが驚いている顔を見るのは内心少し誇らしい。


 津島の職人に特注で作ってもらった竹灯籠。二間一寸(3メートル)の巨大な灯籠だ。スサノオノミコトの伝説にならって酒樽と蛇の彫り物を飾って、灯籠の中は種火が燃え移らないよう薄く延ばした鉄板が貼り付けてある。


 スサノオノミコトに奉るのに相応しい、津島の町自慢の一品だ。当然、莫大な銭がこの竹灯籠にかかってたりする。



「ただ今より、縁結びの祈願を行う!!」



 与兵衛殿の宣言により、縁結びの祭事が河川敷で始まる。


 熱田神宮からお迎えした宮司さまに祭事を執り行ってもらい、その隣で灯籠の種火に火をつける。この祈願がきちんと高天原に届くよう、見物客みなで手を合わせながら。


 そうして、縁結びの祈願は準備が進んでいく。



「ではこれより、祈願の儀に入る!! まずは尾張国主、弾正忠織田信長様より!!」



 与兵衛殿に名を呼ばれ、人ごみの中から殿様と帰蝶さまが現れる。


 神社の境内には着替えるような場所がないので、お二人とも仮装踊りの衣装のままだ。天女の舞いで先ほど祭りを湧かせた殿様と、とてもお綺麗な町娘姿の帰蝶さま。かがり火だけが揺らめく薄暗い夜の中でも、お二人の姿はとても華やかで。


 美しい奥方を連れて登場した国主さまに、群集から歓声が上がる。


 帰蝶さまは殿様に寄り添いながら、下々の群集に手を振っていた。その表情は、とても幸せそうで。



 ・・・良かった。



 帰蝶さまのお顔を見ればわかる。私の策は、功を奏したのだと。


 帰蝶さまの期待に、応えることが出来た。


 お二人の仲を、取りもつことが出来た。



 それがわかって、私もほっとする。友として、とても嬉しい。


 帰蝶さまが笑っていて、本当に嬉しい。




 一番初めに灯籠に祈願を書いた懐紙をくべるよう、殿様は与兵衛殿に促される。


 紙に書く字はもうすでに決めていたようで、灯籠の側に準備していた紙と筆を受け取ると殿様は迷うことなくさらさらと筆を走らせた。


 そしてさっと書き終えると、自信満々にその紙を群集に見せ付ける。




  『天下』




 殿様の書いた紙には、力強い字でそう書かれていた。



 その紙を見せられて、みなが一瞬にしてその場が湧き上がる。


 自らの国の国主さまが、縁結びに『天下』の字を書くことに興奮せざるを得なくて。


 天下取りは、武家に生まれた者ならば最も大きな憧れだ。


 お侍じゃない私たちでも、その言葉には少し惹かれるものがある。


 尾張は京からも離れた小国で、天下取りなんて夢物語だとはみな思っているけれど・・・



 例え、それが単なる意気込みだけなのだとしても。



 私たちの国主さまが神前で天下取りを表明することには、やっぱり誰しも興奮してしまう。



 どこからが(とき)の声が上がる。


 その声を聞いて満足そうな顔をしてから、殿様は『天下』と書いた紙を灯籠の中へ放り投げた。



 『天下』と縁結びを祈願するなんて、なんて殿様は豪気な国主さまなんだろう。



 ・・・でも、なんだか、殿様らしい。



 私は思わず笑みを浮かべてしまう。




 殿様の祈願を皮切りに、次々と竹灯籠には願いがくべられていった。


 見物客はみな列をなして、用意された紙と筆を使って願い事を書いていく。



 妻子や友や、親の名を。大事な者の名を、好いた人の名を。


 誰もが、想いを込めて筆を動かしていく。



 帰蝶さまは、懐紙をくべると密かに殿様の顔を見て顔を赤らめていた。前から申された通り、殿様の名を書いたようで。恥ずかしそうに殿様の顔をちらちらと伺っている帰蝶さまは、傍から見てとても可愛らしかった。



 他の面々も、次々と灯籠に紙をくべていく。


 犬千代殿は、年若い女子と楽しそうに笑いながら紙に名前を書いていた。前に誰かから聞いたことがある。犬千代殿には童のように若い許婚がいると。あの女子が、その『まつ』殿かな・・・?


 内蔵助殿は、殿様に倣って『手柄』と紙に書くと周りに見せびらかせながら灯籠に投げ込でいる。


 小六は「当然、(かかあ)の名よぉ!!」酒を豪快に煽りながら笑ってそう言っていた。


 将右衛門は・・・誰の名を書いたのだろう?



 誰もがみな、願い事が神様の下へ届くよう一生懸命祈りながら懐紙を灯籠にくべていく。


 その顔はどれも優しい顔をしている。ただ純粋に願いが成就してほしいと、そんな感情で誰もが満たされているようで。


 今が戦ばかりの乱世だなんて思えないほど、穏やかな時が確かにこの場に流れている。



 ・・・好きだな、こういう感じ。平穏で、とても心地いい。



 名を書く列に並びながらそんなことを思っていると、私の番が訪れる。



「次は貴女です、吉乃殿」



 与兵衛殿は優しく微笑んで、私に懐紙と筆を渡してくれる。



「・・・あっ、はい」



 ぼっとしていた私は慌てながら筆を受け取ると、たっぷり墨を付けて懐紙と向き合う。



 ・・・縁結びの、名。




 私が縁を結びたい人。



 大事な人。



 側にいてほしい人。



 離したくない人。





 ・・・私の、好いた人。




 私は、瞼を閉じる。



 その顔をきちんと思い浮かべる。


 何度も何度も、頭の中で自らの心情を噛み締めて。


 本当にその人なのか、しっかりと心の中で吟味して。



 私は、商人になるために女を捨てたようなものだ。


 男勝りだし、年季も過ぎているし、嫁にもらったって誰もが扱いに困るような女だ。



 それでも、そんな私でも恋をしていいのなら。



 誰かを好いていいのなら。




 私は意を決して、目を開ける。




 ・・・きっと、私が好いているのはあの人だ。




 自らの心が思うまま、私はその名を懐紙に書いた。


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