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二話 『織田ノ殿様』 一五五三年・吉乃



「・・・五郎左、この店はなんだ」



「生駒屋という、馬借の店でございます」



 『五郎左』と呼ばれた童顔のお侍に、信長が低い声で問いかける。その声すら鋭くて、何気ない言葉のはずなのに思わず緊張で胸が縮む。


 けれど、臆してはいけない・・・


 私が、私が店の者を守らなければ・・・



「この店の主は誰だ」



「・・・私が、この店の主です」



 勇気を振り絞って、私は名乗り出た。少しでも臆すると足の震えが止まらなくなりそうで、目いっぱいの虚勢で胸を張った。



「・・・店主が女ぁ? 殿を愚弄するつもりか!!」



 信長の家来の一人、つり目の侍が声を荒げる。


 私は驚いて(すく)んでしまうと、五郎左殿が「内蔵助(くらのすけ)、落ち着きなさい」とすぐに諌める。


 どうやら、五郎左殿は織田家中のまとめ役みたいだ。



「まことのことです。生駒屋の主、生駒家宗の娘、吉乃と申します。隠居した父に代わって、この店の切り盛りを任されております」



「お嬢の言っていることは正しいぜ。この店はお嬢が回しているんだよ」



 小六が私の言葉を後押ししてくれている。それに続いて生駒屋のみなや川並衆のみながうんうんと頷いて、それを見た内蔵助殿はしぶしぶだけれども納得してくれる。



「急なご来訪、お迎えの準備が出来ずまことに申し訳ございません。織田のお殿様自ら、一体どのような御用向きでございますか?」



「先ほども申した通り、殿自らのお改めです。織田に仇なした商人が、この津島に逃げ込んだとの報が入ったのです」



 織田に仇なした・・・!?


 信長の殿様の代わりに説明してくれる五郎左殿の口から、物騒な言葉が飛び出す。



「織田に仇なしたというのは、どのような・・・」



「我らが織田の城に入るはずだった弓矢兵糧の一部が、運搬の際に横流しされ山口教吉の鳴海城に運び込まれておりました」



 鳴海城に、横流し・・・!?


 南尾張の鳴海城を居城とする山口教吉のことは、私も知っている。元々は織田の家来だったのに、信長公の家督相続の際に織田家を離反して今川に寝返った裏切り者だ。


 織田家の荷をよりにもよって鳴海城に横流しするなんて、織田に対する重大な敵対行為だ。その犯人が見つかれば、商人といっても粛清は避けられない・・・



 いや、それよりも。


 なによりも。



「そんな・・・酷い話です・・・」



 酷い話だって、思った。


 そのような商人が津島にいるなんて、信じられなかった。



 商いは、信用が命だ。売り手も買い手も、双方がお互いに信用していなければ商いなんて成り立たない。私たちは人を信じて、信じてもらって、そうやってこの津島の町で生きているんだ・・・


 なのに、客の荷を横流しするなんて・・・そんな奴、商人なんかじゃない。


 お侍だけじゃない、商人にだって商人の忠義がある。



「私たちは、何も存じ上げません。そのような義理の欠いた商人も、私たちに心当たりはありません」



 私は胸を張って、そう言い切った。


 どうしても、この津島にそんな商人がいるなんて思えなかった。馬借として様々な店の旦那衆と関わりを持ってきたし、そうした旦那衆をみな信用して、信用されて、今まで商いを続けてきたんだ。


 だから私は肌で感じている。みな、お客のことを第一に考える立派な商人だって。



 ここは、商人の町だ。


 お殿様といえども、商人の矜持(きょうじ)を疑われて黙っていられない。


 生駒屋の娘として、商人として、この町に深い情愛を抱いているから。



 だから、私は問い返す。



「そのような不義理な商人、この津島にはいないと思います。織田のお殿様の、思い違いではないのですか」



「なっっ!!」



 私の一言に、店内の誰もが驚いて動けなかった。


 織田家のお侍も、生駒屋の者も、信長も。当の私もどうしてそんなことを口にしてしまったのか、瞬時にはわからなかった。


 でも、それが正しいことだと思ったから。



「っ、女っ!! 貴様なんと言ったっ!!」



 内蔵助殿が激昂して、刀に手をかける。それを見た小六や将右衛門が刀に手をかけるけど、私は慌てて二人を静止させる。こんなところで、斬り合いなんてさせたくない。



「・・・待て、内蔵助(くらのすけ)



 短く、織田信長が言った。


 その声は重くて、低くて、聞き取りにくい声だったはずなのに信長の声は驚くほど店内に響いて。私も、生駒屋の手代たちも川並衆の無頼たちも、信長って男の気迫に飲まれていた。


 信長はそれから何も口にせず、ただじっと私の顔を見つめていた。


 私も、負けじと信長に睨み返す。目を離したらその気迫に飲み込まれそうで、それが怖かった。


 睨みつける信長の肌は、作り物のように白くて。


 家来のお侍はみな日に焼けた肌と盛り上がった腕と足の筋肉、いかにも屈強そうで男らしい、武士らしい身なりの男ばかり(まぁ、屈強そうというと小六ら川並衆の無頼たちだって負けてはいないのだけれど)。


 けど、信長だけは違う。肌も白くて、何より・・・



 思いのほか、凛々しい顔つきしてるんだな・・・



 鼻筋が綺麗に通って、どこか女のような面構えをしている。身体はそれなりに引き締まっていて男らしいから、その差が少し異常に見える。なんというか・・・あまり武士らしくない。


 談話物に出てくる、京の公卿みたいだなって思った。



「・・・女」



 また短い言葉で、信長は私をそう呼んだ。



「・・・なんで、ございましょう?」



 失礼な呼び方だと思ったけど、ぐっと堪えて返事をする。



「・・・ぬしは、俺に仇なす商人など津島にいないと申したな?」



「はい」



「ならば、その言葉を呑むことは許さぬ」



 表情を一つも変えず、信長は続けて言う。



(くだん)の商人が津島で見つかれば、この店を焼く」



「店を、焼く・・・!?」



 予期しなかった言葉に、私は驚いて同じ言葉を繰り返すことしか出来なかった。


 けれど信長は当然とでもいうように、何ともない顔でそんなことを言ってのける。


 私がここで『そんな商人などいない!!』と豪語したということは、生駒屋がその商人を匿ったということ。だから、同罪なのだと。



「自ら吐いた言葉の(とが)は、自ら受けよ」



 「この店はもういい。行くぞ」信長は最後にそう冷たく言い捨てる。


 私は信長の言葉を聞きながら、その理不尽が腹立たしくて仕方がなかった。



 ・・・生駒屋が、焼かれる?


 ・・・父が大きくした、この生駒屋が?


 ・・・みなで力を合わせ守ってきた、この店が?



 信長の、理不尽な咎によって、生駒屋が焼かれてしまう・・・


 みなが、路頭に迷う・・・



 この津島は商人の町なのに・・・


 武士の、身勝手な横暴によって店が潰される・・・



 そんなこと・・・一寸も認められないっ!!



「待って、ください・・・」



 気づけば私は、立ち去ろうとする信長を呼び止めていた。


 頭で考えるよりも先に、口が勝手に開いてしまって。


 あぁ、これはもう止められない。自分でそう思ってしまっていた。


 例えそれが、お武家さま相手だったとしても。それが、尾張のお殿様だったとしても。


 腹立たしくて、腹立たしくて、どうしても言わずにはいられなかった。




「・・・お侍が、そんなに偉いのですか」と。


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