二十八話 『吉乃ノ心』 一五五四年・吉乃
見物客がみな、息をするのも忘れて見惚れてしまうほど
女の私でも言葉が出ないほど
殿様は、
織田信長さまは、
とても、とても、美しかった。
あぁ、本当に。織田信長は不思議な人だ。
冷酷なのに、優しくて。
無愛想なのに、情が深くて。
無骨な人なのに、とても繊細で。
だからみな、殿様の人柄に惹かれてしまう。
国主として、織田信長を担ぎたくなる。
織田信長さまが尾張の国主さまで、良かったと心の底から思う。
商人も百姓もお武家さまも。
みな、これからも殿様の下で頑張ろうって気合が入るんだ。
私はそんなことを考えながら、ぼんやりと殿様の舞いを眺めていたら。
ふと、殿様と目が合った。
あまりに殿様が綺麗だから、何だか目を合わせちゃいけないような気がして思わず胸が高鳴る。
殿様は一通り舞い終えると、こちらへと近づいてきて
「濃」
と舞台の上から短く声をかけた。
「楽しんでおるか」
「はい、信長殿。とても、素晴らしい舞いでございました」
互いに互いの顔をしっかりと見て、お二人は短く言葉を交わした。
殿様の問いに、可愛らしく答える帰蝶さまは町娘の格好に少し気恥ずかしそうで、でも心底嬉しそうで。
殿様と帰蝶さまが直接お話されているところを、私は初めて見た。
・・・なんだ。
・・・お二人とも、仲が良いではないですか。
二人を側で見ていて、思わず妬いてしまうほどに。
相変わらず殿様は無愛想だけれど、ちゃんと帰蝶さまのことを想っていらっしゃることが良くわかって。
・・・素敵な、夫婦じゃないですか。
「もっと、面白いものを見せてやる」
えっ・・・!?
殿様は帰蝶さまにそう告げると、突然私の腕を掴んで引っ張った。
例え女子のお姿であっても殿様は男でお武家さま。とても強い力で私はなされるがまま引っ張られて、舞台の上へと上げられて。
「っ、殿様・・・!? 一体何を・・・つ!?」
突然のことで、みなの注目が私に集まる。
仮装踊りの舞台の上。
平安装束の男装をした私と、天女の女装をした殿様。私たち二人だけが、舞台の上に立っていて。
大勢の視線が向けられる中、ただただ戸惑う私に殿様はそっと手を差し出す。
「・・・どうか、私と共に舞っていただけないでしょうか『光る君』」
殿様は、確かに私の目を見つめてそう言った。
平安装束を着た私を、源氏物語の主役である『光る君』に見立てて。
とても、とても、優しい声で。
柔らかな笑みで。
「はい。喜んで」
差し出された殿様の手を握り返す。
私も、目一杯の笑みを殿様にお返しする。
笛の音が、また鳴り始める。
身が震えるほど綺麗な音色の中で私と殿様、二人で舞いを舞った。
人前で舞いなんてしたことがなかったからとても恥ずかしくて。
・・・だって、仕方がないじゃない。
幼い頃から商いのことばっかりで、人並みの女子のような教養は全くないのだから。
私の隣で舞う殿様を必死に真似ながら、何とかついていこうとするけれど。
帰蝶さまなら、きっともっと上手く舞うことが出来るかもしれない。
でも、ただの女商人に過ぎない私の舞いは、それはそれはとても無様で。
だって、踊りや舞いなんてしたことがないのだから。
殿様と私。並んでいるとその差はきっと一目瞭然で。
私の下手くそな舞いに、見物客はみな可笑しそうに笑っている。その朗らかな雰囲気が、舞台の上の私まで伝わってくる。
なんだかよくわからないけれど、楽しんでくれているようで。
私も、とっても楽しい気分で。
殿様と、向かう合う。
視線を交わし、笑みを交わし、互いが互いの手を握り舞い合う。
殿様は、平安装束を着た私を源氏物語の『光る君』だと言った。
なら、天女の姿をした殿様は私にとっての何なのだろう・・・?
光る君最愛の『紫の上』?
光る君を転落させた、『朧月夜』?
決して手の届かない、『藤壺の宮』?
・・・・あぁ、そうか。そうなんだ。
目の前で舞う殿様を、天女を眺めながら私はやっとそのことに気づいたんだ。
私の、求めていたものは。
私の、焦がれていたものは。
私の、縁結びを願う相手は。
私の、心は。
きっと、そうなんだ。




