二十七話 『天王祭ノ天女』 一五五四年・吉乃
仮装踊りの舞台は、大変な人だかりになっていて近づくことも一苦労だった。
舞台の上では、ちょうど内蔵助殿や犬千代殿による『西遊記』なる芝居の真っ最中だった。犬千代殿の長槍による大立ち回りはとても迫力があって、遠くからでも見ていて圧巻だ。次から次へと敵役を倒していくさまに、見物客は大盛り上がりだ。
帰蝶さまをお守りしながらなんとか群集を押しのけて、私たちは殿様を探していく。舞台の前にまで来たところで、弥平次殿と与兵衛殿を見つけた。
人ごみを掻き分けながら私たちが手を振ると、二人とも会釈をして私たちに歩み寄ってくる。
「弥平次殿、与兵衛殿。ご苦労さまです」
「吉乃殿こそご苦労様です。もしかして、そちらの方は・・・」
弥平次殿は、帰蝶さまのお姿を見て目を丸くする。初めて目にする帰蝶さまのお姿に、戸惑っているようで。
帰蝶さまは、恥ずかしそうに不機嫌なお声で
「・・・なんじゃ、その目は弥平次。妾がこんな格好をしては悪いかの?」
「いえ・・・悪くはないのですが・・・殿の御正室ともあろう方が、そのような庶民の娘のような格好は・・・吉乃殿、姫様になんて格好を・・・」
「似合っていらっしゃるでしょう、帰蝶さまは」
「私がお着せしたのです!!」胸を張って答えると、弥平次殿は呆れるように頭を抱える。
「道三様になんて顔向けすればいいのか・・・」
「どうしてそんなことを仰るのですか・・・とても似合っていらっしゃいますよね、与兵衛殿?」
「えぇ、とても愛らしいお姿でございます」
「そ、そうかの・・・そう言われると、妾も少し自信が持てるが・・・」
与兵衛殿は手放しで帰蝶さまを褒めて下さる。さすが母衣衆の年長者だ、与兵衛殿はわかっていらっしゃる。
それに比べると弥平次殿は・・・相変わらず、女心には鈍感なお方だ。
「ほら、弥平次殿も。祭りの日くらいは堅いことは抜きでよろしいではないですか!! 殿方に素直に褒められる方が、女子も嬉しいものなんですよ!!」
私が強引に褒めるよう促すと、弥平次殿は観念したようにため息をつく。弥平次殿との付き合いも長くなってきて、私の推しには敵わないことも弥平次殿はわかっているようで。
前に一度、「吉乃殿と殿は本当、似ておられますな」と呆れ顔で言われたこともある。その時は、殿様と一緒にしないでほしいと少し腹が立った。
私は可愛いものだと思う。殿様の方が数段、性質が悪い。
昔からずっと側に仕えてきた主家の姫様に粋な言葉をかけるのは少し照れくさいのか、たどたどしく帰蝶さまにお褒めの言葉をかける。
「・・・お似合いでございます、姫様」
その言葉は私にとっても何だか誉れ高くて、つい嬉しくなってしまう。
ええ、そうでしょう。私が選んだ着物ですから。
弥平次殿も、与兵衛殿も、殿方からの評判は上々だ。これで、殿様に満を持してお披露目できる。
そう思った瞬間、
「・・・吉乃殿も、お似合いでいらっしゃいます」
・・・・・・はい?
不意に、私も褒められて思わず目を丸くしてしまう。
まさか私にもそんなお声をかけてもらえるなどとは露ほどにも思っていなかったから、驚いてしまって。
「・・・愛らしいお姿だと、思います・・・」
それは与兵衛殿の言葉の使いまわしだとはわかっている。
不器用な弥平次殿の精一杯のお世辞だ。
だって私は平安装束なのだし、第一男装だ。
男勝りな『巴御前』にお似合いだとは散々からかわれたけれど、そんな姿を『愛らしい』だなんて・・・
別に私は・・・
帰蝶さまを褒めてほしいのに・・・
本当に、弥平次殿は女心に鈍感だ。
「えっ・・・あ・・・その・・・ありがとう、ございます・・・」
虚を突かれた形になってしまい、私はまともにお礼を言うことが出来なかった。
弥平次殿は、女を嗜むことをしない朴念仁だと思っていたから。
このようなことを言う方ではないと思っていたから。
なんだか、今日の弥平次殿は少し変だ。
「あぁ、そんなことより!! 大変な盛り上がりですよね仮装踊り!!」
気恥ずかしくて、私は強引に話を変える。
「ええ、みな殿から褒美が貰えると聞いて気合が入っているようで。盛り上がるのはいいのですが、舞台をまとめる身としては何か問題が起こらないかと気が気で仕方ありませんよ」
そう言って弥平次殿はため息をつく。
なんだか、その様がとても弥平次殿らしいなと思った。本人の前で口にするのは失礼だけれど、気苦労が似合う人というか。
気づくと、舞台の上では西遊記の芝居が佳境を迎えていた。胸のすくような大団円に、観客の盛り上がりは最高潮で。
「これにて落着っ!! さぁ向かおうぞっ、天竺へ!!」
三蔵法師扮する五郎左殿が、扇を掲げて高々と天を仰ぐ。
盛大な拍手に舞台が包まれる。誇らしそうな顔で、犬千代殿たち演者が舞台を降りていく。
・・・随分盛り上がった芝居だったぁ。こりゃ、褒美を貰える最有力になるかも。
「それよりも弥兵次、与兵衛。先ほどから信長殿のお姿が見えぬのだが、いらっしゃらぬのか・・・?」
・・・あぁ、そうだ。早く帰蝶さまのお姿を殿様にお見せしないと。
「私どもも殿を探しておったのです。先ほどまではあの特等席で舞台を見物なされていたのですが、いつの間にか消えてしまわれて・・・」
・・・殿様が、消えた?
困り果てた弥平次殿の顔を見て私が首を傾げたとき、
「っ、とざい!! 東西っ!!」
誰かが開演の掛け声が高らかに叫ぶ。迫力ある大鼓の音がどん、どん、と鳴り響いて。
その拍子は、早くなっていく。
何事かと、みなが舞台を注目する。
「・・・あっ・・・・・・」
舞台の上に、一人の女子が立っていた。
桃色の打ち掛けを羽織り、絹の薄い羽衣を被った背の高い女子。
っ、天女みたい・・・
次の演目だろうか。その女子は、とても美しく見えて。
肌は白く、その身のこなしはとても可憐だ。こんなべっぴんな人、津島にいたかなとふと思ったとき。私はそれに気づいた。
・・・え?
もしかして、あの人は・・・
「っ、信長殿・・・!?」
私の隣で帰蝶さまが呆然とした顔で呟く。
舞台の上に佇む天女はようよう良く見ると女子にしては体つきが男っぽくて。その髪は作り物のようで。
その顔は、よく見知ったお人で。
・・・はい?
・・・もしかして、殿様!?
私は目を疑う。でも、殿様だと知るとその人はどう見ても織田信長さま本人で。
何しているのですか・・・殿様?
私も帰蝶さまも、弥平次殿も与兵衛殿もみな、唖然としてしまう。見物客は突然の殿様の登場に誰もが驚いて。
その様子を、天女扮する殿様は面白そうに眺めながらにやりと笑った。
もしかして、殿様自身がこれを披露したいから仮装踊りを催したのでは・・・
・・・やっぱり、変な殿様だ。
でも、殿様らしいというかなんというか・・・
呆れ気味に私は苦笑いを浮かべた。
綺麗な、笛の音が鳴り始める。
舞台の奥から楽師が登場して、ぽんっ、と鼓が叩かれる。その音がなんだかとても可愛らしくて。
殿様は、その音色に合わせて女舞いを踊り始める。
優雅に。
可憐に。
繊細に。
その姿は、まんま女子で。この目で見たことはないけども、天から降りてきた天女にしか見えなくて。
普段から漂う荒々しい男の、武士の風格は微塵も感じさせなくて。
端整な顔つきだから?
お武家さまにしては肌がとても白いから?
私の男装とは全く違う。
化粧をしているとはいえ、ここまで女装で綺麗になるの・・・?
見物客がみな、息をするのも忘れて見惚れてしまうほど
女の私でも言葉が出ないほど
殿様は、
織田信長さまは、
とても、とても、美しかった。




