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二十二話 『本心ノ想ひ』 一五五四年・土田弥平次



 日が昇りきる前に城の庶務を片付けると、私は急いで津島に向かった。


 生駒屋の前で馬を繋いで、暖簾をくぐる。


 店の中は相変わらず、馬借を頼む商人でごった返していた。殿に連れられて、または商いのために一人で、何度もこの店には来ているのだが、いつもここは繁盛しているようで客の途切れたところを見たことがない。


 むしろ楽市の触れが出されてから、さらに客の数は多くなっているのではないか・・・


 さすがは津島一の大店・・・吉乃殿の店だと、いつも感心する。



「おぉ!! 弥平次の旦那じゃねえか!!」



 店の奥から豪快な大声で私を呼ぶ声がする。


 小六殿が将右衛門殿や川並衆の野武士を引き連れてこちらに手を振る。


 その手には、紐で括られた銭が握られていた。



「小六殿、将右衛門殿。御無沙汰しています」



「確かに久しぶりだな。今日は一人か?」



「えぇ、まあ・・・」



 何やら小六殿らは機嫌が良いようで、気さくに私に話しかけてくれる。


 それに、私は戸惑いながら受け答えする。



 川並衆の蜂須賀小六と前野将右衛門。


 木曽川の野武士を束ねる地侍の棟梁で、吉乃殿の腹心。


 吉乃殿を通じて彼らとも付き合いはあるのだが、正直内心では彼らに馴染めないでいた。



 武家に生まれ宮仕えの武士としてしか生き方を知らない私と、主君に仕えることもなく生駒屋と共に商いを行い自らの力で身を立てる彼ら野武士。



 同じ武士ではあるが、あまりにもその生き方が違いすぎる。



 宮仕えの者の中には、野武士を『武士とは呼べぬ、ただのならず者』と揶揄する者もいるほどで。


 けれど、その屈強な体格と腕っぷしは私などよりよっぽど『武士』らしい。


 主君に仕えず自らの力で身を立てようとするその気概と信念は決して宮仕えの武士に劣るとは思わないのだが・・・


 やはりその豪気な性格には慣れず、ずっと宮仕えとして生きていた私では小六殿たちとは畑が違うのだなと思ってしまう。



「・・・随分と上機嫌のようですが、何か良いことが?」



 「勿論よぉ」将右衛門殿が嬉しそうに手に持った銭を私に見せる。



「さっきな、家宗の大旦那から報酬の銭をたんまりもらってな。今から飲みに行こうと手下どもと話していたところよ。旦那は今日はどうした? お嬢に会いに来たのか?」



「ええ、天王祭のことで吉乃殿に話があるのですが・・・」



「お嬢は店にはいねえぞ。ちょうど外回りに出て行ったところだ」



 吉乃殿、いらっしゃらないのか・・・



「そうですか・・・なら、出直すしか・・・」



 津島に来たことが無駄足になってしまい、思わず肩を落とす。



「大変だな、祭りの仕切りっつうのも。お嬢も連日忙しそうだ」



「吉乃殿も、お忙しくしておられるのですね・・・確か、縁結びの竹灯籠でしたか」



 縁結びだなんて、普段豪気な吉乃殿にしては意外と女子らしい出し物を考えたのだなと、初めてそれを聞いたときは思った。


 てっきりもっと商人らしい銭の匂いがする出し物が出てくるのだと思っていたから、案外吉乃殿も年相応の娘らしいところがあるのだなとつい思ってしまったことを覚えている。



「おうよ。津島でも若い衆や女子どもが結構縁結びの灯籠に食いついているらしくてな。いっそのこと熱田神宮から宮司様を呼んで大々的にお焚き上げをしようなどと張り切っていたな、お嬢は」



「っ、吉乃殿らしいですね」



 張り切って祭りの準備を仕切る吉乃殿の姿が安易に想像できて、私は思わず笑ってしまう。


 吉乃殿は商人らしい、誰かに頼られることに弱い性質(たち)のお方だ。誰かのため、人のため、余力を惜しまず精を出すその様は私にとってとても好ましく映る。



 ・・・吉乃殿を見ていると、まるで私自身を肯定してもらえているようで。


 美濃の半端者である私が尾張のため殿のためと働いていることが、間違いではないのだと断言してもらえているようで。



「・・・でもまぁ熱田神宮の宮司様がお焚き上げなどと、また随分と御利益がありそうな縁結びになりそうですね。小六殿も、縁結びをお願いするのですか?」



 戯れにふと、そのようなことを尋ねてみる。



「まぁ、お嬢があんなに張り切っているんだ、俺が見向きもしないだなんて、無粋なことは出来ねえよな・・・でも、俺には嫁がいるからなぁ・・・(かかあ)の名でも書いてくべるか」



「小六殿、嫁を貰っていたのですね」



 勝手気ままな無頼のような小六殿が嫁を貰っているだなんて、意外だ。


 でもまぁ、よくよく考えてみれば当然の話だ。小六殿は川並衆の棟梁、木曽川の野武士を束ねる豪族の当主なのだから。嫁を貰い家を立てなければ、子分や家来たちも安心して小六殿を棟梁として仰げない。


 やはり、彼らも武士なのだ。



「ほぅ、兄弟・・・また嫁孝行なことを口にするんだなぁ・・・この前、宴の席で旅籠の『おひろ』とかいう白拍子にちょっかい出してたのはどこの誰なのだか・・・?」



「なっ、お前人前でそんなこと言うんじゃねえよ!!」



「いっそのこと、嫁さんよりも白拍子の名を灯籠にくべた方がいいんじゃねえのか?」



 からかい混じりに将右衛門殿が小六殿にそう言うと、小六殿も負けじと将右衛門殿に嫌味を含ませ切り返す。



「ほぅ、将右衛門・・・お前こそ、灯籠には当然お嬢の名をくべるんだろうな・・・?」



 ・・・吉乃殿?



「・・・聞いてくれ弥平次の旦那、こいつな・・・ガキの頃からお嬢に惚れてんだよ」



 なっ・・・将右衛門殿が吉乃殿のことを!?



 私は驚いて、思わず口を大きく開いてしまう。



「こいつ、この面をして女のことに関しちゃ奥手でよ・・・今までお嬢に何も言えず仕舞いでな・・・ったく、女の一途は美しく映るが男の一途は見苦しいだけだぞ・・・」



「五月蝿ぇ」



「このまま埒が明かないのなら、いっそのこと神頼みの方がまだ望みがあるわな」



「はぁ!? そんな気恥ずかしいことが出来るかよ!!」



 にやりと笑う小六殿を尻目に、次は反対に将右衛門殿が顔を真っ赤にして動揺する。


 その様は、なんともまぁわかりやすく。



 本当に、将右衛門殿は吉乃殿のことが・・・



 確かに、将右衛門殿と小六殿、そして吉乃殿は幼い頃からの間柄だとは聞いている。


 でもまさか、将右衛門殿が吉乃殿をだなんて・・・意外だと思った。



 みな、色々あるのだな・・・



「・・・そういえば、弥平次の旦那は嫁さんがいるのか?」



 不意に、小六殿は私にそんなことを尋ねる。



「え? ・・・私ですか? いえ、嫁などは・・・」



「いねえのか? 俺らと違って旦那は織田に仕えるお武家さまだ。嫁を貰って世継ぎを作らねえと、家が潰れちまうんじゃねえのか・・・?」



「まぁ、それはそうなのですが・・・私のような端武者(はむしゃ)が嫁を娶るなど、おこがましくて・・・」



 わかっている。


 武家にとって、世継ぎを作ることは絶対の命題だ。例えどれほどの武功を上げようと、どれほど出世しようと、家を継ぐ者がいなければ全ては水の泡になる。


 だから武士にとっての婚儀はとても重要なものだ。殿は十六で帰蝶様を迎え入れられたし、犬千代には十五にしてもう『まつ』殿という許婚がいる。


 この年になっても嫁のいない私など、相当な偏屈者だと思う。



 私はずっと、嫁を貰うことを恐れている。


 武家の私が嫁を貰うということは、この尾張の地で土田の家を立てるということ。


 美濃の余所者が、正式に『尾張の武士』になるということ。


 そのようなこと、周りはきっと良い顔をするまい。


 土田の家は美濃で兄が継いでくれているのだ。


 私が無理に尾張で家を立てる必要もない。



 根無し草が、本当に根を張ってしまってはいけないのだ。


 

 ・・・ずっと、そう思って嫁を娶ることは控えてきた。



「別に嫁を娶るのにおこがましいもくそもないだろ。ちょうどいいじゃねえか。好いた女の名を書いて、縁結びの神頼みをしちまえば」



 ・・・・・・・はい?



 突然の話に、私は言葉も出なかった。




 ・・・私に、嫁?



 ・・・縁結びの神頼み?



 ・・・好いた女?




 全く考えもしなったことに、私は頭を傾げる。


 そんな私に小六殿は



「旦那もいい年だろ、嫁を貰っちまえよ!! 女はいいぞ!!」



 と豪快に笑った。



 嫁、か・・・



 私には縁がないものだと思っていた。



 だが、もし、欲してもいいのなら。


 この尾張に根を下ろしてでも、一緒になりたいと思う人がいるのなら。



 もし、私が灯籠に名前を書くのなら・・・



「・・・あぁ、そうか」



 考えてみて、自らの本心に尋ねてみて、思わず声が洩れてしまう。



 ・・・あの方しかいないのだと、思った。



 ・・・あのお方しかいないのだと、思ってしまった。



 そのお方に、憧れていた。


 私が持っていないものを、その方は持っていたから。


 あの人のように、生きられたなら


 あの人と共に、生きられたなら




 ・・・私の、好いた女は



 ・・・スサノオノミコトに奉る、その名は







  『吉乃』殿しかいないのだと、私は思ってしまっていた。



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