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十九話 『片想ひノ蝶』 一五五四年・吉乃




 評定の間で殿様から急な命令を受けたあと。


 私と弥平次殿は二人して難しい顔をしながらお城の縁側を歩いていた。


 無論、私たちが頭を悩ませていることは同じ



「・・・天王祭、どうしましょうか弥平次殿?」



 億劫な気分のまま、私は何気に弥平次殿に話を振ってみる。


 弥平次殿は「困りましたね・・・」と呟いて



「こういった催しごとは、正直疎くて。殿の御下知とはいえ、正直まだ勘定仕事のほうが良かったです・・・」



 なんて、珍しく弱音を零していた。本当に、祭りの仕切りを命じられて困り果てているのだろう。弥平次殿は生真面目なお方だから、あまり祭りに馴染みもないだろうし。お武家さまが急に祭りを仕切れなどと言われても、何をすればいいのかさえわからないのかもしれない。


 そう考えれば、商人である私はまだいい方なのかもしれない。天王祭にも馴染みはあるし。



 殿様が評定の間を出て行ったあと、残された者で話し合って役目を分けることにした。


 天王祭全体の仕切りを五郎左殿が、宵宮の川下りや津島神社の神事の準備を与兵衛殿が担うことになって。


 祭りの日に多数建てられる商人たちの露店は、津島の筆頭商人である私がとりまとめることになった。


 あとは、祭りの目玉なのだけれど・・・



「まさか、私が祭りの目玉を考えなければいけないなどと・・・」



 目玉となる出し物を、織田家と津島の会合衆で一つずつ挙げることになって。


 それが、私と弥平次殿に与えられた役目だった。



 これが、意外と難しくてと弥平次殿のため息を多くする原因で。


 例年と同じではきっと殿様は納得しない。織田の力と尾張の豊かさをこれぞ!! っていう術で披露しなければいけない。


 殿様にとって、今年の天王祭りは国主としての大舞台だ。必ず、今まで以上の盛り上がりで成功させなければいけない。


 みなをあっと言わせるような、そんな出し物が望ましい。


 けれど、そんな出し物はあるのだろうか・・・?



「殿は、随分と天王祭に気合いを入れているようですからね・・・私たちも殿に満足していただけるような出し物を考えなければ・・・」



「・・・そう、それです。どうして殿様は、あんなに天王祭に乗り気なのでしょう? 普段は無口で無愛想なのに、今回はやけに意欲的で・・・」



「単純に祭りが楽しみで仕方ないのですよ、殿は。ああ見えて、賑やかなことが好きなお方ですから。今は当主としての風格が身についていますが、やっぱり根は尾張のうつけなのでしょうね」



 私は不思議に思いながら首を傾げると、弥平次殿は優しい顔でくすりと笑った。


 その表情が、口調が、とても柔らかくて。皮肉も混ざっている言葉のはずなのに、全く嫌に感じない。


 むしろ、殿様と深い繋がりがあるからこその言葉のように聞こえて。


 私も、胸が温かくなる。



 やっぱり弥平次殿は、殿様のことをわかってらっしゃるんだな・・・



 なんというか、いいな・・・



 お武家さまの主従がどういうものかを、私は知らない。


 今まで弥平次殿が殿様に仕えてきた年月を、私は知らない。



 でも少しだけ、ほんの少しだけ弥平次殿を羨ましく思ったりもした。


 そんな時、



「探したぞっ!! ここにおったのか吉乃!!」



 後ろから私を呼ぶ声がする。


 振り返ってみると、帰蝶さまが打ち掛けの裾をめくりながらこちらに駆けて来る姿が見えて。



「あっ、帰蝶さま!! 今からそちらに伺おうと・・・」



 私が笑みを浮かべて手を振ると、私が言い終わるよりも前に帰蝶さまは私の目前へとやってきて、両手でぎゅっと私の手を強く握った。



 ・・・・・・え?



「話がある。吉乃、ついてまいれ」



「えっ・・・帰蝶さま!?」



 帰蝶さまはそのまま強引に私を引っ張っていく。


 その顔は強張っていて、視線は鋭く真剣で。なんだか怒っているようにも見えて少し怖い・・・




 私はなされるがまま、帰蝶さまの部屋へと連れられて。


 帰蝶さまは何も言わないまま、私に座るようにとだけ言う。突然のことに心配してついて来て下さった弥平次殿も人払いさせて、綺麗な姿勢で私の目の前に座った。



 一体、どうなされたのだろう・・・



「・・・あの、帰蝶さま? 何かあったのですか・・・?」



私が尋ねると、帰蝶さまは恥ずかしそうにうつむいた。艶やかな綺麗な黒髪で、その顔が隠れる。


そして、か細い声でこう言った。



「津島で・・・祭りがあるそうだな・・・」



 ・・・はい?



 どうして帰蝶さまが天王祭のことを知って・・・



「いま先ほど、与兵衛殿とすれ違って聞いたのだ。織田が、津島の祭りを取り仕切るのだと。お主も一枚噛んでおるらしいではないか」



「まぁ、そうですけど・・・」



「・・・信長殿は、妾を放って祭りにご執心という訳か」



 帰蝶さまはため息交じりでそんな言葉を呟いた。


 その口調が、とても寂しそうで、とても哀しそうで、なんだか私も胸が締め付けられる。



 もしかして、帰蝶さま・・・



「・・・殿様と、何かあったのですか・・・?」



 無礼だとは思いながらも、思わず帰蝶さまのことが心配になってそんなことを尋ねてしまう。


 夫婦の間に、私が口を挟んじゃいけないのかもしれない。


 でも、帰蝶さまにそんな寂しそうな顔をされたら・・・



 友だから。


 心配になって当然じゃない。



「・・・他愛もないことよ」



 帰蝶さまが力のない苦笑いを浮かべる。



「元々、信長殿は妾のことを構ってくれるようなお方ではなかったがな・・・少しずつ、信長殿が妾から離れていっているような気がしての・・・」



「目に見えて、妾の下にいらして下さらぬ・・・」



 そう言った帰蝶さまの声は今にも掻き消えてしまいそうなほど小さくて、とてもか弱かった。



「一向に子が出来ぬ妾を、信長殿は煩わしく思っているのかもしれぬ・・・室の役目を果たさぬ女だと・・・」



 弱音を吐く帰蝶さまを、私は初めて見た。


 私の知っている帰蝶さまはいつも気丈で気高くて、まるでアマテラスのようなお日さまの姫君で・・・明るく豪気に笑っているその凛々しい顔が、私は好きで。


 陰が差した帰蝶さまの顔も憂いを帯びて美しいけど、やっぱり帰蝶さまは笑っていらっしゃる方が似合っているって思う。



 何とか、してさしあげたいけど・・・



「そのようなこと、殿様はきっと思っていませんよ。単純に、今はご政務に忙しいだけだと・・・」



「祭りは楽しそうに開くのにか・・・?」



「いやっ、それは・・・」



 返事に困ってしまう。


 確かに祭りをすると言ったときの、殿様の浮かれようは酷かった・・・



「・・・わかってはおるのだ。全て、子が出来ぬ妾のせいなのだと。自業自得なのだと言われれば、その通りかも知れぬ・・・それでも」


 

 そこで言葉を詰まらせて、帰蝶さまはぐっと顔を上げて私の顔を見つめた。


 その瞳は、潤んでいて。


 その頬は、朱色に染まっていて。



 今にも泣き出しそうな表情で、帰蝶さまは私の顔を見つめる。



「・・・妾は、信長殿の女なのだから・・・信長殿に振り向いてほしいと思うのは、おかしいのかの・・・?」



 胸の奥から絞り上げるような声で、帰蝶さまはそう言った。



 武家の姫君としての役目と誇り。


 その役目を果たせないつらさ。


 自らを責めてしまう苦しみ。


 殿様への、献身と情愛。



 恋。



 さまざまなものが混ざりに混ざって溢れ出た帰蝶さまのまことのお心なのだと、思った。


 その潤んだ瞳は、恋に焦がれる女子のようで。


 その表情は、男を知ったばかりの娘のようで。



 とても儚く、健気で、切なく、甘い。


 

 ・・・あぁ、帰蝶さまは心の底から殿様を好いているんだなぁ。純粋に。一途に。



 同じ女子として、帰蝶さまのお心に共感できる。


 そんな美しい恋路に夢中になれる帰蝶さまを、羨ましくも思う。


 私は今までずっと商人として店先に立ってきた。商人であることが私にとっては優先で、女であることは二の次で。


 並みの娘らしい恋は、ほとんどしてこなかったと思う。


 だから私は年季の過ぎた、男勝りの女になってしまったのだけれど・・・



 せめて、帰蝶さまの恋路の手助けはしたい。


 帰蝶さまの想いが、どうか成就してほしいと思う。



 でも、どうすれば・・・


 何か、私にでも出来ることは・・・



 うんとうんと悩んで、私はひとつの妙案を思いつく。



「帰蝶さまっ!!」



 私は両手で帰蝶さまの肩を掴む。それがあまりに唐突だったから、帰蝶さまは驚いて目を丸くしていた。そんな帰蝶さまに、私は満面の笑みでにこりと笑う。



「私に、任せてください!!」



 私は自身を込めて胸を叩いた。



 商人の矜持にかけて、殿様と帰蝶さまの仲を取り持ってやる。


 お客が望むものを差し出すのが、商人の本懐だから。


 銭の売り買いはないけども、これもきっと私の商い。


 お客は帰蝶さま。売り物は、殿様のお心。



 商いなら、私の本分だ。帰蝶さまの力になれる!!



「必ず、殿様を振り向かせてみせます!! 大船に乗ったつもりでいてください、帰蝶さま!!」



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