一話 『商人ノ町』 一五五三年・吉乃
後に信長の側室となる女性、生駒吉乃の物語です。
天下人最愛の女性なのにとにかく資料や情報がない・・・(泣
けれどだからこそ想像力を掻き立てられる題材だと惹かれてしまい。あの信長が惚れ込む・・・吉乃はどのような人だったのでしょうか・・・
スローペースかもしれませんが、精一杯頑張ります。お付き合いの程、よろしくお願い致します。
私は、尾張国(愛知県西部)で生まれた。
尾張は南を伊勢の海、北を美濃の山々に囲まれた場所で、京と東海を結ぶ結び目のような国だ。尾張や隣国の美濃だけじゃない、三河、遠江、駿河、相模、さらに東の国々で取れた米や名産品がこの尾張の国に集まってくる。尾張に集めて、そこから馬や船で京や堺などに運ばれていく。
また、その逆もしかり。畿内で生まれた新しいものや文化が、尾張を通って東国へ伝えられていく。
水害が多く米の質は他国に劣るけれど、尾張国はそのような『商い』で他国と渡り合ってきた。決して日ノ本中の諸国と比べても見劣りしない、立派な『商いの国』だと私は思っている。
そんな私は、生駒吉乃は、女でありながら『商人』として身を立てている。
『生駒屋』と力強い字で書かれた私より大きな看板を、店先にどんと立てかける。それが、うちの店が開いた合図だ。
「いらっしゃい!!」
まだ朝早いというのに、店を開いて早々お客さんがうちの店に押し掛けてくる。あの人は木綿屋の歳六さん。あの人は旅籠の女将さん。あそこにいる鳴海屋の主人は、質屋を営んでる。どのお客もこの尾張に店を持つ大旦那ばかりで、朝から生駒屋の中は賑やかな喧騒に満たされていた。
私はそんなお客を相手に元気良く愛想を振りまいて、今日も商いに精を出す。
「お嬢っ!!」
「吉乃のお嬢様っ!!」
手代たちが私を呼んでいる。
商いの国、尾張でも一番の商業地『津島』。
その津島で指折りの大店を持つ馬借の店『生駒屋』。
その生駒屋を仕切っているのが、私だ。
『馬借』とは文字通り馬と荷車を貸し、大量のものを運ばせる運搬の商いだ。どのような商いをするのにも必ず欠かせない、ものを運ぶという根本的なところを司る商い、それが『馬借』だと私は思っている。
例えどれほど百姓たちが米を作ろうとも、私たちがお侍さんのところまで運ばなければ年貢として成り立たない。漁師が伊勢の沖で魚を獲ろうとも、私たちが津島の市まで運ばなければ魚はただ腐るだけだ。
何を売る店でも、ものを運ぶための足の確保は重要だ。だから様々な店の旦那衆が、うちと取り引きをしようと店を訪れる。
馬借は何かを生むような仕事ではないかもしれないけれど、この『商いの国』の商いは確かに私たち馬借を軸にして回っている節がある。そう言い切ってしまって構わない。
「お嬢、鳴海屋さんは馬を三頭所望です。三河まで、五日」
「承知した。馬番に伝えて手配して」
「お嬢、桑名に出していた馬が戻ってまいりました」
「ご苦労さま。馬小屋に入れて休ませてあげなさい。私たちの飯の種なんだから大事にしないと。水と飼い葉もたっぷりとね」
うちの店は、手代たちがお客と取り引きして馬の手配をする表と、何十頭もの馬を飼い繋いでいる裏に大きく分けられている。表は畳を敷いた綺麗な店先で、裏は広い敷地に立派な馬小屋を建ててある。所有する馬の数も、うちの自慢の一つだ。
そしてもう一つ、我が生駒屋の売りがある。
「相変わらずの男勝りな働きっぷりだなぁ、お嬢」
店の奥から、ガラの悪い野次が私に飛んでくる。
筋肉の盛り上がった無骨な身体に猪の毛皮を纏った男たちが数人、私に近づいてくる。その隣には、私の父がいた。
生駒家宗。
恰幅のいいこの父こそが生駒屋の正式な主人で津島有数の豪商だ。若いころはその商いの才覚で生駒屋をここまで大きくした商人だったのだけれど、今ではすっかり店の一切を私に任せて楽隠居してしまっている。
生駒家は津島より北東の『小折』という地に屋敷を構えているのだけれど、父は普段その屋敷で過ごしてこうしてたまに店の様子を見にきたりしている。生駒屋の者たちからは尊敬されているのだけれど、私にとっては自由奔放な困った父だ。
「こりゃ、どっちが生駒屋の主人かわかったもんじゃねえな」
荒くれ者の中でも一番身体の大きい、大将格の男―――小六がガハハと笑った。
それにつられて、腹心の将右衛門も「ちげえねえ」と笑う。
「笑うな小六!! 将右衛門!!」
私は恥ずかしさのあまり、思わず声を荒げてしまう。勝手知ったる仲ではあるのだけれど、直に笑われるとさすがに恥ずかしい。
蜂須賀小六と前野将右衛門。そしてこの二人が率いる『川並衆』の野武士たちこそが、生駒屋のもう一つの売りのひとつだ。
木曽川に長良川。川の多い尾張の地には、そこに住む『川の民』のような者たちがいる。
元々そのような川筋は国境になることが多く、そこだけ誰の支配も及ばない空白地帯になる。そのような場所に賊や無頼・・・要するにならず者たちが集まって、海賊ならぬ『川賊』として縄張りを持っていたりする。
川並衆は木曽川に縄張りを持つ川賊で、棟梁の蜂須賀小六と副将の前野将衛門が一癖も二癖もある野武士たちを纏め上げている。
私たち生駒屋は、川並衆と手を組むことで、商いを広げてきた。
木曽川を支配する川並衆と手を組むことで木曽川の水運を目いっぱい活用できる。これで大量の荷を短時間で運び、さらに川並衆の野武士たちを用心棒としてうちの雇うことで荷駄を襲う野盗もめっきり減ったらしい。
父と先代棟梁・安井重継殿とで交わされた契約は、私たちの代になっても変わらずに続いている。
私と小六、将右衛門は幼い頃から共に遊び過ごしてきた。今では道が分かれ、男と女、商人と無頼という正反対な立場になってしまったけれど、それでも同じ商いをする同志として私を慕ってくれている。
「まぁ、そりゃ二十六にもなって嫁に行けない訳だわな。津島一の大店を取り仕切る男勝りな女じゃな」
「それだけが、唯一にして最大の悩み・・・早く嫁に行って、安心させてもらいたいのだけれども・・・」
「父上、そんな親不孝みたいな物言いはやめてもらえます?」
私は顔を膨らませて父を横目で睨みつけた。
近頃の父は、私が未だ嫁に行かないことに焦っているようで。やれ好いた男はいないかだの、やれ見合いを受けてみないかだの、口を開くとそんなことばかりだ。
まるで人を婚期を逃した女とでも・・・いや、確かに婚期は若干逃しているかもしれないけども。それにしても失礼な話だ。
大体、私が他家に嫁いだら一体誰がこの生駒屋を仕切るというのだろう。
商人の娘として生まれ、幼い頃から商いに夢中になってこの歳まで過ごしてきた。身分も力も問わない、金が全ての商人の世界。女の私でも男たちと肩を並べて競い合える商人という仕事に、私は深いやり甲斐を感じている。
この生駒屋を残すため、いつかは誰かと夫婦になり子をもうけなければならないことはわかっている。けれど、今は商人として生きていたい。
だから
「私はこの生駒屋があれば、亭主なんか要りません!!」
胸を張ってそう答えた。
すると小六が呆れたように肩をすくめ、将右衛門ががっくりと肩を落とす。
「こりゃ、もうしばらくは婿取りは無理だな」
「五月蝿い」
そんな、他愛もないことを口にしていたときだった。
「・・・なんか、店の外が騒がしくないか?」
小六がふとそのようなことを口にする。
耳を外に向けて傾けてみると、確かに騒がしい。
どどどどっ!!と馬が激しく駆ける音が、いくつも聞こえる。
すると、使いに出ていた手代の一人が血相を変えて店に戻ってきて
「大変です!! 侍がこの津島にやってまいりました!!」
「侍・・・? お侍なら普段から町に来たりするだろう」
「違うんです大旦那!! 織田の侍が、軍勢率いて攻めてきたんです!!」
・・・っ、お侍が攻めてきた!?
「織田って、あのうつけの殿様か!? それはまことの話なのか!?」
「ええ、木瓜紋の旗を掲げておりました。間違いありません」
手代の報告に、生駒屋にいる誰もがざわつく。
これからこの町はどうなるのか、みな不安を隠せない顔をしていた。
津島は商人の町だ。刀や槍を持った侍に攻め込まれては、これに抗う術を持っていない。
ましてや、その相手は・・・
織田の殿様。
織田弾正忠信長。
織田家は古くからこの尾張を治めるお武家さまだ。
先代の信秀さまは『尾張の虎』と名を馳せた殿様で、美濃や三河、はたまた駿河までその名前は知れ渡っていたらしい。
その跡を継いだ信長さまは幼少のころから素行が悪く粗暴で、『うつけ』と周りから揶揄されていた。その暴虐は殿様になっても変わらないようで、厳粛な圧政と厳罰主義で家来をまとめていると噂だ。
そのうつけ殿様が、津島に攻めてきた・・・
・・・・・・殺される。
略奪か、人攫いか、何が目的かは全くわからない。けれど、一歩間違えれば斬られてもおかしくない。
・・・どうする。
・・・織田の侍がこの生駒屋に来たらどうする。
・・・この店を仕切る者として、どうすればいい。
押し潰されるような重い緊張感の中、私は必死に頭を巡らせる。
この生駒屋を、私が守らなければ・・・
その刹那。
どんっ、と乱暴に店の戸が開かれる。
店の中にいる者みな、驚きと恐怖に身体が凍る。
怖い・・・身体がすくむ・・・
それでも、私がこの店を・・・守らなければ・・・
一抹の勇気を奮い立たせ、私は店の入り口に目を向ける。
十人ほど、刀を差したお侍が入ってくる。
どのお侍も顔つきが若く、二十も満たない者が大半だ・・・
それでも、みな身体が屈強で・・・川並衆の荒くれたちと接し、屈強な男たちに慣れた私でも少し怖いと感じる。
これが、織田のお侍・・・
「織田弾正忠様の、改めである。一同、騒ぐな」
一人の侍が、凛とした声で叫ぶ。歳は十七、八くらいの顔つきの、けれど顔に似合わず大人びた雰囲気をかもし出す侍だった。
そして、その童顔の侍の後ろ。
明らかに格の違う、お侍がいた。
細長い、丹精な顔立ち。顔はいいのに、その顔に全く似合わない細い目と鋭い眼光。
木瓜紋をあしどった濃紺の羽織を纏い、腰には一目で上等とわかる漆の鞘の脇差を差していた。
歳は二十そこそこだと思う、けれどそのその歳に似合わないほどのその鋭い視線は、まるで百年生きた蛇のように冷たい。
・・・これが、お侍・・・これが、あの・・・
私は、瞬時にわかった。
この人が・・・
この人が、織田信長なのだと。