十八話 『津島ノ祭』 一五五四年・吉乃
今年も尾張では、無事に百姓の田植えが終わった。村々を回ると、どこもかしこも青々とした苗と綺麗に並んだ水田が、どこまでも続いていくような壮大な光景を見ることが出来る。外回りの商いがてらその光景を眺めるのが、この時期の私の密かな楽しみだ。
暦はもう梅雨。これから雨の日が多くなり、ますます蒸し暑くなっていく。
今年も、たくさん雨が降ってほしい。うんと暑くなってほしい。そうなれば、秋の実りは豊作だ。
そんな梅雨の雨の日に、私は殿様に呼び出された。
伝令役のお侍さまからは、お城の評定の間に来るように言われた。
雨の中馬を駆けてお城に行くと、評定の間には弥平次殿や五郎左殿、与兵衛殿、母衣衆でも文官に近いお方が集まっていた。
殿様はまだいらっしゃっていない。一体、何が始まるのだろう・・・
いや、それよりも・・・
「うぅ、濡れた・・・」
いくら笠を被っていたとはいえ、雨の中で馬を走らせるとさすがに着物はびしょ濡れだ。
全く殿様め・・・こんな雨の日に呼び出して・・・
「大丈夫ですか吉乃殿? お風邪を召されませんように・・・」
弥平次殿が気を使って手拭いを貸してくれる。
私はありがたくそれを受け取って、身体を拭いていると・・・
ばっ!!、と乱暴に上座の障子が開かれる。
殿様が意気揚々と登場すると、座らずに上座から私たちを見下ろして開口一番こう言った。
「祭りをするぞ、お前たち」
・・・・・・・・・・・・はい?
私も、母衣衆の面々も、言葉の意味がわからなくて首を傾げる。
・・・祭り?
何を言っているのだろう、殿様・・・?
「あの、殿・・・祭りをするとは、一体どういうことでしょう?」
みなが感じた疑問を、与兵衛殿が私たちを代表して殿様に尋ねてみる。
すると、殿様はその鋭い眼光を私に向けて「おい、女」と私を呼んだ。
「津島の天王祭が、もうすぐであろう?」
へっ? 天王祭・・・?
私は殿様に言われて思い出す。
あぁ、そうか。天王祭。もう、そんな時期なのかぁ・・・すっかり忘れていた。
津島天王祭。
梅雨の時期に津島神社で行われる尾張最大のお祭りだ。
宵宮では、百をゆうに超える巻藁舟が提灯を掲げて天王川を下り、真っ暗な水面を華やかに彩る提灯行列は言葉に出来ないほど幽玄だ。
いつから始まった祭りなのかは知らないけれど、津島神社の祭神が治水と縁深いスサノオノミコトだから、水害の多い尾張で豊穣を祈った祭りなのだと思う。とっても歴史の古いお祭りだ。
祭りの仕切りは、毎年津島神社の宮司さまたちと津島の商人・・・つまり会合衆との合同で取り仕切っている。
商人にとっても祭りは稼ぎ時だから津島中が天王祭に盛り上がるのだけど、生駒屋は馬借屋。目に見えてものを売る店じゃないから、いつも銭だけを出して祭りにはあまり関わることも少なかった。
私自身、見物客として祭りを楽しむことはあっても祭りの仕切りは会合衆、つまり父に任せっきりだったから頭の中から抜け落ちていたんだ。
でも、今年はそうはいかないのだろうなぁ・・・
納得はしていないけど、会合衆の筆頭商人は私なのだから。
きっと、祭りも私が主導しなきゃいけないのだろうなぁ・・・
・・・って、まさか殿様っ!?
「・・・もしかして、天王祭に参加されるということですか?」
私は恐る恐る殿様に尋ねてみる。
何当然のことを聞いているのか、とでもいうように殿様は私の問いを鼻で笑って「無論よ」と答える。
「今年の天王祭は、織田家と津島の商人どもで取り行う。織田の力をもって、日ノ本一の祭りを行う腹だからお前たちも心積もりをしておけ」
・・・まことですか。
ただでさえ筆頭商人にさせられて、祭りの仕切りは今から億劫に感じているのに。
織田家と、合同で祭り?
殿様が、祭りに参加なさるの?
というより、日ノ本一の祭りってなに!?
どうして殿様、そんなに天王祭に乗り気なの!?
「殿、一つお伺いしてもよろしいですか? どうして、織田が天王祭を仕切るのですか? 祭りの仕切りは津島の町と津島神社が長年担って参りました。それを今年になって織田も、というのは・・・」
五郎左殿が、殿様に尋ねる。
「織田が仕切るからこそ意味がある。織田の力、この信長の力を祭りを以って隣国の大名小名に見せ付ける。天王祭はその絶好の機会であろう?」
殿様は自信満々ににやりと笑う。
確かに、天王祭は殿様の力を見せ付ける良い機会かもしれない。
それこそ、織田家が主導して今まで見たこともないくらい盛大で派手な祭りを披露出来れば、隣国の人たちも殿様の力に驚くだろう。
それに祭りには膨大な銭がかかる。人だってものだって他国から大勢集まってくる。尾張の豊かさを喧伝できる。
政として考えれば、殿様に利があることだらけだ。
「ここにいるお前たちに、天王祭の仕切りを任せる。この俺に、恥をかかせてくれるなよ?」
「「御意」」
「・・・えっ、ぎょ、御意・・・っ!!」
殿様は、それだけを言い残して評定の間から去っていく。
弥平次殿も五郎左殿も与兵衛殿も、立ち去る殿様に深々と平伏した。
私も慌てて、慣れない言葉を使って殿様に頭を下げる。
こうして、殿様の急な命令によって私たち津島の商人と、織田家による津島天王祭の準備が始まった。




