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十七話 『吉乃ノ謀略』 一五五四年・吉乃



 数日して、殿様が弥平次殿たち母衣衆を引き連れてうちの店を訪れた。


 殿様がうちにいらっしゃるのは、随分と久しぶりだ。楽市のこともあって、近頃は殿様自身もお城の政務で忙しくしておられたから、なかなか城外に出ることも出来なかったらしい。



「真面目に政務をこなされる殿は、少し不気味ではありますね・・・私達は楽でいいのですが」



 私がお城に登ったとき、弥平次殿はそんなことを零していた。


 いや、それがお殿様として当たり前だと思うのだけれど・・・




 とにかくそんな忙しい日常が織田のお城にも流れていたらしい。


 それがようやく、楽市も波に乗り出して。尾張の国力も上がり織田家への実入りも安定して、国主として殿様も一目置かれるようになった。


 殿様自身も家来衆の方々も、ようやく一息つけたような心地みたい。


 久々に母衣衆を引き連れて津島の町に遊びに来て、うちの店に寄ったのだと弥平次殿は言っていた。


 いつものように、殿様たちをうちの客間にお通しする。


 どうやらここに来る前にお茶屋さんで昼間から宴会を開いたらしく、五郎左殿も内蔵助殿も犬千代殿も与兵衛殿も、みな頬を赤くして楽しそうに酔っていた。



 うわぁ・・・酔っ払いのお相手か・・・



 とりあえずお茶の前に水をお出しするかと思いながら、ふと殿様に目を向けてみる。



 そういえば、殿様が酔った姿は想像出来ないかも・・・



 井戸から水を汲んできて差し出しながら殿様に目を向けてみると、みなが酔った顔をしている中で殿様は変わらず、色白の冷めた顔つきで仏頂面を浮かべていた。


 私は殿様にも水を差し出しながら



「今日は殿様もお酒を飲まれたのですか?」



 って声をかけると、殿様は不機嫌そうに眉間にしわを寄せ



「俺は飲まん」



 ってぶっきらぼうに答えた。



「・・・え? 飲まれなかったのですか?」



「殿は、下戸なのですよ。こう見えても」



 殿様と同じく顔が白いままの弥平次殿が答える



 ・・・下戸!?


 ・・・殿様が、飲めない!?


 武家の棟梁なのに!?


 平然と一升を一人で空けてしまいそうな、おっかない顔をしてるのに!?



 武家のお殿様って、飲めなくてもなれるんだ・・・



 そんな変な感心をしながら、私は殿様の顔をまじまじと見つめた。


 殿様は珍しく恥ずかしそうに、そして悔しそうに



「・・・っ、酒など馬鹿の飲むものだ!!」



 なんて精一杯の強がりを吐いていた。



「お前らは飲みすぎだっ・・・酔っ払いの声など、かんに触るわ・・・」



「そう仰らないでください。みな、殿に日ごろの労いをしていただけると聞いて随分と喜んでいたのですよ。そうですよね、弥平次様?」



「五郎左の申す通りです。みな殿が尾張の国主と認められて嬉しいのですよ。少しの羽目はお見逃しください」



「黙れ弥平次、お前が最も飲みすぎだっ・・・一人で一樽空けよって・・・」



 一樽・・・っ!!


 弥平次殿が!? 全く顔色は変わっていないのに!?


 見かけによらず、酒豪なのかぁ・・・



 とにかく、今日は殿様も母衣衆の方々も宴会帰りで上機嫌だ。


 これは、私にとっては好機かもしれない。



「随分と楽しげな席だったみたいですね。私も、お伺いしてみたかったです」



「・・・何が楽しげな席だ。この酔っ払いどもの相手だけでも面倒なのに、お前みたいな五月蝿い女に来られたらそれこそ堪らん」



「そのような言い方は酷いではないですか・・・せっかくのお祝いの席でしょう? 殿様ももっと楽しめばいいのに・・・」



 「そうだそうだ」と泥酔している犬千代殿が私に賛同してくれるけど、酔ってるからかその声がやたらと大きくて五月蝿い。



「楽市令は大成功!! 尾張中が商売繁盛で、百姓も豊かになって、殿様も国主として名声うなぎ上り!! こんなおめでたいときに仏頂面は損ですよ、殿様!!」



 私はここぞとばかりに殿様に畳み掛ける。



「実はうちら生駒屋も、お祝いの証として殿様に献上したいものがあるんです!!」



「献上・・・? お前が、俺にか・・・?」



 殿様は、私の言葉に眉をひそめて(いぶか)しむ。


 でも、すでに酔っ払ってしまっている母衣衆の面々は何の疑いもせず「献上したいものがある」という私の言葉を信じて



「おぅ!! 殿に献上品があるとは、いい心がけじゃないか!!」



 内蔵助殿がそんなことを言いながら上機嫌で私の献身ぶりに感心していた。


 男って本当、お酒が入ると単純なんだなぁ・・・



「入りなさい、藤吉!!」



 私は殿様の返事も聞かず、無理矢理藤吉を呼びつけた。


 客間の外で待たせていた藤吉を、中に入れる。



「失礼致しやす!! わしゃあ中村の木下弥衛門が子、藤吉と申しやす!!」



 威勢よく入ってきた藤吉はその勢いのまま深々と頭を下げて名乗り出る。


 突然下男のようなみすぼらしい男が部屋に入ってきたからか、殿様も母衣衆の方々も目を丸くしたまま唖然としていた。


 そんな殿様の顔を見て私は内心ほくそ笑みながら、藤吉の紹介を続ける。



「殿様に献上したいのは、この藤吉でございます。ぜひ、お役立てください」



「この男が、殿への献上品ですか・・・?」



 苦い顔をしながら、五郎左殿は私に尋ねる。


 まぁ、そりゃ当然の反応でしょう。


 目の前にいる古びた麻の着物を着たみすぼらしい男。体格は小さく、異様に手足は長くて、顔はくしゃくしゃ。人というよりも猿みたいな、その風貌。


 いや、『みたいな』ではないか。藤吉はもはや『猿』だ。


 そんな男を尾張の国主である殿様にお目通りさせるなんて、私が殿様に対して無礼を働いていると思われても仕方ない。



「・・・こやつはなんだ?」



 殿様は眉間に皺を寄せて私に尋ねる。



「うちの店で抱えている男でございます。使える男ゆえ、是非殿様にご奉公させれば殿様の役に立つと思い、本日連れてきた次第です」



 まぁ、実際に生駒屋で働かせた訳じゃないから藤吉が本当に使える男かどうかは私はわからないのだけども。


 将右衛門が『使える』というのだから、きっと使えるのだろう。



「わしゃあ侍になり織田さまの下で一旗挙げようと、故郷から出てまいりやした!! どうか、服してお願い申し上げやす!!」



「・・・おい、女」



 深々と頭を下げて藤吉は仕官を殿様に願い出る。


 そんな藤吉の下げた頭を見て、殿様は短く私を呼んだ。



「はい、何でございましょう?」



「・・・俺は馬や鷹は好むが、猿は好かん」



「そうですか? 猿もよく見れば案外可愛い顔をしているかもしれませんよ」



「この下郎の面を、お前は可愛いと申すのか」



 殿様に言われて、顔を上げた藤吉にふと視線が移る。



 ・・・うん、全く可愛くない。不細工だ。



「この猿を下がらせろ。宴の興が冷める」



「私のお願いを聞き届けてくださらないということですか・・・?」



「当たり前だ」



 殿様は冷たく私をあしらう。



 ・・・けちな国主さま。


 楽市令で儲けているのだから、下男の一人くらい笑って抱えてやってもばちは当たらないのに。



 殿様がそのつもりなら、こっちにだって考えがある・・・っ!!



「・・・わかりました。殿様がそう仰るなら、帰蝶さまにお話するまでです」



「・・・濃に、だと?」



 殿様の顔色が変わる。



「えぇ。本日のこと、これまでのこと、全て帰蝶さまに申し上げます!! 初めて殿様がうちにいらしたとき抜刀して大暴れしたこと、お城でのご公務を放ってうちに入り浸っていたこと、今日だって真昼間から酒盛りしていたって、全て告げ口させていただきます!!」



 今まで殿様の面子を思って黙っていたけれど、全て言ってやる!!


 私と帰蝶さまは、とても仲良しだ。帰蝶さまはきっと、私の味方になってくださる。


 帰蝶さまは私以上に気丈なお方だ。普段の殿様の行いを知れば、絶対に黙っているはずがない。


 殿様も帰蝶さまに叱られたときだけは頭が上がらないというし、せいぜいこっ酷く叱られてしまえ。



「吉乃殿っ・・・殿を恫喝なさるおつもりですか!?」



「殿様だけじゃありませんよ、弥平次殿だって殿様の目付け役ではないですか。きっと帰蝶さま、弥平次殿にだって神鳴りを落とされますよ?」



「うっ、それは・・・」



 ふんっ、女の友情を舐めないでほしい。



「それが嫌なら、藤吉を召抱えてやってください。この吉乃の、小さなお願いです」



 居住まいを正して、私は今一度殿様に願い出る。



「小癪な手を使いました。でも、それは殿様のお役に立ちたい一心からです」



 だって、生駒屋は織田家の御用商人なのだから。


 一蓮托生なのだから。



「私が太鼓判を押します。藤吉はきっと、殿様の役に立ちます」



 私だって、女だてらにこの大店を今まで仕切ってきた。


 手代たちに馬番たち、川並衆の野武士たち。たくさんの人を使う立場だ。


 商人として、これでも人を見る目はあるつもりだ。



 藤吉は気概のある男だ。


 百姓からお侍になろうだなんて、大した気概だと思う。若くして大望を抱いて故郷を飛び出したんだ、度胸だってある。


 武運さえ良ければ、もしかすると藤吉は化けるかもしれない。顔は猿だけど。



「・・・本当に喰えぬ女だな」



 殿様は、困ったように顔をしかめて頬杖をつく。


 そんな殿様の顔は、なんだか新鮮だった。だって、殿様に困らせられることは多くても殿様自身が困るようなところを見ることがなかったから。


 能面みたいにいつも無表情の殿様の困り顔は、なんだかとても人間臭く思えて。二十歳そこそこの、若者らしい表情で。



 ・・・天魔も、困るときもあるんだ。


 なんだ、意外と可愛げあるじゃない。殿様。



「・・・弥平次」



「はっ」



「そこの猿に、草履取りでもさせておけ」



「承知、致しました」



 えっ、それって・・・


 藤吉を召抱えてもらえるってこと!?



 私は藤吉と顔を見合わせる。


 驚きながら顔を上げた藤吉は心底嬉しそうな顔をしていて。なんだか、私も嬉しくなってくる。



「あっ、ありがとうごぜえやす!! この藤吉、誠心誠意織田さまに尽くさせてもらいやす!!」



「ありがとうございます、殿様!!」



 私と藤吉、二人で殿様に頭を下げて藤吉の仕官を喜び合う。


 そんな私たちを殿様は苦々しい顔で見ていた。



 よしっ、殿様の困った顔も見ることが出来たし、してやったりだ。






 ・・・こうして、私の小さな策略で藤吉は殿様の草履取りとして織田家に仕官することになった。毎日、殿様の小間使いとしてこき使われているみたい。


 直接藤吉の面倒を見る上役は弥平次殿が務めているらしくて、「また私に面倒事を押し付けましたね、吉乃殿」とため息をつきながらぼやいていた。


 確かに、結果的に弥平次殿の仕事を増やすことになってしまったかも・・・それはごめんなさい、弥平次殿。



 とにかく無事に、藤吉は織田家に召抱えられた。それは私が殿様に口聞きしたからなのだけど、その際に一つだけ藤吉に条件をつけていた。


 私は、無料(ただ)の商いはしない。


 殿様に、お目通りさせる代わりに、一つの役目を藤吉に与えた。



『藤吉。あなたはこれから、私の間者になりなさい』



 私の間者として殿様の、織田家の情勢を逐一報告しなさいと、それをお目通りの条件にした。


 いくら私が殿様や帰蝶さま、母衣衆の方々と懇意にしているからといって、やっぱり城内様子については知らないことだって多くて。織田のお城に登らない日が続くと、なかなか情報が入ってこないときだってある。


 商人にとって、情報は商いの種。


 お侍にとっての槍くらい、重要な得物(えもの)だ。



 生駒屋は織田家の御用商人。一蓮托生。


 藤吉が織田家中の情報を知らせてくれれば、私もそれを商いに活用できる。



 あまり声を大にしては言えないけれど、これが私が藤吉を殿様に推挙した本当の理由。


 私は商人、儲けにならない商いなんかしてたまるか。



 こうして私のしたたかな策略で、藤吉が草履取り兼生駒吉乃の間者として織田家中の仲間入りを果たすことが出来たのだった。




更新がだいぶ空いてしまい、本当に申し訳ありません。

これからも細く長くお話を進めていこうと思いますので、長い目でお付き合いください。

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