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十四話 『姫君ノ苦悩』 一五五三年・吉乃



「長話をさせてすまぬな、吉乃。吉乃と話す時間があまりにも楽しくて、思わず時を忘れてもうたわ」



 私がそろそろお暇すると告げると、帰蝶さまは名残惜しそうな顔でそう言った。



「私もです、帰蝶さま」



 帰蝶さまとのお話に夢中になり過ぎて、気づくともう日も傾きかけていた。


 こんな遅くなるつもりはなかったから、従者も連れて来なければ篝火(かがりび)も用意してなくて。日が落ちてしまうと、私は店に帰れなくなってしまう。


 店の者にも遅くなるなんて言ってなかったから、きっとみな心配しているのだろうな・・・



「こちらこそ長居してしまい、申し訳ありませんでした。帰蝶さまとお話できたこと、とても嬉しかったです」



「弥平次、吉乃をお送りせよ」



「承知仕りました」



「吉乃、また城に登った際は気軽に妾のところまで足を運んでくれぬか? 面白い話をもっとたくさん聞かせておくれ」



「はい、帰蝶さまがお呼びとあらばいつでもお伺いいたします」



「・・・そのように、かしこまらなくてもよい」



 私が頭を下げようとしたとき、帰蝶さまの手がそれを優しく遮った。


 目を丸くして顔を上げると、帰蝶さまは照れくさそうに顔を赤くして視線を反らしながら



「・・・尾張に来て初めてなのだ。侍女以外の女子とこうして話に夢中になることが出来たのは」



「・・・吉乃とは、姫だの身分だの抜きにただの女子として『友』になりたいと思うのだが・・・駄目、かの・・・?」



 尻すぼみな口調で、恥ずかしそうに帰蝶さまはそう言った。


 そのお顔が、仕草がとても可愛らしくて、思わず女の私でもどきりと動揺してしまう。


 帰蝶さまは、おいくつなのだろう・・・二十そこそこかな・・・顔つきにはまだ少し幼さが残っていて、私よりは年下なのは確実だ。


 その若さで単身尾張に嫁いできて、武家の姫を務めているのだから色々苦労もあるのだろうと思う。


 商人である私では思いもつかないような窮屈さがあるに違いない。



 私が、友となることで帰蝶さまが喜んでくれるなら・・・



「光栄ですっ、帰蝶さま!!」



 私は思わず嬉しくなって、帰蝶さまの右手を両手で握った。


 初めてお会いしたばかりだけども、私はすでに帰蝶さまのお人柄に惹かれていて。姫さまであるのに全く傲慢じゃない、その親しみやすいお人柄がとっても好ましく思える。素敵だって、思える。


 帰蝶さまに友になってほしいと言われて、素直に嬉しい。


 私も、帰蝶さまの『友』になりたいと思う。



 突然手を握られて驚きつつも、帰蝶さまは嬉しそうに微笑む。



「・・・まことか? これからよろしくな、吉乃」



「はい!! 次も必ず来ますね、帰蝶さま!!」



 お互い手を握り合いながら、私と帰蝶さまは微笑み合って。


 名残惜しかったけれど、私と弥平次殿はそのまま帰蝶さまの部屋を後にした。









「・・・ありがとうございました、吉乃殿」


 弥平次殿に連れられて、私たちは城門へと向かう道をとぼとぼと歩いていく。その中で不意に、弥平次殿は優しい口調で感謝の言葉を口にした。


 少しずつ夜の(とばり)が落ちていく中、斜陽に照らされた弥平次殿の顔に思わず目を向ける。



「・・・いかがされました、弥平次殿?」



「申し訳ありません、思わず嬉しくなってしまいまして・・・楽しそうなお顔をする姫様に、私も少し当てられてしまったようです・・・あのように無邪気に笑う姫様は、久々に拝見しました。吉乃殿の、お陰です」



「いえ、私はそんな・・・」



 そんな、褒められるようなことをしていた覚えがない。帰蝶さまにお話をせがんでいただけのような・・・?


 何だか気恥ずかしくて、思わず弥平次殿から視線を反らしてしまう。



「私も、帰蝶さまとお話出来て楽しかったです。商人である私にも、気さくにお話くださって・・・本当に、素敵なお方でした。あの方が、殿様の奥方さま・・・」



 ふと、殿様と帰蝶さまが並んだ姿を思い浮かべてみる。



 唯我独尊な殿様と、気高く自らの芯を持った帰蝶さまと。



 ・・・なんというか、でこぼこで。でもどこか、お似合いな気もして。


 あんな素敵なお姫様を嫁にもらうなんて、殿様にはもったいないと思う。



「殿様は、幸せ者ですね」



「ええ、本当に。あとはお二人に子が出来てくれれば、姫様も苦しい思いをせずに済むのですが・・・」



「子が、いらっしゃらないのですか・・・」



 私は、思わず聞き返してしまう。


 いやでも、だって・・・殿様に嫁いでもう四年も経つんだって、帰蝶さまも仰ってて・・・



 そう思ってすぐ、私はなんて下世話なことを聞いてしまったのだろうって思った。


 それは、帰蝶さまに対してとても失礼なことなのに・・・



 子が、出来ない。


 それは、女としてどれほど苦しいことなのだろう・・・


 夫も子もいない私には、きっとその気持ちはまだわからないのだと思う。



 私は幼い頃から商いに夢中だった。私は根っからの商人で、女としての役目はずっと疎かにしてきた女だ。


 『商人』がまだ歴史の浅い人種だったから私は今まで嫁ぐこともなく随分と自由にやらせてもらった。


 私が、『商人』だったから。



 でもそれは私が変わり者なだけで、普通の女は他所に嫁いで子を作って・・・それが、『女の役目』なんだとは私もわかっている。


 ましてや武家のお姫さまにとって、世継ぎを作ることは絶対のお役目だって聞いている。


 子を作るために生まれ、子を作るために育ち、子を作るために嫁ぐ・・・子が出来ない女など、生きている価値もない・・・それが、武家の女の慣らい。武家の女の世界だと。



 そのような世界で生きてきた帰蝶さまだから、きっと。


 子が出来ないことが、きっと。



「帰蝶さま、さぞおつらいのでしょうね・・・」



 そんな、安っぽい言葉しか私の口からは出てこなかった。


 きっと、私では想像もつかない重荷と苦しみを帰蝶さまは背負っていて。


 女を疎かにしている私では、その苦しみを分かち合うことは出来ない。寄り添うことも、出来ない。なんて言葉にすればいいのかさえ、わからない。


 そんな自分が、悔しい。



 私は、帰蝶さまはの『友』になったのに。



「私からも、吉乃殿にお願い致します。これから度々、姫様のところに顔を出してあげてください。吉乃殿がいらしてくだされば、姫様も少しはお心が晴れるかと思いますから」



 ・・・そうなら、嬉しいのだけれど。


 私が、少しでも帰蝶さまのお役に立てるのなら。



「もちろんです!! 私は、帰蝶さまの『友』なのですから!!」



 私は自信満々に笑って、力強く胸を叩いた。


 実は私も、帰蝶さまが初めての女子の友で内心帰蝶さまのお言葉がとても嬉しかった。


 幼い頃から商いに携わってきて、ずっと男の世界で生きてきた。店の手代も馬番も、日々の商いで関わる津島の商人たちも、みな男ばかり。幼馴染といえば小六に将右衛門・・・川並衆の荒くれたちで・・・あぁ、私って本当女っ気のない場所で生きているんだな・・・



 そりゃ、男勝りになっちゃう・・・なかなか嫁に行けない訳だ・・・



 だから、まさに女子の世界の華とでもいうような帰蝶さまに、恥ずかしながら強く憧れる。


 帰蝶さまと仲良くできることは、とても嬉しい。とても楽しい。





 それから私は、織田のお城に登る度に帰蝶さまのお部屋に寄ってお話しすることが楽しみになっていた。


 お話すればするほど、帰蝶さまのお人柄を知ることが出来て。より素敵な方だと知ることが出来て。


 姫と商人。身分の違いを超えて、すぐに私と帰蝶さまは心許し合える親密な友になっていった。




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